倫理とは
日中の心の乱れを落ち着けようと、学校に着くといつも通り掲示板に目を通す。
『知識や技術のないものは命に触れる資格はない』
この言葉を読む度に冷静になれる。
掲示板の前で仕切り直していると、
「リンっ!聞いて!朗報よ!」
とユリアが廊下の向こう側から走ってやって来た。
「さっき、テオが6年落第した本人にに聞いた情報で確かな情報なの!『衛生師の倫理』のレポート、3年毎に課題が同じらしいの!知りたい?」
6年間落第したというパワーワードはさておき、課題は知りたい。
「知りたいわ!だって、提出期限がシビアなんだもの。」
「そういうと思った!課題発表から1週間以内なんて鬼よね!ふふ、今年は情報によると『災害時の緊急招集下にて自分の家族を家に残し勤務することについて倫理に基づいた考えを述べよ』だって!去年、この授業のレポート書くのに血を吐く思いだったもの!」
「難しい課題だわ。先に聞いておいてよかった。ありがとう!これで提出期限が2週間に延びたわ!」
ユリアが得意そうな顔をして笑っている。
つられて、リンも笑った。
「よしっ!今日も頑張ろう!今年こそは二年次になるわ!」
ユリアに気合が入ったようだ。その突き上げた拳の向こうから、走ってくる人がいる。
「おーい!先に行くなよ!いい情報だけ持って行くんだもんな。聞いたの俺だぞ。」
「テオ!だって、明日は学校に行かないつもりだったから、リンに早く教えたかったの!いいじゃない。どっちが伝えても同じよ!」
テオが「おまえなー。」と呆れたような声を出している。
「2人とも明日は来ないの?明日も授業あるわよ?」
「ああ、俺たち落第一年組だろ。落第しても、それ以外の科目の単位は次の年の1年間だけ有効なんだ。授業に出ても出なくてもカウントもされない。まあ、これに油断して何年間も落第すると、どれが有効単位でどれが無効単位なのかわからなくなって、取っていたつもりで取れてなくて、さらに落第するやつもいるって聞くからおっかないよな。」
「そうなのね。なんだか恐ろしいわ。じゃあ、私のために課題を聞いて来てくれたのね。ありがとう。」
「いいの!この前のお礼よ。にしても、それはカオスよね。それだけは避けたいわ。」
テオもユリアも遠い目をしている。
そんな2人に「行きましょ!前の方の席取らなくちゃ!」と元気に声をかけた。
ーー「いいですか。ただ、暗記すれば通るような試験はありません。単語だけ暗記してもそれがどう機能しているか、きちんと頭に知識として入れておくように。では、これまで。」
先生が授業を終え講義室から出で行く。
今日の講義は終わりだが、せっかくなので教えてもらった課題を少し片付けることにした。
『災害時の緊急招集下にて自分の家族を家に残し勤務することについて倫理に基づいた考えを述べよ』
ーー災害で緊急招集されるのはグレード3で「負傷者が数百人単位、数時間から数日にかけてそれが繰り返されることが予測される」状態だ。幼い子がいる世帯や離れられない事情がある家族もいるだろう。
それでも、緊急招集がかかればその家族を残して出勤していくのか?
家族が心配だからと招集を拒否すれば、衛生師として非難され、招集に従えば家族から残して行かれたと非難されるだろう。
二次災害が家族のいるところで起こるかもしれないし、自分が勤務しているところで起こるかもしれない。
そう考えると離れればもう二度と会えないリスクだってある。
それでも勤務する理由は?
倫理とは一体なんなのかーー
思考は泥のように沈んでいく。
ロザリーが馬車の事故で亡くなった時、リンは自分が傍にいれば回避できたかもっと思ったことを思い出す。
ーー離れることでもう二度と会えないなんて、そんなの辛すぎる。でも、私がいたとして必ず助かったとも決して言えないーー
でも、どうにも出来なかったにしろ最後の瞬間に側にいたかった。そう思うと、過去のリンでは衛生師としての倫理が守れないことに気づき、絶望感が襲って来た。
もっと考えると、「大切な人を置いて危険な場所に行く」その反対もあり得るのだ。
「大切な人を危険な場所に置いて安全な場所に勤務しに行く」そんなことをして本当に帰る場所があるのか。
レポートの課題ではなく、現実にそれが起こったとしたら、ちゃんと選んで行動できるのか。
ロザリーならなんて答えるだろうか。
レポートは一行も書けない。
「もう帰ろう」そう思い片付けをして席を立つ。
帰路に急ぐ馬車の中、うたた寝をしているとロザリーの夢を見た。
いつも一緒にいて、リンの本当の姉のように諭してくれる優しいロザリー。
夢の中でロザリーがリンに青い花で花冠と花束どちらを作るか聞いている。
リンは花冠がいいなと思ったが、作ることが大変そうだと思い迷い、
「どちらも素敵で選べない」と言うと、
ロザリーは優しい笑顔でこう言った。
「本当?リンはこっちがいいって本当は決めてるんじゃない。ねぇ、困らないから言ってちょうだい。そしたら、私、リンの意見を聞いた上で選べるわ。そうでしょ?」
ロザリー、私、花冠がいい。
そう言おうとした途端に馬車が止まって、目が覚めた。
まだ、行かないでほしいと切に思うと絶望感と寂しさが同時に心を占領して、泣きたくなる。
目をぎゅっと瞑って息を吐き、馬車を降りる。
その時に思った。
『衛生師になる資格が自分にはあるのか』
あのレポートの課題がそう問いかけて来ているように思えてならない。
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