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番外編 皇太子殿下の夢も大陸統一


 ワルキューレ帝国の皇宮の庭に、着飾った男女が座っている。


 そこは皇帝にごく親しい人間のみが立ち入ることを許される区画で、現在も皇帝夫妻がくつろいでいる。その目の前で、今年五歳になる息子のジークラインと、より取り見取りの年若い女性たちが歓談を交わしていた。


「殿下、どうかわたくしにもお話を聞かせてくださいませ」

「殿下、次はわたくしとゲームをいたしません?」

「殿下……」


 ジークラインを囲っているのは皇帝が召し抱える愛人たちだ。本来であれば皇帝の労をねぎらうのが仕事の彼女たちだが、今は皇帝の幼い息子の世話をかいがいしく焼いている。


「ありがとうミランダ、でもその手紙は受け取れない。ユリア、俺の話はさんざんしてやったろ? アンゲリカ、また今度、二人っきりのときにな」


 皇太子も手慣れたものでどんどんあしらっていくが、群がる女性たちの熱は引く様子を見せない。

 一部始終を眺めていた皇帝が、ぼそりと言う。


「……なあ、ベラドナちゃんよ。わが妃よ」

「いかがいたしました? 陛下」


 皇帝は目線でジークラインを指した。


「あいつ、俺よりモテてね?」


 皇妃のベラドナは眉ひとつ動かさない。皇帝はやっきになって訴えかける。


「だっておかしくね? あいつまだ五歳児ぞ? なんであんなにモテてんの? 俺のほうがカッコいいよね? ベラドナちゃんもそう思うよね?」


 皇妃のベラドナはようやく唇の端を少し動かして笑った。無理やり愛想笑いを作った、としか形容しようのない笑い方だった。


「陛下は素敵ですことよ。でもあの子も陛下似ですからねぇ。目もとも雄々しい陛下そっくりで」

「でもあいつ五歳児ぞ? 六頭身以下ぞ? なんで? モテるのなんで?」

「小さい子が珍しいんじゃありません? 女はみんなあれくらいの子どもが好きですよ」

「でも結構皆マジじゃね? なんで手紙なんか書いてくるの? 文字とか読めるわけないじゃん。五歳児ぞ?」

「そうですわねぇ……不思議ですわねぇ……どうしてかしら」


 ベラドナは口元だけほほえんでいるが、目は笑っていなかった。


「……ひょっとして、どなたかがのべつ構わず女を口説くからかしら? あの子、あの歳で女の扱いがすごく上手なんですのよ。きっとどなたかのすることを見て覚えたのでしょうねぇ。あらやだ、誰のせいかしら。誰に似たのかしら」


 ベラドナのわざとらしいひとり言に、皇帝は軽く息をのんだ。


「こないだ陛下が泣かせてた娘さん、お名前なんて言ったかしら? そう、ミランダちゃんだったかしら……泣きながらお庭を走っていくミランダちゃんのあとをジークが追いかけていって、それでなんて言ったと思います? 『いい女に涙は似合わねぇぜ。笑ってくれよ』ですよ?」


 ベラドナはハッと皮肉っぽく笑った。


「こう言っちゃなんですけど、あの子、陛下よりずっと女の子に親切ですわよね。五歳児のくせに妙に色気づいて気持ち悪いったら……それもこれもきっと悪いお手本がすぐそばにいるせいね」

「うそ……俺の人望、低すぎ……?」


 皇帝は口元を手で覆って、おそるおそるといったような声を出した。


「もしかして俺、『どうせ愛人になるなら息子のほうがよかった』とか思われちゃってんの?」


 ベラドナは眉ひとつ動かさない。皇帝はさーっと青ざめた。


「あいつさぁ、こないだドラゴンに乗ってたんだよねぇ。うちで一番の暴れドラが完全にあいつを群れのリーダーか何かだと思い込んで怯えちゃってんの。俺なんてドラゴンに舐められまくりで、ちゃんと乗れるようになったの、成人してからだったんすけど……」

「あら、あの子は何でもできますわよ。こないだ魔術師長がもう教えることは何もないって言い残して死のうとしておりましたわ」

「どうなっちゃってんの俺の息子……」


 皇帝は呆然とつぶやいて、皇妃に疑念の目を向けた。


「あのさあ、ベラドナちゃん……あいつ、本当に俺の息子? 俺、自分で言うのもなんだけど、帝国始まって以来の大うつけって言われてたんすけど……?」

「あら、それってわたくしの不貞を疑っていらっしゃるんですの? 控えめに申しあげましても最低ですわね。そんなだから五歳児に寝取られるんじゃありません?」

「まだ寝取られてない。まだそこまでは行ってないはず。どうしたのベラドナちゃん、今日は辛辣だね」

「だってあんまりですわ。よりによってわたくしをお疑いになるなんて……わたくしは陛下以外の殿方なんてタマネギにしか見えないぐらいお慕いしておりますのに」

「ベラドナちゃん……」


 皇帝の愛人は多いものの、皇帝夫妻は仲がいいことで有名だった。


 しばらくして皇帝はジークラインの婚約者を決定する。半分は政治的な必要性からの婚約だったが、もう半分の意図はベラドナにより看破された。


「陛下、さすがに二歳の女の子に『婚約式』はやりすぎですわ」


 婚約式とは、婚約する男女に魔術をかける儀式のことだ。魔術によって付加される誓約は、親族以外の異性に触れることができなくなるというもので、ワルキューレ帝国では結婚の数か月前に行うのが習わしとなっていた。


 しかし皇帝はすぐにでも婚約式を行えるように手はずを整えている。


「息子に人気を取られるのがそんなにお嫌でしたの?」

「だって、縛っておかないと、あいつ俺よりモテるし」

「陛下は重要なことを見落としていらっしゃいますわ。どんなに縛りつけてもモテる人間はモテるんですのよ。いくら足を引っ張ったって無駄ですわ」

「うるさいうるさーい! やるって言ったらやるの! だって俺皇帝だもんね!」

「……ジークは百歩譲っていいとして、二歳児の女の子というのはいくらなんでも……せめてあと六年、本人の意思確認が取れるまでお待ちになってはいかが? 教会法にも、八歳未満の婚約は無効とあることですし」


 こうなった皇帝が聞く耳を持たないことはベラドナも承知しているのか、矛先を変えて二歳児の女の子がいかに可哀想かをとうとうと並べ立てたが、それさえも皇帝は一蹴した。


「バームベルク公爵も乗り気だからね。もう止まらないよ」

「ああ、あの方ならそうね、やりかねませんわね……ディーネちゃんもろくでもない大人に利用されて、哀れだこと……」


 ベラドナの呟きには実感がこもりまくりだったので、さしもの皇帝も少し機嫌を悪くした。


「何が哀れなのよ。皇太子妃ぞ? 栄転の極みみたいな地位ぞ? あの子には俺に感謝してほしいぐらいだね」

「いやだ、それはもちろんですわ、陛下。陛下の娘になれること以上の栄誉などあるでしょうか」


 まずいと思ったベラドナがご機嫌を取っても皇帝はしばらくすねていたため、婚約式の日取りは一層早まった。


 知らせがもたらされたときの皇太子ジークラインはごく冷静であったという。


「父上のお言いつけなら、僕に否やはありません」


 五歳児が操るにしては流暢すぎる言葉で彼は言う。


「その子のことは僕が結婚の日まで守ってみせます。ですから陛下も、母上のことを大切にしてあげてください」

「まあ……」


 そばで聞いていたベラドナが感激のあまりうるりとし、皇帝は気まずさからか、少し顔を赤くした。


「俺はいつもベラドナのことを大切にしてる」


 それが大人げない負け惜しみだということはジークラインも心得たものらしく、にこりと笑顔であしらった。あしらわれたのが分かるだけに、皇帝はますますムキになる。


「俺がいっぱい女の子に囲まれているのは、俺のせいじゃないもんね。あれは全国各地から俺のご機嫌伺いに差し出されてくるから、仕方なく、そう、仕方なく受け入れているんよ」

「仕方なく、ですか」

「皇帝としてときに断れぬ贈り物があると知るがいい」

「なるほど、深慮遠謀僕には及びませんでした」


 五歳児を言い負かして得意げな皇帝は、いい気になって訓示のようなものまで口にする。


「――ゆえにそなたは誰憚らぬ力を持て。大陸を平定し、この世の絶対君主として君臨したあかつきにはひとりの女を愛する自由を得ることもできよう。この俺が成し得なかった自由を、そなたがその手で、掴み取るのだ」

「はい。父上の夢はきっと僕が叶えてみせます」


 ――壮大ないい話風にまとめたわね。

 ベラドナは内心で呆れるやら興ざめするやらだったが、彼女は空気が読める女だったので『嘘つけ。お前のそれはただの好き者だ』というツッコミは胸のうちにしまっておくことにした。皇妃とは空気が読めなければ務まらないものなのである。


***


 そして十数年後、皇太子のジークラインはしみじみとつぶやく。


「……オヤジの夢は大陸統一だ」


 大陸を統一せねば好きな女を妃にすることもままならない――というやり取りが十数年前にあったことなど露知らず、ディーネは首をかしげた。


「やっぱり陛下もわたくしの父と同じで、大の戦争好きでいらっしゃるのでございますか?」

「さあな。違うんじゃねえか?」

「でも、大陸の武力統一なんて、いかにも殿方が好みそうなことですわ」

「そうじゃあねえよ。これはな、もっとくだらねえ話だ」


 何がなんだか分からないディーネは、ついじーっとジークラインを見てしまった。何を考えているのかはさっぱり読めなかったが、ひとまずジークラインがいたずらっぽく笑う顔や、微妙に傾けた頬のラインが美しかったので、そちらに気を取られて、すっかり満足した。


「喜べよディーネ、あともう少しでお前の地位も安泰だ」

「わたくしの地位が……? それなら、もうとっくに安泰なのですけれど……」


 ディーネの日常を脅かす何かは、今のところ発見されていない。


「ジーク様にはとてもご親切にしていただいてますし、わたくしの商売も今のところ順調ですし、ヨハンナさまのことも最近すっかりお見かけいたしませんし……この上まだ何かございました?」


 平和すぎてディーネとしてはちょっと怖いくらいなのだが、ジークラインにはまだ何か不満があるらしい。しかしそれを打ち明ける気もないのか、彼はよく分からない笑みを浮かべてディーネをわしゃわしゃと撫でまわした。


「ちょっと、おやめくださいまし、髪が崩れます!」


 このあたりの扱いは完全に犬か猫のそれである。


「なんなんですの、一体……」

「まあ、気にすんな。知らねえうちに全部終わってるからよ」


 原因が何か分からないことで笑われる、あの気持ち悪い感じを久しぶりに味わってディーネはちょっと憤慨したが、なんだかジークラインが楽しそうなのでつられてしまい、怒りが長続きしなかった。


「もう、ジーク様ったら」


 しょうがないなあ、と恋人のことを許してあげるときの気分は甘い。いい気分になったついでにディーネはぴとっとジークラインに寄り添った。このへんの甘え方はディーネも完全に犬か猫のそれである。ぴったりくっつくのは気持ちがいいし、ついでに手でも握ってもらった日には夢見心地だ。それでお話の相手などしてもらうと、あっという間に時間が過ぎてしまう。


 その日もいちゃいちゃして過ごした。



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