お手紙を書く公爵令嬢
ディーネが自室で作業をしていると、書き物机の隅から見覚えのない紙の束が出てきた。
「なに、これ……」
不思議な紙だ。動物性の皮でできた紙ではない。藁だか木だかのやわらかな素材が、異国からはるばる運ばれてきたエキゾチックな民芸品を思わせる。それなのに、添えられたイラストは教会の文化圏のもので、素材にまったくそぐわない。
つまりその紙の束は、ワルキューレ帝国では非常に珍しい、『レターセット』というものだった。
そもそもワルキューレは紙が貴重なこともあって、日記や恋文などがあまりメジャーではない。それもそのはずで、一枚あたり日本円換算で一万も二万もするような紙を使って、くだらない日常のよしなしごとを書きとめておきたいと思う人がほとんどいないのである。
年に一度だけ手紙で告白する日というのがあることはあるが、逆に言えば手紙を書く機会などそのときぐらいしかない。それだって大半の庶民は文字が書けないので、町の書記官などにお金を払って代筆をお願いするのである。
不思議な気持ちで眺めているうちにようやく思い出した。
「あぁ、そういえばこないだお父さまにいただいたっけね」
これで婚約者に手紙を書きなさいと言われていたものだった。
ディーネは付き合いの長い婚約者がいるのをいいことに、以前はしょっちゅうその相手に向けて手紙を書いていたが、最近はすっぱりとやめていた。なにせ、書いても返事が返ってこないのである。恋文の作法というものが平安時代の日本のように様式化していないワルキューレでは、ジークラインが返事をしなくても、重大なマナー違反などにはあたらない。そもそもそういう文化が『ない』のだから、ディーネが何を書こうが自由で、ジークラインがそれをどうしようともまったくの自由だ。
それでも、やっぱり返事がないのは寂しいことであるとディーネは思う。
なので、ディーネは直接ジークラインに聞いてみることにした。
「ジーク様はお手紙がお嫌いですの?」
「そりゃ、好きなやつのが少ないんじゃねえか? めんどくせえことこの上ねえ」
ディーネはショックを受けた。十数年付き合っているのに、全然知らなかった。それでは相手の嫌いなものをずっと押しつけていたのかと思い、目の前が真っ暗になっていると、ジークラインはそこで何かに気づいたらしく、慌てたような声を出した。
「……手紙ってのは、あれだ。どこそこの村の境界でもめてるから皇帝の裁定を求めるとか、そういうんだろ? トラブルにならなきゃまず送られてこねえ代物なんだからよ、そりゃめんどくせえに決まってる」
このぐらいの文化水準だと、手紙はほとんど公文書と同じものとして扱われる。私的な恋情を綴ったラブレターが流行らない理由でもある。不倫が主流のこの国でそんなものが見つかったら大ごとである。
――じゃあ私の手紙は……?
やっぱり面倒くさいのだろうかといささか恨みがましい視線を送っていると、ジークラインは圧に耐えかねたのか、また口を開いた。
「お前の手紙は別だ。お前の書いてよこす内容は平和で、まあ、なんだ、悪かねえ。女が楽しそうにしてんのはいいもんだ」
どうにも無理やり褒めているような感じがするのは、ディーネの考えすぎなのだろうか。本心では迷惑であっても、恋人からもらうものならそう無碍にもできないのかもしれない。
引き続きディーネがしょんぼりしていると、ジークラインは取ってつけたようにもう少し喋った。
「……ほら、お前よく『住むなら小さい城がいい』とか書いてよこしてただろ。使用人はそんなに必要ないとか、料理は自分でしたいとかよ」
「書いておりましたわね……」
ディーネは当時からお嫁さんというものに過大な夢を抱いていたので、庶民の新婚さん家庭のように、ふたりっきりの住まいで甘い生活がしてみたかったのである。
貴族の家は使用人が四六時中出入りするので落ち着かない。ならば料理や掃除は自分でしてしまおうではないか、とディーネは考えていたのである。もちろんディーネのような細腕の小娘に薪の火起こしや鳥の羽むしりなどから始まる一連の重労働が務まるわけもないので、夢物語もいいところだと今なら分かる。しかし当時は、とにかくふたりっきりの生活がしたかったのである。どうしてもしたかったのである。
「おもしれえなと思ってた」
「おも、しろい……」
ディーネにしてみれば真剣な願いだったのだが、改めて言われると馬鹿みたいだと思ってしまう。才気煥発なことで有名なジークラインはきっと当時から醒めた目でディーネのアホな手紙を見ていたに違いない。だから返事も送ってこなかったのだ。
どんどんへこんでいくディーネを見て、ジークラインはさらに慌てたような声を出した。
「いや、けなしてるわけじゃねえぞ?」
「いいのですわ……ジーク様、心にもないことはおっしゃらなくても。重ね重ね失礼いたしました。若気の至りですからお許しくださいまし。もう二度といたしませんので」
「だからちげえっての。何を勝手に自己完結してやがる。俺の楽しみを奪うんじゃねえ」
ディーネはちょっと顔をあげた。今彼はなんと言っただろうか。
楽しみ? ディーネの手紙が?
「……たわいもねえもんだとは思ってたけどよ、もらって悪い気はしなかった。またずいぶんと愛らしい婚約者をもらっちまったなと思ったもんだ」
――照れてる……?
ジークラインの顔がどんどん赤く染まっていく。彼は自分で言っていてだんだん恥ずかしくなってきたのか、しまいには半ギレ気味になった。
「なあ、ディーネ、お前はここまで言ってやらなきゃ分かんねえのか? 無邪気な婚約者どのの書状だぞ? うれしそうにせっせと送りつけられてよ、俺がお前を憎めるわけがねえだろうが。楽しみに待って何が悪い?」
まごうことなき逆切れに戸惑っているディーネを差し置き、ジークラインはなおも早口気味でまくしたてる。
「いいだろ、別に? 楽しみにしててもよ。楽しみだったんだよ、俺はよ。んなもんいちいち言わなくても分かれ」
「さすがにそれは無茶ですわ、ジーク様……」
言われてないことは分からない。当たり前すぎて訓示にもならない話だ。
何も言われていないのに『照れてるだけなのね!』と確信してぐいぐい行動する女は、それはそれで危ないような気がする。
「そうとおっしゃっていただければ、わたくしも勘違いなどいたしませんでしたのに……」
なぜ彼はいつもちょっと塩対応気味だったのだろうと思いながらディーネが抗議すると、当の本人は苦々しげに顔をゆがめた。
「……冷やかされんだよ。黙ってるしかねえだろうが」
ジークラインはとても渋い顔をしている。
「帝国の軍を束ねるこの俺が、女の手紙に執心だなんて周りに知られてみろ。偉そうにしててもやっぱり十かそこらのガキなんだなって言われるようになったら終わりだろうが」
ジークラインの初陣は確かちょうど十歳のときだった。その頃にはもう将軍だか軍師だかに就いていたはずなので、おそらくそのときのことを思い出して言っているのだろう。
ジークラインがそんなことで悩んでいたなんて、ディーネは全然知らなかったので、ただただ驚いた。
「軍隊の兵ってのは犬っころとおんなじだ、誰が上の立場かってきっちり分からせてやんなきゃ統率もろくに取れやしねえ。だから俺はお前に構ってやる時間をあえて取らなかったんだ。どんなにお前が可愛くてもだ。分かるか、この俺の苦労が?」
「えっと……」
ディーネはなんだか頬が熱くなってきた。聞き間違いでなければ、今彼は可愛いと言わなかっただろうか?
塩対応に慣れきっていたディーネにはジークラインの発言が予想外すぎて、もはや何がなんだかよく分からなくなってきた。ディーネに構いたくてしょうがなかった、というような言葉も聞こえた気がするが、現実だろうか。都合よく話を解釈しすぎ? 可愛いって言われているのも幻聴? もう何も分からない。
混乱しているディーネをよそに、ジークラインはひとしきり吠えたら満足したのか、いつもの余裕顔で足を組み直した。
「いいか、お前の手紙はこの俺の審美眼にかなう数少ない娯楽だ。今後も心して取り組めよ、時間ができたらちゃんと書いてよこせ。分かったな、これは命令だ」
久しぶりの厨発言を食らい、ディーネは迫力に負けてこくこくと首を振った。相変わらず偉そうではあったが、照れ隠しだと分かっているからか、不思議と腹も立たなかった。
「あの……そういえば、先日お父さまからお手紙の用紙をいただきましたの。とてもきれいな紙なのですわ。ぜひジーク様にもご覧になっていただきとう存じます」
「おう。いいんじゃねえか? 持ってきな」
「……書いてまいりましたら、またご覧いただけますか?」
「おう。その場で音読してやんよ」
「いえ、それはわたくしが恥ずかしいのでおやめくださいまし……」
――というわけでディーネは久しぶりに手紙をしたためることになった。
自室に戻ってまずは下書き用の蝋板を広げてみる。書きたいことはたくさんあるので、ネタに困ることはなかった。まずは今日のこと――忙しい中時間を割いて会ってくれたことのお礼と、楽しく過ごせたことを書いた。それから手紙をまた読みたいと催促してもらえたのがとても意外だったこと、けれどもそれが本当に嬉しかったこともあまさず書いた。
――それにしても、あんなに喜んでくれてたなんて。
そうと分かっていればディーネだってあんなに思い悩んだりしなかったのにとも思うが、今日の様子を見るに、彼にもいろいろと事情があったのだろう。打ち明けるときにもあんなに真っ赤になっていたのだから、相当恥ずかしかったのだと見当がつく。それなのにちゃんと声に出して伝えてくれたということが、ディーネにはものすごくうれしかった。
『ジーク様はわたくしのことを可愛らしいとおっしゃってくださいましたが、わたくしはいつも、どうして神様はこんなにご立派で素敵な方を、ちっぽけで至らないわたくしの婚約者としてお定めになったのだろうといぶかしく思っていたのです。そのことを恨みに思うこともありましたが、』
そこまで書いてディーネは手を止めた。
この部分はあまり婚約者宛ての手紙にはふさわしくないかもしれない。直したほうがいいだろうかと思いつつ、筆の赴くままに下書きを書き綴る。
『今は、』
そう、ジークラインの気持ちも知ることができた今は。
『感謝の気持ちでいっぱいです。ジーク様との出会いはわたくしとって何物にも代えがたい宝物でございます。この巡り合わせを与えたもうた主の大いなる恵みに、最大の感謝を捧げずにはいられないのです』
ちょっと大げさだろうか、とディーネは思った。それに『感謝』の言葉が直近で二回出てきてしまった。うまい文章ではないが、それがディーネの素直な気持ちだった。
何度か書いたり消したりしながらまとめあげる頃には蝋板の両面を埋め尽くしてしまい、今度は削る作業に手間取った。
これを書き上げたら――とディーネは思う。
今度こそ、返事を催促してみよう。何かひと言でもいい、後に残るものとしてジークラインから言葉をもらってみたい。
昔はそんなことをお願いする勇気もなかったが、今は違う。
なんて幸福で素敵なのだろう、と思った。




