第九話「渡し場に残るもの」
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祠の前に、二人で立った。
扉の隙間から、橙と金の光が漏れていた。
ミナはその光を見た。
「知っている」と言った。
「知っている」とハルも言った。
「夢で見た気がする」とミナは言った。「この光を。この扉を」
「俺も」
「前の巡りで」
「前の巡りで」とハルは繰り返した。
扉を、二人で押した。
開いた。
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炎の前に立った。
橙と金が揺れていた。
熱はなかった。煙もなかった。光だけがあった。
ミナは炎を見た。
見た瞬間に、胸の中で何かが動いた。悲しみとも、懐かしさとも取れない、複雑な何かが。
「ムロさんが言っていた」とハルは言った。「この火の前に二人の番人が来た時、火が最も大きく燃えたと」
炎が、揺れた。
ミナとハルがそこにいることを知っているように。
「語りかけてくる気がする」とミナは言った。
「俺も感じる」とハルは言った。
二人は炎の前にしゃがんだ。
炎が、また揺れた。
言葉ではなかった。しかし伝わってくるものがあった。
長い時間の重さのようなものだった。何百年もかけて積み重なってきた、記憶の重さのようなものだった。
「悲しい」とミナは言った。声が震えた。
「うん」とハルは言った。
「何が悲しいか分からない。でも悲しい」
「うん」とハルは言った。「前の巡りで、何度も離れた記憶かもしれない。その重さが、今ここに来ている気がする」
「離れた」
「番人は、毎回離れてきた」とハルは言った。「ムロさんが言っていた。最後には、離れたと」
ミナは炎を見た。
「今回は」とミナは言った。
「今回は」とハルは言った。
「離れたくない」
「俺も」とハルは言った。
炎が、大きくなった。
明らかに大きくなった。二人の言葉に応えるように。
「火が大きくなった」とハルは言った。
「見えている」とミナは言った。
「何を言ったら、大きくなったんだろう」
「離れたくない、と言った時だ」とミナは言った。
二人はしばらく、炎を見ていた。
「渡し場も、番人が離れると、常火が小さくなるんだろうか」とハルは言った。
「ムロさんはそう言っていた」とミナは言った。「番人がいる間は、火は消えない」
「番人が渡し場を守ることで、この火が守られる」
「そして、この火が存在することで」とミナは言った。「渡し場が続く意味が、証明される」
「繋がっている」
「繋がっている」とミナは言った。「川の両側で、人間と鬼が共に生きてきた証が、ここにある。この火がある限り、その証は消えない」
炎が、揺れた。
まるで、肯定するように。
「ミナ」とハルは言った。
「何」
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は、ここが好きか」とハルは言った。「渡し場が」
ミナは少し考えた。
「好きだ」とやがて言った。「生まれた場所だから。しかし——」
「しかし?」
「好きだからいるのではなくなった気がする」とミナは言った。「好きだからではなく、選んでいるから、いる」
「ムロさんが言っていた言葉だ。選んでいる、という」
「そうだ」とミナは言った。「最初は好きだからいた。しかし今は、選んでいるからいる。選んでいるから、明日も選ぶ」
「何を選ぶ」
「渡し場を」とミナは言った。「そして——」
「そして?」
「あなたを」とミナは言った。
炎が、また大きくなった。
今度は更に大きく。祠の天井まで届くほどに。
橙と金が、空間全体を満たした。
熱はなかった。しかし、光があった。
「ミナ」とハルは言った。
「何」
「俺も選ぶ」とハルは言った。「渡し場を。お前を」
「毎日選ぶか」とミナは言った。
「毎日選ぶ」とハルは言った。「今日選んだことが、明日に繋がると思うから」
「次の巡りにも繋がるかもしれない」
「繋がると思う」とハルは言った。「この火が消えないように。渡し場が続いてきたように。選び続けることは、消えない」
炎が揺れた。
大きく、ゆっくりと。
まるで頷くように。
二人は炎の前に並んで座った。
長い間、炎を見ていた。
炎の中に、無数の光の粒があった。
何百年も前にここへ来た者たちの、何かが、炎の中に残っているような気がした。
「先に来た番人たちも」とミナは言った。「この炎を見たんだろうか」
「見たと思う」とハルは言った。「そしてここに残っている気がする」
「離れても、ここには残った」
「残っている」とハルは言った。「形は変わっても、残っている」
ミナはその言葉を、胸の中で転がした。
形は変わっても、残っている。
前の巡りで離れた者たちが、この炎の中に残っていて、今もここで燃え続けている。
「渡し場に残るもの」とミナは言った。
「何だ」とハルは言った。
「この火だ」とミナは言った。「渡した者の数ではなく、来た者の数でもなく——ここで選んだことが、この火に残っていく。それが、渡し場に残るものだ」
ハルはミナを見た。
「番人が代わっても、渡し場が形を変えても」
「選んだことは残る」とミナは言った。「いなかったことにはならない」
炎が、静かに揺れた。
穏やかに。
大きくも小さくもなく、ただ、そこにあった。
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山を下りる前に、ムロが待っていた。
「見たか」とムロは言った。
「見ました」とミナは言った。
「何か分かったか」
「少し」とミナは言った。「全部ではない。でも、少し」
「少し分かれば十分だ」とムロは言った。「全部一度に分かることはない」
「ムロさん」とハルは言った。「渡し場を軍から守るために、できることを教えてください」
ムロは少しの間、考えた。
「守ることと、渡すことは、同じことだ」と老鬼は言った。「渡し続けることが、守ることだ。軍が来ても、渡し場がここにあり続ければ、軍は場所を奪えない」
「物理的に奪えなくても、力で奪われることはあります」とミナは言った。
「力で奪われることはある」とムロは言った。「しかし——渡し場は場所ではない」
「場所ではない?」
「渡し場とは、渡す行為だ」とムロは言った。「番人が渡し続ける限り、渡し場は存在する。場所を奪われても、渡すことができる場所が別にあれば、渡し場は続く」
「川のどこでも、渡すことができる」とハルは言った。
「そうだ」とムロは言った。「場所は変わっても、行為は続く。行為が続く限り、渡し場は消えない」
ミナは川の方を見た。
山の木立の間から、川が光って見えた。
夜の川が、星を映していた。
「帰ります」とミナは言った。
「また来い」とムロは言った。「常火は、また見せる」
「ありがとうございます」
「礼は要らない」とムロは言った。「あなたたちが来ると、火が大きくなる。それが、嬉しい」
ムロの金色の目が、夜の中で静かに光った。
「行け」とムロは言った。
二人は山を下りた。
川へ向かった。
舟に乗った。
こちら岸へ向かって漕いだ。
川の真ん中で、ハルが手を止めた。
「ミナ」
「何」
「ナギが来た時、俺はお前の隣に立つ」とハルは言った。
「立ってくれるか」
「立つ」とハルは言った。「それが、今日選んだことだから」
ミナは星の川を見た。
「ありがとう」と言った。
「礼は要らない」とハルは言った。「ムロさんと同じことを言うが——お前が隣にいると、俺が大きくなる気がする」
ミナは少し笑った。
「それは、嬉しい」と言った。
舟が、こちら岸へ向かって進んだ。
星が、川を渡っていった。
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(第九話 了)




