第三話「老鬼の記憶」
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ムロが来たのは、雨の朝だった。
渡し場の桟橋に、一艘の舟が着いた。漕いでいる者がいなかった。舟だけが、向こう岸から流れてきたように着いた。
しかし舟には、乗客がいた。
老いた鬼だった。
人間で言えば八十か、九十か。それより上かもしれなかった。皺が深く、腰が曲がり、白い髪が雨に濡れていた。しかし目だけが、異様に若く、澄んでいた。金色の目が、ミナを見た。
「渡してくれ」と老鬼は言った。
「何の用で」とミナは言った。
「話をしに来た」と老鬼は言った。「番人に」
ミナは老鬼を見た。
悪意はなかった。それどころか、何か重いものを持ってきた者の目をしていた。長い時間をかけて積み重ねてきた何かを、今日やっと運んできた、という目を。
「渡れます」とミナは言った。
ハルが舟を寄せた。老鬼が上がった。
桟橋に立った瞬間、老鬼はハルを見た。
「半鬼か」と言った。
「そうです」とハルは言った。
「左耳が尖っている」と老鬼は言った。「昔、似たような者を知っていた」
「誰ですか」
「昔の話だ」と老鬼は言った。それだけで、続きを言わなかった。
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小屋に三人で入った。
ミナが茶を淹れた。老鬼は茶を受け取り、ゆっくりと飲んだ。
「名を聞いてもいいですか」とミナは言った。
「ムロという」と老鬼は言った。「向こう岸の、古い者だ。この渡し場を、最初に作った者の一人でもある」
「最初に作った」とハルは言った。「この渡し場は、いつからあるんですか」
「私が数えられる限りでは、五百年以上前だ」とムロは言った。「しかし私より古い者は言っていた。もっと前からある、と」
「なぜ作ったんですか」とミナは言った。
ムロは茶碗を置いた。
「最初に作ったのは、一人の人間と、一人の鬼だ」と言った。「二人は、互いに会いたかった。しかし川を渡ることは、許されていなかった。だから、川の真ん中に桟橋を作った。こちらでも向こうでもない場所に。そこで会えるように」
「こちらでも向こうでもない場所」とミナは繰り返した。
「今で言えば、渡し場そのものが、その場所だ」とムロは言った。「最初は二人が会うための場所だったが、いつの間にか多くの者が使うようになった。人間が向こうへ渡り、鬼がこちらへ渡る。川を往来するための場所になった」
「最初の二人は」とハルは言った。「その後どうなりましたか」
ムロは少し間を置いた。
「離れた」とやがて言った。「それぞれの土地へ戻った。戻らなければならなかった。しかし——」
「しかし?」
「渡し場は残った」とムロは言った。「二人が去っても、場所は残った。場所は人より長く続く」
三人はしばらく黙っていた。
雨が屋根を叩いていた。
「ムロさん」とミナは言った。「今日、何を話しに来たんですか」
ムロは金色の目で、ミナを見た。
「北から軍が来る」とムロは言った。「ナギという人間の将が、鬼を討伐しながら南へ向かっている。もうすぐここへ来る」
「知っています」とミナは言った。
「渡し場を壊すつもりだと聞いた」とムロは言った。「境界を消せば、鬼はこちらへ来られなくなる。それが将の狙いだと」
「境界を消す」とハルは言った。
「境界がなければ、鬼は川を渡れない。鬼の土地は孤立する。そして軍が向こう岸へ渡り、鬼の里を一つずつ滅ぼしていく」とムロは言った。「それが将の計画だ」
ミナは窓の外を見た。雨の川が見えた。
「渡し場を守るために」とミナは言った。「何かできることはありますか」
「ある」とムロは言った。「しかし、それを話す前に、あなたたちに知っておいてほしいことがある」
「何ですか」
ムロはハルを見た。
それからミナを見た。
「この渡し場を、最初に作った人間と鬼のことだ」と言った。「その二人のことを」
「最初の番人ですか」とミナは言った。
「番人というより——」ムロは少し考えた。「選んだ者だ。渡し場を守ることを選んだ者だ。二人は選んで、ここに来た。引き寄せられたのではなく、選んだ」
「どう違うんですか」とハルは言った。
「引き寄せられたなら、去ることができない」とムロは言った。「しかし選んだなら、去ることもできる。そして、また選ぶこともできる」
「また選ぶ」とミナは言った。
「渡し場の番人は、いつも選んでここにいる」とムロは言った。「強制されているのではない。ここにいることを、毎日選んでいる」
ミナはムロを見た。
「あなたは、五百年間それを見てきたんですか」とミナは言った。
「見てきた」とムロは言った。「番人が変わるたびに、また誰かが選んでここへ来た。同じ場所に、違う顔で、違う名前で、しかし必ず来た」
「必ず二人で、ということですか」
「必ず二人で」とムロは言った。「一人ではない。必ず、二人だった」
ハルとミナは、互いを見た。
「私たちが」とミナは言った。
「今の番人は、あなたたちだ」とムロは言った。「選んでここにいるかどうかは、あなたたちが決めることだ。私が決めることではない」
雨が、少し強くなった。
川の水位が、わずかに上がった。
「ムロさん」とハルは言った。「私の目に、向こうで光るものが見えた。昨夜、一人で渡った時に。あれは何ですか」
ムロは少しの間、ハルを見た。
「私だ」とやがて言った。「見ていた」
「なぜ」
「半鬼が一人で向こうへ渡るのを見たことがなかった」とムロは言った。「珍しかったから、見ていた」
「それだけですか」
「それだけではない」とムロは言った。「あなたのことを、確かめたかった」
「何を確かめたかったんですか」
「恐れていないかどうかを」とムロは言った。「向こうの土地を踏んだ時、恐れていなかった。ただ、立っていた。それを確かめた」
「恐れていないことが、何か意味を持つんですか」
「持つ」とムロは言った。「渡し場の番人には、必要なことだ。恐れていれば、渡せない。恐れずに、しかし慎重に——それが番人の立ち方だ」
ミナが頷いた。
ハルはその頷きを見た。
ミナが同じことを、言葉なく教えてくれていたことを思い出した。
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ムロは夕方まで小屋にいた。
帰る前に、一つだけ言った。
「向こう岸の、山の中に、古い火がある」と言った。「何百年も燃え続けている。里の者は、鬼の火と呼んでいる。しかし鬼が作ったものではない。人間と鬼が一緒にいた時代に、誰かが灯した火だ」
「それが今でも燃えているんですか」とミナは言った。
「燃えている」とムロは言った。「消えたことがない。里の者も、なぜ消えないか分からない。ただ、燃えている」
「常火だ」とミナは言った。
その言葉が、自分の口から出てきた時、ミナは少し驚いた。
知っている言葉のはずがなかった。
しかし知っていた。
「常火」とムロは繰り返した。「あなたはその言葉を知っているのか」
「今、思い出した気がします」とミナは言った。「どこで聞いたかは分かりません。でも、知っている言葉のような気がします」
ムロは金色の目で、ミナをしばらく見ていた。
それから、深く頷いた。
「また来る」と言った。「軍が近づいたら、知らせる」
「ありがとうございます」とミナは言った。
ムロは舟に乗った。
舟が、向こう岸へと動き始めた。
漕いでいなかった。舟だけが、静かに、向こう岸へと進んでいった。
ハルはその舟を見ていた。
「常火」とハルは言った。「向こう岸の山に、常火がある」
「会いに行く必要があるかもしれない」とミナは言った。
「なぜ」
「分からない」とミナは言った。「でも、ある気がする。この渡し場と、あの火は、繋がっている気がする」
「最初に渡し場を作った者が灯したとしたら」
「そうかもしれない」とミナは言った。
舟が、霧の中に消えた。
ムロの金色の目が、最後に光って、消えた。
川が流れていた。
雨が上がり始めていた。
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(第三話 了)




