第73話:同調のテスト、あるいは累積される我慢大会
魔王から究極の尊厳破壊呪い――他人の肉体を造形すると、二十四時間、相手の生理現象と快感が自分の体に強制リンクする――という宣告を受けた翌日の金曜日。
大学の講義中、隣に座る松岡を見ながら、俺はふと考えた。
(……本当にリンクするのか?)
試してみたいという造形師の性が疼く。
もちろん、絶世の美女に変えて別の男に抱かれるような、とんでもない快感がリンクしてくる危険な真似は絶対にしない。だが、ほんの少しの変形ならどうだ?
「お前、なんか耳の形ちょっと左右非対称だな」
「は? なんだよ急に」
俺は松岡の右耳に軽く指を触れた。
ほんの数ミリ、耳たぶのラインをシャープに削る。指先にあの粘土をこねるような感触が走り、形が定着した。
「……ん? なんか今、耳引っ張ったか?」
「いや、気のせいだろ」
松岡の反応は小さい。やはりミリ単位の変形なら、本人にも違和感はないようだ。
数十分後、松岡が「ちょっと便所」と席を立った。
その瞬間、俺の下腹部にも『ツン』とした軽い尿意が走った。
(……なるほど、これか)
だが、我慢できないレベルではない。ただ「あ、あいつ今トイレ行ってるな」と遠隔で分かる程度だ。
(この程度の小さな変形なら、リンクする生理現象も大したことはない。これなら問題ないな)
俺は完全に油だんしていた。
この同調呪いの本当の恐ろしさを、まだ理解していなかったのだ。
◇
その日の夜。
俺は絶世の美少女「小野貴子」の姿になり、高級キャバクラ『バビロン』の控室にいた。
隣の席では、ルミが鏡を見ながら深いため息をついている。
「はぁ……昨日、自分の客と飲みすぎちゃってさ。顔、めっちゃ浮腫んでる。これじゃテンション上がんないよー」
見れば、確かにルミのまぶたは少し腫れぼったく、いつもの完璧なギャルメイクが乗らなそうだ。
俺は自分の手元を見た。
(昼間、松岡に使ったばかりだが……立て続けに複数人にも使えるのか?)
テストの絶好の機会だ。俺は「貴子」の可憐な微笑みを浮かべ、ルミに近づいた。
「ルミさん、目の腫れを治すツボ、知ってますよ。少し押しましょうか?」
「えっ、マジ? 貴子ちゃんお願い!」
俺はルミのこめかみの下に両手の親指を当て、そっと力を込めた。
ツボを押すふりをしながら、『造形魔法』の魔力を流し込む。
むにり、と皮膚の下の水分と脂肪を押し流し、まぶたの腫れをきれいに散らして、ルミ本来のぱっちりとした二重のラインを強調するように整えた。
「わっ……!? なになに、なんかスッキリしてきた!」
俺が手を離すと、ルミは鏡に顔を近づけて目を見開いた。
「うそっ! 腫れが完全に引いてる! しかもなんか、昨日より目力アップしてない!? 貴子ちゃん、すごすぎるんだけど!! 神の手じゃん!」
「ふふっ、よかったです」
ルミが大はしゃぎするのを見て、俺は内心でガッツポーズを決めた。
(複数人でも同時に使えるのか。しかも、形を良くしてあげればこんなに感謝される。生理現象のリンクさえ気を付ければ、最高の力じゃないか)
だが、その余裕は一瞬で消え去った。
「あー、スッキリしたら喉渇いちゃった。お水飲も」
二日酔いのルミが、ペットボトルの水をゴクゴクと飲み干した。
その瞬間――俺の膀胱に、ズシン! と強烈な重みが落ちてきた。
「……っ!?」
俺は思わず太ももを擦り合わせるようにして、身をよじった。
やばい。昼間、松岡がトイレに行ったときの比ではない。今すぐトイレに駆け込まないと決壊しそうなほどの、猛烈な尿意だ。
(ま、待て……なんでこんなに強いんだ!?)
脳裏に、魔王の笑い声が響いた気がした。
――気づいたか、小僧。
俺は戦慄した。松岡の耳。ルミのまぶた。一つ一つは小さな変形だ。
だが、魔法の代償である『同調』は、対象者が増えれば増えるほど、俺の肉体に「累積」されていくのだ。
松岡の尿意と、ルミの尿意。
二人の生理現象が、一つの膀胱(今は貴子の体)に足し算されて容赦なく押し寄せてくる。
しかも、ルミは二日酔い解消のために、さっきから緑茶やスポーツドリンクをパカパカと飲み続けている。
「うあぁ……っ、ル、ルミさん、私、ちょっとお花摘みに……っ!」
俺が内股で立ち上がろうとしたその時、無情にも黒服の呼び出しがかかった。
「貴子ちゃん、ルミちゃんと一緒に5番テーブルお願いね」
「はーい! 行くよ貴子ちゃん!」
「えっ、あ、ちょっ……!」
ルミに腕を引かれ、俺は両膝をガッチリとくっつけたまま、生まれたての子鹿のように震える足取りでフロアへと連行された。
◇
案内されたボックス席。
「いらっしゃいませぇー! 貴子ちゃんとルミでーす!」
ルミが元気よく隣に座る。俺も必死にオードリー・ヘップバーンのような可憐な微笑みを顔に貼り付け、ソファーに浅く腰掛けた。
だが、その実態は、限界まで尿意を我慢しているだけの硬直状態だ。
「おっ、すげえ美人だな! 貴子ちゃんっていうの? よろしくね。……じゃあ、とりあえず水割りで作ってよ」
「かしこまりました……っ」
俺は震える手でアイスペールを引き寄せた。
グラスに氷を入れる。カチャ、カチャ、という小気味よい音が響く。
普段なら何でもない音だ。だが、極限まで尿意が高まっている今の俺にとって、氷が触れ合う涼しげな音は、膀胱を直接刺激する悪魔のささやきに他ならなかった。
(……やばい、氷の音だけで……っ)
俺は太ももをギリギリと擦り合わせながら、マドラーでステアする。さらに、チェイサー用のミネラルウォーターをグラスに注いだ。
トクトクトク……。流れる水の音が、耳から脳へ、そして下腹部へとダイレクトに突き刺さる。
「ひぅっ……」
「ん? 貴子ちゃん、どうしたの?」
「い、いえっ、なんでもありません! お水、きれいに注げたなって……ふふっ」
俺は顔を引きつらせながら、必死に取り繕った。だが、追い打ちをかけるように、隣に座るルミが黒服に声をかけた。
「あ、私ウーロンハイね! あと、二日酔いだからチェイサーのお水、ジョッキでちょうだい!」
(ル、ルミさん、やめてくれ……!)
俺の心の叫びも虚しく、ジョッキになみなみと注がれた水が運ばれてくる。ルミはそれを手に取ると、ゴクゴクゴクッと喉を鳴らして半分ほど一気に飲み干した。
その瞬間。ズシンッ! と、俺の下腹部に新たな水分の重みが追加される感覚が走った。
「ああっ……!?」
俺は思わずソファーの上で身をよじり、両手でドレスのスカートの裾をギュッと握りしめた。
ルミが水を飲むたびに、俺の膀胱のキャパシティが仮想的にガンガン削られていく。
「いやー、美味しいお酒だね。貴子ちゃん、水割り作るの上手いよ。手先が繊細というか」
「あ、ありがとう、ございます……っ。お口に合って、よかったですぅ……」
笑顔の裏で、俺は地獄の業火に焼かれていた。
目の前でトクトクとお酒が注がれる水音。隣でルミがジョッキの水を飲み干す音。
そして、遠く離れた大学か自宅にいる松岡も何かを飲んでいるのだろう。時折、ルミとは違うベクトルからの「ツン」とした尿意の波が押し寄せてくる。
二つの異なる尿意の波状攻撃。
俺はお酒を作りながら、両膝をガクガクと震わせ、内股の極地みたいなポーズで必死に耐え続けた。
自分がいかにトイレに行きたくても、リンク元であるルミ(と松岡)が用を足してくれない限り、この苦しみは永遠に消えないのだ。
(早く……ルミさん、早くトイレに行ってくれ……! 私の尊厳が、決壊してしまう……ッ!)
魔王の究極の同調呪いは、キャバクラという水商売の最前線において、俺の精神を限界突破の我慢大会へと強制参加させていた。




