第72話:魔王の再臨、あるいは究極の肉体同調呪い
『――随分と、造形の魔を楽しんでいるようだな、小僧』
鼓膜を通さず、脳の奥底に直接響くような低く重い声。
俺は弾かれたように跳ね起き、机の上を見た。
三百円で買ったジャンク品の魔王フィギュア。
その小さなプラスチックの双眸が、暗い部屋の中で不気味な赤い光を放っていた。
最初の夜、俺に魔法を与えた時と同じ光だ。
「魔王……っ! お前、楽しんでるっていうか、俺は肉飢餓のせいで毎日命がけなんだよ!」
『くくく……。だが、自らの肉体をあの次元まで造り変えた執念は見事だ。お前のその形への執着、やはり我が目に狂いはなかった』
「褒められても嬉しくない。それで、今日は何の用だ。まさか魔法を取り上げるとか言わないだろうな?」
キャバクラで稼がなければ生活が破綻し、この危険なアパートから引っ越すこともできない今の俺にとって、魔法を取り上げられるのは死活問題だった。
『案ずるな。むしろその逆だ』
魔王の赤い目が、すっと細められた気がした。
『以前、いずれは他人の肉体も変えられると言ったのを覚えているか?』
「あ……」
言われてみれば、公園で初めてこいつを召喚した夜、「いずれは他人もな」と告げられていた。
『今日より、お前は他者の肉体すらも意のままに造り変えることができる』
「マジか……!」
俺は思わず身を乗り出した。
他人の顔をいじれるなら、キャバクラの裏で「神の整形師」として大金を稼げるかもしれない。自分自身が危険な接客をしなくても済む、最強のビジネスチャンスだ。
だが、魔王は俺の浅はかな考えを見透かしたように、低く笑った。
『喜ぶのは早いぞ。お前自身を造形した際、己の肉と力から対価を支払う“肉飢餓”が起きたように……他者の形をいじることにも、当然、相応の代償が存在する』
「……ごくり。今度は、何を食いたくなるんだよ。骨か? 血か?」
『食欲ではない。他者の肉体をいじるということは、お前の魔力と対象の肉体を深く繋ぎ合わせるということ。ゆえに、造り変えた相手の“体の反応”は、お前に強制同調する』
「体の反応……?」
魔王は淡々と、しかし残酷な事実を告げた。
『左様。お前が他者に施した造形が定着するまでの期間――すなわち「一日(二十四時間)」だ。その間、離れた場所にいても、造形した相手の生理現象がお前に直接伝わる。相手が排泄を催せば、お前も同時に便所に行きたくなるということだ』
「生理現象が……? いや、それだけでも結構最悪なんだけど」
『くくく、それだけではないぞ』
魔王の赤い目が、妖しく光った。
『もし、造形した相手が“性的な快感”を得た場合……その生々しい感覚も、すべてお前の肉体に流れ込んでくる』
部屋の空気が、シンと凍りついた。
俺の脳内で、その「代償」のシミュレーションが最悪の形で展開されていく。
たとえば俺が、悩める女の子の顔や体を絶世の美女に造り変えてやったとする。綺麗になった彼女は、当然男からモテるようになる。
そして、その一日(二十四時間)の間に、彼女が別の男と性行為に及んだ場合。
「……待て待て待て! それってつまり、遠く離れたアパートにいる俺(男)が、いきなり体の中に男の“挿入感”と、女が感じる“絶頂の快感”を強制的に味わわされるってことか!?」
『いかにも。相手の心の動きや、誰に対する感情かは分からん。だが、肉体が味わう快楽と生々しい交わりの感触だけは、二十四時間の間、お前の体を容赦なく貫くことになろうな。もちろん、便所のタイミングも一緒だ』
「ふざけんな!! なんだその究極の尊厳破壊呪いは!!」
俺は机の上の魔王フィギュアに向かって全力で叫んだ。
中身が普通の男子大学生である俺にとって、それは男としての自我を根底からへし折られる、想像を絶する地獄だった。
『くははは! 究極の美を創り出すとは、それほどまでに業が深いということだ。他人の人生の形を変えようとするなら、その者の肉の業を二十四時間丸ごと背負う覚悟を持て』
「誰がやるか!! 絶対に他人の顔なんていじってやらないからな!」
『果たしてどうかな。お前のその“直したくて仕方がない”という造形師の性が、いつまで抑えきれるか……見物だな、小野隆史』
その含み笑いを最後に、魔王フィギュアの赤い光はふっと消え、ただの安っぽいプラスチックの置物に戻った。
後には、激しい悪寒と嫌悪感に両腕を抱きしめて震える俺だけが残された。
(……絶対に、他人の体だけは触らない。何があってもだ!!)
俺は心に固く誓った。
誓ったが――俺のこの決意が、後にとんでもない形で崩れ去り、想像を絶する地獄の一日(二十四時間)を見ることになるのを、この時の俺はまだ知る由もなかった。




