第68話:深夜のホットスナック、あるいは美術系のトラウマ
店を出た俺たちは、その足で近くのコンビニへと向かった。
自動ドアをくぐるなり、ルミは迷うことなく酒売り場へと直行する。俺は買い物かごを手に取ると、レジ横のホットスナックのケースへと吸い寄せられた。
「唐揚げ棒と、あと揚げチキン……今ここにあるやつ、あるだけ全部ください」
店員が一瞬目を丸くしたが、俺は真顔だった。
日払いでもらったばかりの一万円札を崩し、締めて1950円。
背後を振り返ると、ルミが呆れたような顔で立っていた。
「ほんとに、肉が好きなんだね」
「ご、ごめん……」
「謝ることじゃないけどさぁ」
ルミの持っているかごを見ると、ビールと缶チューハイが五本ずつ、ぎっしりと詰まっていた。
「こんなに飲むの?」
「今日は、貴子ちゃんの初指名記念のお祝いだからね!」
ルミは機嫌よくウインクしてみせた。
コンビニを出て、ルミの住むマンションへ。
ルミがカードキーをかざすと、エントランスの自動ドアが開く。
「今日は泊まっていくでしょ?」
「いいの? たすかる……」
実際、本当に助かる。あのヤンデレ化した翔子が待ち伏せしているかもしれない下宿には、今夜は絶対に帰れない。
「だけど、明日授業があるから、朝早く出ないといけないの」
「そっかー、大学生だもんね。全然いいよ!」
ルミは明るく返してくれたが、俺の内心はどんよりと重かった。
明日は「小野隆史」として大学に行かなければならない。そのためには、朝早く起きて、危険地帯であるアパートに戻り、教科書や着替えをなんとか持ち出さねばならないのだ。
「貴子ちゃん、どうしちゃったの? 暗い顔して」
エレベーターの中で、ルミが心配そうに下から覗き込んできた。
「えっ、あ、大丈夫だよ。問題ないよ」
「ほんとかなぁ……」
部屋に着くと、ルミは買ってきたビールと缶チューハイを慣れた手つきで冷蔵庫へ入れた。
「貴子ちゃん、何飲む?」
「じゃあ、ビールを……」
ルミはグラスを二つ持ってきて、自分にはチューハイを、俺にはビールを注いだ。アルコールには少し嫌な記憶があるが、今日ばかりは付き合わないわけにはいかない。
俺は買ってきたコンビニ肉の山を、ルミが持ってきてくれたお皿の上に積み上げた。そして、乾杯もそこそこに唐揚げ棒へとかぶりつく。
「ほんとに、貴子ちゃんよく食べるよねぇ……」
俺が獣のように肉を貪る姿を見て、ルミは頬杖をつきながら感心したように呟いた。
お酒が入り、ルミの質問攻めが始まった。
「ねえねえ、貴子ちゃんって大学で何勉強してるの?」
「えっと、け、経済とか……」
「へえー! 出身はどこなの?」
「広島……」
「彼氏はいるの? 男の人の趣味はどんな感じ?」
ルミは興味津々といった様子で、次々と矢継ぎ早に聞いてくる。俺もアルコールが少し回ってきたせいか、警戒心が薄れ、あまり深く考えずに適当に相槌を打ちながら話してしまった。
「そっかー。実はさ、私もこう見えて、学校には一応行ってるんだよね」
チューハイのグラスを傾けながら、ルミがふとそんなことを口にした。
「えっ、ルミさん学生だったの?」
「うん。デザイン系の学校」
「えっ……デザイン、美術系?」
――その単語を聞いた瞬間。
俺の背筋に、ゾクッと氷のような悪寒が走った。
『どう? 天使の拘束よ。きれいでしょ』
『あなたがモデルになってくれれば、私、今度の絵画展で絶対に賞をもらえる気がするの』
脳裏に、画用紙に向かって鉛筆を走らせる翔子の姿と、手足をベッドに縛り付けられた恐怖の記憶が鮮明にフラッシュバックする。
「ちょっと、貴子ちゃん? どうしたの、急に顔色悪くなって……」
ルミが不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「い、いや……なんでもないです……」
俺は引きつった笑いを浮かべながら、手元の唐揚げ棒をギュッと握りしめた。
「美術系」という言葉のトラウマは、俺の想像以上に深い傷を残していたらしい。




