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ボウモアの誘惑、あるいはテンパり美少女の無自覚クリティカル

テーブルの一番奥、つまり主賓席である上座には、上機嫌でソファに深く腰掛ける水黒部長。そのすぐ隣の下座側に、サポート役としてせっせとお酌のタイミングを窺う部下の藤井さん。そして通路側の手前席に、緊張でカチコチになった俺(貴子)。


本来なら、おじさん二人の接待をスムーズに回すための正しい配置フォーメーションなのだが……横一列のボックス席で、おじさん二人からの熱い視線を同時に浴びるという地獄のプレッシャーに変わりはなかった。俺は必死に平常心を装って、テーブルの上のメニューに目を向けた。


「ご、ごめんなさい、まずはお客様に、お酒を選んでいただくのですよね」


俺は少し首を傾げながら、奥に座る水黒部長と、その隣の藤井さんを交互に見つめた。


「ウイスキーになさいますか? それとも、焼酎ですか?」


「いいねぇ。じゃあ、ウイスキーを頼もうか」


「かしこまりました。ウイスキーお願いします」


手前の通路側にいる俺が声をかけると、黒服のスタッフがすぐに手際よくウイスキーのボトルとグラスのセットを持ってきた。これだけは、手前の席にいて動きやすかった。


「あ、角だ」


サントリーの角瓶を見て、俺はつい素の感想をこぼしてしまった。


「おっ。貴子ちゃん、ウイスキー飲むの?」


奥から水黒部長が、興味深そうに身を乗り出して顔を寄せてくる。遮るものが藤井さんしかいないので、二人の距離が妙に近い。


「あ、はい……家で飲みますから。でも、家ではバランタインの方が多いですね」


「へえ、バランタイン」


「はい。安いですし。角って、最近意外と高いんですよね」


(……しまった!)


言った直後に気づいた。


絶世の美少女の口から出るセリフが、完全に「家飲みする中年のオッサン」のそれだ。ルミが選んでくれたロイヤルブルーのドレスを着たいい女が、スーパーの角瓶の底値を気にするな。


「がっはは! 貴子ちゃん、意外と庶民派というか、生活感あるねぇ!」


幸い、水黒部長は嫌がるどころか大笑いしてくれた。


「じゃあ、ウイスキーの作り方はわかる?」


「んー……じゃあ、私なりの作り方でよろしければ。どうやって飲まれますか?」


「ん?」


「ストレート、ロック、水割り、ソーダ割りってあるじゃないですか」


「オッ、詳しいな。じゃあロックで頼むよ」


俺は手元にグラスを引き寄せると、まず氷だけを入れてマドラーでステアした。


カチャカチャと小気味よい音が響く。正面と斜め上、つまり奥に座る二人の大人が、至近距離で俺の手元をじっと見つめているのがわかる。変な汗をかきそうだ。


グラスが十分に冷えたところで、溶けた氷と水を一度捨てる。そして、そこに新しい氷を入れ直し、ウイスキーを静かに注いだ。


「ほう……わかっているねぇ」


部長のすぐ隣にいた藤井さんが、感心したように目を細めた。


「父に、そうしろと言われたので……」


俺は咄嗟に「酒好きの父親」という架空の存在をでっち上げた。


「お父さんもお酒好きなの?」


「はい。最近、ジャパニーズウイスキーって流行ったじゃないですか。父がボーナスが出たときに『山崎の12年』を買ってきて、お母さんにすごく怒られてました」


「あはは! そりゃ怒られるわな」


「私は、もったいないからって舐めさせてもらえませんでしたけど……」


完璧なフォローだ。これで「ウイスキーに詳しいのは父親の影響」という設定が完成した。


「貴子ちゃん自身は、お酒飲めるの?」


飲めると言えば、かなり飲める。


中身の『小野隆史』は酒に強く、時間をかければ日本酒を半升くらいは余裕で空けられる。


ただ……この体(貴子の姿)に変身した状態で、酒を飲んだことが一度もない。


もしこのバグみたいな美少女ボディが下戸だったら、一杯で急性アルコール中毒になりかねない。


「ええと……たぶん、少しなら」


俺が控えめに答えると、水黒部長が上機嫌で手前の俺越しに黒服を呼んだ。


「よし、じゃあ貴子ちゃんにも何か……おっ」


水黒部長が言葉を切って、通路の方へ視線を向けた。俺もつられてそちらを見る。


「失礼しまーす!」


聞き慣れた明るい声とともに、鮮やかな赤のドレスを着たルミが、ようやくフロアからこちらへ(そして、空いている俺の隣の席へ)歩くところでだった。

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