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初めての単独接客、あるいは黒ハイヒールの初心者営業

俺たちは、夜の戦場――高級キャバクラ『バビロン』に到着した。


控室に入ると、当たり前のようにルミが俺のドレスを見繕ってくれる。


今日渡されたのは、脚のラインが大胆に出る黒いタイトなワンピースと、高めの黒いヒールだった。


「……これ、歩けるかな」


俺はヒールに足を通し、生まれたての子鹿のようにプルプルとバランスを取りながら姿見の前へ向かった。


ルミは自分のロッカーから、鮮やかな赤のドレスを選んで手早く着替えている。


「そういえば貴子ちゃん,今日さっそく指名入ってたでしょ。一人で大丈夫?」


「えっ? ルミちゃんも一緒に来てくれるんじゃないの?」


俺が素で驚くと、ルミは呆れたように笑った。


「指名されてない席には勝手に行けないよ。キャバクラのルール」


「そうなの……大丈夫かな」


「平気平気! 黒服さんに見てもらうように言っておくから。もしヤバそうだったら、私がヘルプに入るし」


ルミが頼もしくウインクをしてくれる。


「……まあ、女は度胸、よね」


俺が(中身は男だが)自分に言い聞かせるように言うと、ルミは「その意気!」と笑った。


「ところで、指名してくれたのってどんな人? この前の人だよね」


「うん。たしか、コンピューター関係の会社の課長さんだったかな」


「コンピューター関係って、どんなお仕事なんですか?」


「そんなの私にわかるわけ無いじゃん! 自慢じゃないけど、私スマホしか触ったことないんだから!」


ルミが堂々と胸を張る。


「そうですか……」


まあ、ルミちゃんらしい。



やがて店が開き、フロアに活気が出始めたころ、二人の客が入ってきた。


「右側が水黒みずくろさん。左が藤井ふじいさんね」


すれ違いざま、黒服のスタッフが小声で教えてくれる。


指名してくれたのは水黒さんの方だ。


「ありがとうございます」


「頑張ってね!」


背中越しにルミの小声援を受け、俺は「はい」と小さく頷いた。


履き慣れないヒールのせいで、どうしても歩幅が小さく、慎重になる。


だが、そのゆっくりとした足取りが、客から見れば「初々しく、たどたどしい清楚な美女の歩み」として完璧な演出になっていたことに、俺は気づいていなかった。


ボックス席に近づき、俺は深く、丁寧にお辞儀をした。


「今日はご指名、ありがとうございます。……先週は、粗相をしてしまって申し訳ございませんでした」


先週の「粗相」――ルミの太ももや鎖骨を造形師目線で褒めちぎった結果、ルミが限界化してキスされ、俺がショートして倒れたあのカオスな事件のことだ。


「がっははは!」


水黒さんが、豪快に腹を抱えて笑った。


五十代くらいだろうか。いかにも叩き上げの営業マンといった風体のエネルギッシュな男だ。一緒にいる藤井さんは四十代前半で、少し大人しそうな雰囲気。おそらく部下だろう。


「いやぁ、謝ることはない! この前は、むしろいいもの見せてもらったよ!」


豪快に笑い飛ばしてくれる水黒さんに、俺は少しだけホッとした。


同時に、頭の中で「小野隆史」の打算が働く。


ここは、下手に見栄を張るより、素直に初心者カードを切ったほうがいい。


「私、前回が体験入店で……今日が、本当に初めての接客なんです」


俺は少しだけ上目遣いになり、もじもじと両手を膝の上で重ねた。


「お手柔らかにお願いします。ほんとに、一通りの接客しかまだ習っていなくて……こういう場所の作法、もしよろしければ、教えていただけますか?」


完璧な「教えを乞う清楚な美少女」の構え。


中身が造形オタクの男子大学生だとは、目の前の男たちは一ミリも疑っていない。


「任しとけ!」


水黒さんが、気を良くしてバンッと膝を叩いた。


「まずは客に酒を注がなきゃ、話が始まらんぞ!」


キャバクラ嬢「小野貴子」の、初めての単独接客が幕を開けた。

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