着せ替え人形、あるいは獣のサラダチキン
髪が完全に乾いた後、ルミは顔を貴子(俺)の髪に押し付けて、深く息を吸い込んだ。
「いい匂い。お好み焼きの匂いはもうしないわね」
「貴子ちゃん、お好み焼き屋で働いてんの?」
「うん」
「さっき臭ってみたけど、服にまで匂いがついてたわよ」
「えっ」
俺は驚いた。公衆トイレで持ってきた服(白いブラウスと青いスカート)に着替えたはずなのに、体に染み付いていた匂いが、服にまで移ってしまっていたのか。さすがお好み焼きだ。
「でさ。この服、洗っちゃおうと思うんだけど」
「い、いいよ。大丈夫」
「『大丈夫』じゃないよ。あの服着ていったら、また匂いがしちゃうわよ。店長や他の女の子には絶対にわかるわね。馬鹿にされるわよ」
「そんなもんですか……」
「そんなもんなの。バビロンに行く服は、私が貸してあげるから」
「……じゃあ、洗ってください」
「はいはい」
ルミは、俺が脱いだ白いブラウスと青いスカートの一式を持って、洗面所の洗濯機へと向かった。
しばらくして戻ってきたルミは、借りたTシャツ一枚でソファに座っている俺を見て、ふふっと笑った。
「貴子ちゃん」
「はい」
「今日、その格好でバビロンに立つ? すごく可愛いもの。天使みたい」
その瞬間、ルミの目が、完全に『獲物を狙う目』になっていた。
口角が吊り上がり、美しい顔にうっすらと猟奇的な色が混じっているのを見て、俺は少しぞっとした。
昨日の翔子のヤンデレ顔がフラッシュバックしたが、いや、気のせいだ。ただの着せ替え人形として面白がられているだけだ、と自分に言い聞かせる。
「ありがとうございます……」
「ねえ、貴子ちゃん。さっき三万の部屋に住んでるって言ってたけど、ほんと?」
「はい」
「大学生だったよね。仕送りが少なくて、バイトでやりくりしてるの?」
「あっ、ルームメイトとルームシェアしてるってことは、家賃六万の部屋を折半してるってことか。そんなとこだよね」
ルミの頭の中では、六畳一間のボロアパートに女二人でルームシェアしている苦学生、という設定ができあがっているらしい。
(実際は、むさ苦しい男の一人暮らしなんだが……)
「でも、今の部屋から切実に引っ越したいとは思っています」
「そうなの?」
「バビロンで働くのは、そのお金の捻出で……」
「ふうん。でも、週一回だけだと大して稼げないよ?」
「そうなんですよね。でも、他のバイトがあって……」
その時だった。
急に、内臓を直接掴まれるような猛烈な肉飢餓が襲ってきた。
「っ……!」
「ごめんなさい、私、カバンどこに……」
「これ? なんか大きいし、重いけど、何が入ってるの?」
「お肉です……」
「は?」
俺は震える手でカバンから保冷バッグを取り出し、ラップに包んだ自家製のサラダチキンを取り出した。
そして、ルミの目の前で、断りも何もなしにそれに食らいついた。
むしゃむしゃ、ガツガツ。
清楚な絶世の美女が、高級タワマンのソファで、獣のようにサラダチキンを貪り食う。
ルミは完全にドン引きして、言葉を失っていた。
数分後、飢餓が落ち着いた俺は、荒い息を吐きながら深く頭を下げた。
「ごめんなさい。私、病気なんです」
「……病気?」
「プラダー・ウィリー症候群って言うの」
俺は、以前スマホで調べた病名を咄嗟にでっち上げた。
「脳の満腹中枢が壊れてるみたいで、どれだけ食べても満腹感が得られないんです。本当は食べ物全般なんですけど、なぜか私は『肉』への執着と飢餓感が異常に強くて……」
「……気持ち悪いよね」
俺が少しだけ目を伏せて自嘲気味に言うと、ルミは慌てて首を振った。
「ごめん! そんなことないよ。初めて見たからびっくりしたけど……そういう病気なら、仕方ないよ」
ルミは気まずさを紛らわすように、パンッと手を打って話を切り替えた。
「ねぇ、貴子ちゃん、服選ぼうか!」
「どんな服がいい? これ着てみなよ」
ルミがクローゼットから出してきたのは、青い水玉のワンピースだった。
「あと、この帽子かぶってみて!」
ルミに言われるがままに着替え、姿見の前に立つ。
(……我ながら、可愛いな)
鏡の中にいたのは、クラシック映画から抜け出してきたような、完璧な美少女だった。




