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肉飢餓の首輪、あるいは優しいお姉さんの甘やかし

「じゃあ、山本秀くん。学校は、どこの学校?」


その質問に、俺は近所の公立中学校の名前をでっち上げようと口を開きかけた。


だが、その瞬間だった。

 腹の底から、内臓を直接鷲掴みにされるような爆発的なうねりが突き上げてきた。


(……っ!?)


肉だ。

 二十四時間フルで造形を維持し続けた代償。


さらに昨夜、彼女の異常なプロデュース欲に付き合わされて体力を底まで削り取られていたのだ。

 限界を超えた肉飢餓が、突如として牙を剥いた。


立っていられないほどの激痛と空腹。

 俺はグラウンドの緑の上に、がくりと膝をついた。


「どうしたの!?」


翔子が焦った声を上げる。


「肉……」


俺は呻くように、喉の奥からかすれた声を絞り出した。


「なにか、肉が食べたい……!」


その言葉を聞いた瞬間、翔子の動きがピタリと止まった。


「……えっ。あなたもなの?」


彼女の目に、驚きと、何かの点と点が繋がったような納得の色が浮かんだ。


(……しまった)


普通の「小野隆史」の時も、「宝塚隆史」の時も、俺は翔子の前で狂ったように肉を貪った前科がある。

「この関係者は皆、異常なほど肉を欲する体質」という設定が、彼女の中で勝手に補完されてしまったらしい。


「ここでは無理ね。近くのコンビニまで行きましょう」


翔子が俺の腕を引いて肩を貸そうとする。

 だが、足に全く力が入らない。


細胞のすべてが「肉を入れろ」とストライキを起こし、一歩も前に進めなかった。

 グラウンドを出てすぐの公園で、翔子は歩けなくなった俺をベンチに寝かせた。


「コンビニでなにか肉類買ってくるから、少し待ってて」


翔子が小走りで駆け出していく。


待っている間、意識が白濁していくのを感じた。

 今までにないほどの猛烈な飢餓感。


コンクリートでも草でもいいから噛みちぎりたいほどの錯乱状態の中、どれくらい経っただろうか。


「秀ちゃん、お待たせ」


翔子の声とともに、目の前に香ばしい油と肉の匂いが差し出された。

 コンビニのホットスナックのからあげ棒だ。


理性が完全に吹き飛んだ。

 俺は跳ね起き、翔子の手から奪い取るようにしてそれに食らいついた。


「っ!? 待って、串ごと食べちゃダメ!」


俺が竹串ごと喉の奥へ押し込もうとした勢いに、翔子が慌てて串を引き抜く。

 熱さも味も関係ない。


ただ胃に「肉」が落ちていく感覚だけが、干上がった脳を微かに潤していく。


二本のからあげ棒を一瞬で平らげ、俺は荒い息を吐いた。

 まだ足りない。もっとだ。


焦点の合わない目で翔子を見上げると、彼女は俺の口元を指で優しく拭いながら、ふわりと、底知れぬほど甘く微笑んだ。


その目は、完全に『優しいお姉さん』のそれだった。


「ゆっくりでいいわよ……よしよし、えらかったね、秀ちゃん」


手のかかる小さな弟を思いきり甘やかすような、とろけるような声で翔子は俺の頭を撫でた。


「お姉さんのそばにいれば、もう大丈夫。お腹いっぱいたべさせてあげるからね。……わかった?」


甘く、恐ろしい『お姉さん』の響き。


逃げなければ。

 この『優しいお姉さん』のアトリエに連れ込まれたら、俺は完全に胃袋を握られ、もう二度と元の生活には戻れない。


だが、肉飢餓に抗いきれず、ぼんやりと霞む俺の頭は、甘やかしてくれる温かい手にすがるように勝手に縦に振られていた。


「……わかった」


「ふふっ、いい子」


俺はフラフラと立ち上がり、翔子に手を引かれるがままに歩き出した。


繋がれていない方の、彼女の反対の手。

 そこからは、スパイシーなフライドチキンの匂いが強烈に漂っている。


視線をやると、コンビニのレジ袋の中には、チキンや肉のパックがこれでもかと袋いっぱいに詰め込まれていた。


(……あの中に、まだ肉が……)


抗えるはずがなかった。


俺は完全に自我を手放し、鼻先に吊るされた肉の匂いと、底なしの甘さを放つ『優しいお姉さん』に引かれるまま、逃げ場のない愛の巣へと足を踏み入れていった。

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