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自家製の隠し味

「とりあえず、何か食べるか」

隆史がそう言って冷蔵庫を開けると、棚の一角が異様な光景を呈していた。 整然と並んだ、乳白色の塊。透明なラップに包まれた自家製のサラダチキンが、十数個も詰め込まれている。その隣には、スーパーでまとめ買いしたらしい砂肝のパックが山積みになっていた。

背後から覗き込んでいた翔子が、絶句して目を丸くする。

「……宝塚くん。これ、全部サラダチキンと砂肝ですか?」

「ああ。効率がいいからな。タンパク質は大事だろ」

「野菜、食べてるんですか……?」

「食べてるよ。トマト缶とか、冷凍のやつとか」

翔子は疑わしげな目を向けたまま、一歩踏み込んできた。

「本当ですか? 偏りすぎですよ。……今度、ちゃんと栄養バランスを考えたご飯、作りに来ますね」

その言葉に、隆史の背筋が凍りついた。もし抜き打ちで「お掃除」や「炊き出し」に来られたりしたら、自分の正体に関わる「物」を隠し通せなくなる。

「やめてくれ」

「えっ、そんなに嫌ですか?」

「いや、そうじゃなくて……本当に食べてるし。一人で平気だから」

反射的に拒絶してしまったが、隆史の脳内は冷や汗でいっぱいだった。今の「宝塚」としての自分を維持するための「維持費(肉食)」を、翔子の健全な価値観で裁かれるわけにはいかない。

隆史は焦りを誤魔化すように、トマト缶とパスタの袋を引っ張り出した。

「とりあえず、パスタくらいならすぐできる。座って待ってろ。これでもホテルの連中に、いろいろ教わってるんだ」

隆史は手際よく湯を沸かし、トマトソースを煮込み始めた。まな板の上で、冷蔵庫から出したサラダチキンを一つ、丁寧にスライスしていく。

「このサラダチキン、俺の自家製なんだ。温度管理からこだわってる。……食べてみる?」

皿に並べた一切れを差し出すと、翔子がおずおずと口に運んだ。

「……おいしい。しっとりしてて、全然パサついてない」

「だろ。低温調理の賜物だ」

料理の腕で、少しだけ空気が和らいだ。しかし、この安堵が命取りだった。

食後、パスタの皿を片付けていた隆史に、翔子が遠慮がちに声をかける。

「……宝塚くん。パジャマ、貸してもらえますか? さすがにこの格好で寝るわけにはいかないので。あなたの、大きめのシャツとかでいいんです」

「ああ、いいよ。……ええと、たぶん棚の奥の方に――」

「あ、私が探します」

翔子が自然な動作でクローゼットの扉に手をかけた。

「あ、待て――!」

制止の声は、無慈悲に開かれた扉の音にかき消された。 隆史のTシャツやスウェットが並ぶその奥、ハンガーラックの端に、それはひっそりと、けれど明確な異物として吊るされていた。

駅前の古着屋で買った「小野貴子」としての衣装。 着古された、けれどラインの綺麗な黒のワンピース。 そして、『ローマの休日』を思わせるクラシックなブラウスとスカート。

翔子の手が、自分のシャツを探す動きを止めた。六畳一間の空気が、一瞬で凍りつく。

「……宝塚くん」

低く、震える声だった。

「これ、なんですか」

「あ……それは、その……姉貴のだよ」

とっさに出たのは、あまりに苦しい言い訳だった。

「姉貴がこの前遊びに来たときに、古着屋で買ったんだけど、荷物になるから置いていったんだ。……次にこっちに来るときに着るからって」

翔子は黙ったまま、その黒いワンピースの裾を指先でつまんだ。

「……お姉さん、わざわざ古着のワンピース一着と、こんな……映画みたいな服だけを、弟の家に『予備』として置いていくんですか? 着替えのセットがあるわけでもないのに」

鋭い。あまりにも正論だ。特定のテイストに偏った「二着だけ」の女物の服。それは、誰か特定の女性が、この部屋で「別の誰か」を演じるために用意された舞台衣装のようにさえ見えた。

「……アイツ、変わってるんだよ。安かったからとりあえず買っただけだって言ってたし」

「お姉さん……。さっきの麻衣さんと、趣味が似てるんですね」

その一言に、隆史は心臓が止まるかと思った。

「お姉さんも、麻衣さんみたいに……あなたのことを、私の知らない名前で呼ぶんですか?」

翔子の問いは、もはや浮気への疑いを超えていた。彼女が愛している「宝塚」という男の背景に、自分の知らない「現実」が幾重にも重なっている恐怖。

「……違う。本当に、姉貴のだって」

翔子はクローゼットから手を引き、一番手前にあった隆史の使い古されたTシャツをひったくるようにして取り出した。

「……これを、借ります」

翔子はTシャツを抱きしめたまま、ベッドの端に座り込んだ。

(落ち着け。麻衣との浮気を疑われる方が、まだマシだ。貴子の正体が――自分が女になって夜の街で働いていることがバレるよりは……!)

「宝塚くん。……私、今日、本当に泊まっていいんですよね。その……お姉さんは、本当に来ませんよね?」

自家製サラダチキンの塩気が、喉の奥でひりついた。 嘘に嘘を重ね、自分の正体という巨大な爆弾を背後に隠したまま、隆史は頷くしかなかった。

「……ああ。姉貴は今日は来ない。風邪引かないように、布団、ちゃんと使えよ。俺は……床で寝るから」

パスタは、すっかり冷めていた。 隆史は、翔子の視線が時折、閉ざされたクローゼットの扉へ向くのを、絶望的な心地で見守ることしかできなかった。

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