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陥落のバビロン ―その造形、魔性につき―

フロアは、紫煙と高級な酒の香りが混じり合う独特の熱気に包まれていた。

 隆史――今は「貴子」として、ルミに連れられて最初のテーブルにつく。


「失礼しまーす! 今日から入った新人の貴子ちゃんでーす。超絶美人でしょ?」


ルミが明るく場を盛り上げる。テーブルに座っていたのは、いかにも羽振りの良さそうな会社経営者風の男二人組だった。彼らは貴子の顔を見た瞬間、持っていたグラスを宙で止めた。


「……おい。なんだ、この子は。本物か?」

「『バビロン』もついに二次元から引き抜いてきたのかよ……」


男たちの視線が、ドレス越しでも分かる貴子の完璧な曲線に釘付けになる。本来なら、ここで「笑顔は消費税」を繰り出す場面だ。だが、隆史の意識はそれどころではなかった。


(……近い。近すぎるだろ、ルミ!)


貴子のすぐ隣で、ルミが「えへへ、すごいでしょー」と笑いながら、男たちの水割りを作っている。そのたびに、ルミの短いミニスカートの裾が跳ね上がり、健康的な太もものラインが貴子の視界を暴力的に占領する。さらに、身を乗り出した彼女の深い胸元が、計算外の角度から迫ってきた。


(……この肌の質感、どうなってんだ。俺の魔法でも、この『生身の柔らかさ』のニュアンスを再現するのは至難の業だぞ……)


「……ねぇ、貴子ちゃん? 聞いてる?」


客の一人が苦笑いしながら声をかけてきた。貴子はハッとして、慌てて視線を客に戻したが、その瞳にはまだルミの「造形美」への驚嘆が残っていた。


「あ、すみません。……ルミさんの、その……脚のラインが、あまりに完璧で。つい、見惚れてしまって」


鈴を鳴らすような声で、貴子は本心を口にした。男たちは一瞬呆気に取られたが、次の瞬間、爆笑した。


「ガッハハハ! 新人さん、あんた面白いな! 客を差し置いて隣の女の子を口説き始めてどうすんだよ!」

「いや、でもわかりますよ。ルミさん、今日のドレス、すごく似合ってますよね」


貴子は、もはや「小野隆史」としての鑑賞眼を隠そうともしなかった。客が投げかけるべき賛辞を、貴子が先んじて、しかも「造形師」としての異常な解像度でルミに浴びせ始める。


「特に、その鎖骨から肩にかけてのカーブ。光の反射が計算され尽くしたような美しさです。……ね? そう思いませんか?」


貴子に同意を求められ、客の男たちもつられてルミを凝視する。

「……おう、確かに。言われてみれば、今日のルミちゃん、芸術品に見えてきたわ」


「え、ええーっ!? なに二人して私をじろじろ見てるの! 恥ずかしいよ!」


百戦錬磨のルミが、貴子のあまりに純粋で専門的な「褒め」に、本気で顔を赤くして身をよじった。フロアの一角に、接客の教科書には一文字も載っていない、奇妙で濃厚な空間が出来上がっていた。


「おいおい、もしかして……貴子ちゃん、ルミちゃんと『そういう』関係なのか? 百合ってやつ?」


客の冷やかし。だが、その言葉を遮ったのは、耳まで真っ赤にしていたはずのルミだった。

「えー? でもぉ、貴子ちゃんみたいな美人にそんなに褒められたら……私、本当になってもいいかも。ねぇ……一回、してみる?」


「え、は……っ!?」


次の瞬間、ルミが貴子に抱きつき、その瑞々しい唇を寄せてきた。

 隆史の脳内はパニックで真っ白になる。目の前には、自分が最も理想的だと感じた「造形」のパーツが、今まさに物理的な接触を求めて迫っているのだ。


「うおおお! やっちゃえルミちゃん!」

「いけいけ! 伝説作っちゃえよ!」


柔らかな感触が貴子の唇に押し当てられた。

(…………っ!!)

 その瞬間、隆史の全身をかつてない衝撃が突き抜けた。

 二十四時間持続するはずの変身魔法が、強烈な心拍数の上昇と、ノーブラの胸に押し当てられたルミの柔らかい感触の過負荷によって、内部から瓦解しそうになる。


足腰が立たなくなった貴子は、そのままぐにゃりと崩れ、ソファーへと押し倒された。美女二人が絡み合う、この世のものとは思えない光景を、客たちは息を呑んで網膜に焼き付けていた。


「おい! 何やってんだお前ら!!」


そこへ、血相を変えた店長の佐藤が割って入った。

「ルミ、離れろ! ハプニングバーじゃないんだ! 営業停止にする気か!」


佐藤が強引に二人を引き離す。貴子は髪を乱し、放心状態でソファーに沈んでいた。頬は火が出るほど赤く、呼吸は激しく乱れている。

「貴子、お前は一旦下がれ! 控室だ、今すぐ!」


控室。貴子は放心状態でソファーに沈んでいた。そこへ、接客を終えたルミが鼻歌交じりに戻ってきた。


「店長、そんなに怒らなくてもいいじゃーん。さっきの人、帰り際に『次は貴子ちゃん指名するわ』って言ってたよ? 初日指名なんて超ラッキーじゃん!」


佐藤が頭を抱えて出ていくと、ルミは悪びれる様子もなく、貴子の隣に腰を下ろした。

「貴子ちゃんが可愛すぎるのが悪いんだよ? ……私、本当に綺麗な女の子が好きなの。ね、これから仲良くしよ?」


その熱量に、中身が男である隆史は再び背筋が凍るような感覚を覚えた。

「……とりあえず、私は来週の木曜日も入ることにしました。今日は、これで失礼します」


「LINE交換しようよ。相談のってあげるから」


結構です。僕の悩みは、誰にも相談できません。

 結局、アドレス交換を余儀なくされた隆史だったが――。


「え、貴子ちゃん。そのスマホ……」


ルミが貴子の手元を指差し、顔をしかめた。

「その、米軍仕様みたいな無骨な真っ黒いケース……引くんだけど。さっきから思ってたけど、ノーブラで平気だったり、持ち物が男くさかったり、中身おじさんじゃないの?」


「……っ」


核心を突くようなツッコミを背に、隆史は逃げるように更衣室へ向かった。背後でルミが「えー、ケース買いに行こうよ!」と軽く笑う声が、いつまでも耳に残っていた。

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