コンビニでパンツを買ったら、全部つながった
古着屋を出た隆史の右手には、安っぽい紙袋が握られていた。中には、試着室で鏡に映したあの完璧な「形」を完成させるための、黒いワンピースが入っている。 だが、今の隆史はまだ、紺色のくたびれたジャージ姿のままだった。
歩くたびに、下半身に耐え難い不快感が走る。 Tシャツの下――造形魔法によって極限まで絞り込まれた「五十二センチ」のウエストに対し、履いているのは男物のぶかぶかなトランクスだ。サイズが合うはずもなく、それはただ骨盤に辛うじて引っかかっているだけで、一歩踏み出すごとに重力に従ってずり落ちようとする
。 このままワンピースを着て歩くことなど不可能だ。一歩歩けば、足首まで布が落ちてすべてが「終わる」
。
「……下着屋は、流石に無理だ」
絶世の美女の皮を被った状態で、女性下着専門店に入る勇気は、中身の「小野隆史」にはまだない。 残された選択肢は一つしかなかった。
「……コンビニか」
◇
朝のシフト。レジに立つバイト店員は、抜けきらない眠気を持て余していた。 ドアが開く電子音が響き、反射的に顔を上げた店員の視線が、そこで凍りついた。
――女の人。 着ているのは、どこにでもある紺色のジャージだ。なのに、何かが決定的におかしかった。 見たこともないほどに、綺麗だった。まわりの空気がそこだけ薄く引き延ばされ、別の世界が混じり込んでいるような錯覚。強くないのに、目が離せない
。
彼女は迷いのない足取りで日用品の棚へ進み、戻ってきた。 カウンターに置かれた「それ」を見た瞬間、店員の思考が真っ白に染まった。
黒い、シンプルなショーツ。
(やばい、これ、見ちゃダメなやつだ……!) 目の前の美女の、ジャージの下に収まるであろう「それ」を想像してしまい、顔が熱くなる。 ピッ、というバーコードの音がやけに大きく響いた
。
「……ふ、袋、いりますか」 「……はい」
返ってきたのは、鈴を鳴らすような透明な声。 釣りを渡す際、わずかに指先が近づく。その一瞬の距離にすら、店員は金縛りにあったように動けなくなった。
◇
店を出て、近くの共用トイレに駆け込んだ。鍵をかけた瞬間、隆史はようやく大きく息を吐いた。 足元を見る。五十二センチのウエストでただ遊んでいるだけの、男の象徴であったトランクス。
「……もういいだろ」
指をかけ、そのまま引く。あっさりと床に落ちた布切れを鞄の奥へ押し込む。 一瞬だけ、鏡を見た。Tシャツ一枚。下は何もない。いわゆる「彼シャツ」の状態だが、そこにあるのは隆史が五時間かけて執着し、造り上げた究極の「女の形」だ。
袋からショーツを取り出し、足を滑り込ませた。 ぴたりと、収まる。
「……あ」
軽い。ずれない。 今までバラバラだった「自分」の線が、ようやく一つにつながった感覚。 ブラジャーを買うまでは頭が回らなかったが、今の隆史にとってそんなことは瑣末な問題だった。魔法で固定されたラインは、重力すら無視してそこにあるのだから
。
Tシャツを脱ぎ、黒いワンピースを被る。 布が肩に触れ、魔法で作られた曲線の上を滑り落ちていく。胸を通り、腰でまとまり、脚へと美しく流れる。 どこにも、ズレがない。どこにも、無理がない
。
「……うそだろ」
完成していた。ベルトを締めると、余った穴の先が、その異常な細さを物語っている。 フェイクパールのネックレスを首元に置く。鏡の中にいるのは、隆史の人生には存在し得なかったはずの「女神」だ。
外に出る。一歩踏み出した足が、驚くほど自然に運ばれた。 動きに合わせてワンピースの布が揺れ、その内側で、ノーブラの胸がわずかに遅れて呼応する。 押さえるものがない開放感。それが今の隆史には最高に心地よかった
。
すれ違う男たちの視線が、物理的な重さとなって突き刺さる。 隆史は気づかない。ただ、歩きやすい。ただ、ちゃんとつながっている。
ガラスに映る自分を見る。 黒いワンピースに包まれた、細い首。落ちる肩。 完成の喜びが、静かに、けれど激しく全身を駆け巡っていた
。
だが、その歓喜の直後。 隆史の胃の奥で、真っ赤に熱した鉄を流し込まれたような衝撃――凄まじい「肉飢餓」が、その牙を剥こうとしていた
。




