初めての女の設計(後編)
――欠けたままでは、完成しない。 その強迫観念だけが、熱に浮かされた脳内でやけにはっきりと輪郭を結んでいた。
「……一回だけだ」
自分自身への言い訳みたいに呟く。 細かくは見ない。これは性的な欲求ではない。ただの工程だ。フィギュアのパーティングラインを消し、充填剤で隙間を埋める作業と同じなのだと自分を騙す。 隆史は迷いを断ち切るように、禁断の領域へ指先を沈めた。骨盤の収まり、下腹部から股関節へと続く肉の流れ、そして正面から見たときに立体としての「ノイズ」になっていた違和感を、魔法の力で一つずつ消していく。
皮膚の下で骨格が砕け、再構成される熱い衝撃。 数分だったはずの時間は、永遠に続く儀式のように感じられた。 終わったあと、すぐには鏡を見られなかった。呼吸は浅く、喉は砂漠のように乾いている。腹の底では、今までにないほど巨大で真っ黒な「肉を求める空洞」が口を開けていた。
それでも、隆史は鏡を見た。 もう、言葉が出なかった。そこに立っていたのは、まぎれもない「女」だった
。 雑な変装でも、無理に作った記号の寄せ集めでもない。骨格の重心、肉の付き方、肌の質感――どこから見ても、一人の若い女として解剖学的に成立している。 全身に鳥肌が立った。
「……はは」
乾いた笑いが漏れたが、心は冷え切っていた。男としての尊厳は、造形師としてのエゴに完敗したのだ。 思わず目を閉じると、同時に胃が裏返るような衝撃が襲ってきた。
「……来たな」
今度の肉飢餓は重い。今日はいじった範囲が広すぎた。首から足先まで、全身の細胞を書き換えた代償が、牙を剥いて襲いかかってくる
。 隆史はフラつきながら冷蔵庫を開けた。十個あったサラダチキンはとっくに底をついている。残っているのは卵、ハム、ソーセージだけだった。 とりあえず全部引きずり出し、フライパンに叩きつける。味付けを考える余裕などない。塩だけを振り、強火で焼く。
油の弾ける音が狭い部屋に広がる。 ガス台の横にあるステンレスの反射に、女の横顔が映った。首が細く、肩がしなやかに落ちている。 自分が立っている感じがしない。 「……何やってんだ俺」 自問に返事はない。肉が焼ける匂いで、ようやく意識が現実につなぎ止められた。
皿に移すのも待てず、フライパンから直接、肉を口へ放り込む。熱い。けれど止まらない。一口、二口。喉を肉が通るたび、全身の震えが少しずつ収まっていく。だが、今日はこれでも足りない。もっとタンパク質を、もっと燃料を。体が絶叫している
。 生に近い卵を流し込み、ハムを追加で焼く。
その間にもう一度だけ鏡を見た。 知らない美女が、汗ばんだ額で台所に立ち、無言で獣のように肉を貪っている
。 絵としてはひどく歪で、狂気じみていた。けれど、その姿ですら「形」としては完璧に成立していた。作れてしまったのだ。その事実を認めるしかなかった。
すべてを食べ終えるころ、ようやく呼吸が落ち着いた。 隆史は洗面所へ戻り、鏡の前に立った。知らない相手のはずなのに、瞳の奥に宿る「執着」だけは自分そのものだった。
「……これで、面接に行ける」
口に出した瞬間、隆史は自分の声に驚いた。 鈴を鳴らすように高い。無理に作った裏声ではなく、喉を細く絞り、声帯を薄く造形した結果、物理的な音階そのものが一段上へずれていたのだ
。
「……うわ」
もう一度、音を確かめる。やはり高い。完璧に「女の声」だ。 それでも安心はできなかった。高さはあっても、しゃべり方はまだ男のままだ。声の置き方、息の混ぜ方、語尾の柔らかさ。それらを完璧にトレースしなければ、すぐにボロが出る
。
隆史は鏡の中の「彼女」に向かって、試すように微笑んでみた。 「ありがとうございます」 音は綺麗だ。だが、愛想がない。 「え、そうなんですか?」 返しに混じる「間」が、まだ小野隆史だった。
顔も体も、声という楽器も手に入れた。けれど、中身の「ソフトウェア」が追いついていない。 歩き方、座り方、笑い方。これからそれらすべてを「造形」しなければならない。 隆史は机へ戻り、スマホを手に取った。 求人画面をもう一度開く。
高級キャバクラ『バビロン』。 時給一万円。体験入店歓迎。 さっきより、ずっと現実味を持ってその数字が目に飛び込んできた。 新しい部屋を借りるための資金。翔子や松岡から秘密を守り抜くための、もう一つの拠点。 男の自分では決して届かない場所で、短時間で稼げる仕事。 その出口が、今、鏡の中の美女と一本の線でつながった。
応募ボタンを今日はまだ押さない。そう決めていた。 それでも、画面を閉じることはできなかった。 鏡の中の女が、静かにこちらを誘っている。 小野隆史でもなく、宝塚隆史でもない。 金に変えられるかもしれない、**「三つ目の貌」**が、暗い部屋の中で完成を告げていた




