松岡が来た日
松岡がうちに来たのは、金曜の夕方だった。
インターホンが鳴る少し前まで、俺は机の上でフィギュアの腕をいじっていた。ジャンク箱から拾った古いロボのやつで、肘の角度が微妙に甘い。人間なら気にしない程度のずれだが、立体物として見ると、そこが気になる。
普通の顔のときは、こういうのがちょうどいい。
大学で誰かに見られて変に緊張することもないし、ホテルの制服に合わせて首や肩の線を考える必要もない。肉のことも、宝塚隆史のときほど切羽詰まらない。
その代わり、少し静かすぎた。
昨日までの空気が急になくなって、部屋だけがいつもの六畳に戻っている。
机。
本棚。
安いカーテン。
魔王フィギュア。
積み上がった漫画。
冷蔵庫の上のカップ麺。
別に嫌いじゃない。
でも、この部屋は普通の俺にぴったりすぎて、たまにそれがちょっと腹立たしい。
そこへインターホンが鳴った。
「おう、生きてるか」
ドアを開けると、松岡がコンビニ袋を下げて立っていた。
「死んでたら出ねえよ」
「その言い方だと半分は死んでるな」
「何しに来たんだよ」
「地元の親みたいなこと言うな。遊びに来たんだよ」
そう言って、松岡は勝手に靴を脱いだ。
いつもの流れだ。
「同郷のよしみでな」
「急にどうした」
「いや、お前ここ最近ちょっとおかしいだろ」
入って一発目がそれか。
「お前はいつも失礼だな」
「失礼じゃない。確認だ」
松岡は部屋を見回す。
「ちゃんと飯食ってるか」
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
「食ってるときは食ってる」
「余計怖いわ」
笑ってるけど半分本気だな、これ。
「最近さ」
松岡がフィギュアを見ながら言う。
「お前、大学でも変だったし」
「何が」
「スマホ見る顔とか」
「そこまだ言うのかよ」
「言う。あと、急に上機嫌になったり、逆にぼーっとしてたり、波あるだろ」
図星だったので、俺は麦茶を出した。
「観察気持ち悪いぞ」
「ジャンク屋で三十分止まる男に言われたくない」
返せない。
「またやってたのか」
「ちょっとだけな」
「ほんと好きだな」
ロボの腕を持ち上げる。
「うわ、前よりよくなってる」
「分かる?」
「分かる分かる。前ここ変だったじゃん」
ちゃんと見てるな、こいつ。
そこからは、いつもの流れだった。
フィギュアの話。
昔の食玩。
中古屋の話。
結局ここに戻る。
「これ覚えてるか」
俺は昔の食玩を出す。
「うわ、懐かし」
「お前が五分黙ってたやつ」
「そんな長くない」
「長かったわ」
「でもお前、変わってねえな」
「悪口か?」
「半分褒めてる」
そこはちょっと嬉しい。
「彼女できたらフィギュアの話で嫌われるって言ってたの覚えてる?」
「何だその会話」
「してたしてた」
「……言いそうだな」
そのとき、スマホが震えた。
反射で見る。
高田翔子。
心臓が一つ跳ねる。
「お」
「お、じゃねえよ」
「それだろ」
「何が」
「最近お前をおかしくしてるやつ」
早いんだよ。
スマホを伏せる。
「ただの知り合い」
「その動きでバレてる」
「女?」
「……まあ」
「はい来た」
楽しそうだなこいつ。
しぶしぶ見る。
高田翔子
今、少しだけ話せますか
高田翔子
松岡くん、近くにいるなら紹介してください
「……は?」
声出た。
「何」
「いや」
「見せろ」
「無理」
意味が分からない。
なんで今。
「何て来てる」
ちょっと真面目な声。
「……お前紹介しろって」
「は?」
そこからはもう、いつもの流れじゃなかった。
松岡が構える。
俺が困る。
でも、断る理由も弱い。
「電話するか」
「マジで?」
「マジ」
通話。
呼び出し。
「……もしもし」
翔子の声。
そこからの会話は、妙に普通だった。
普通すぎて、逆に変だった。
そして――
「もしもし。松岡です」
こいつ、ちゃんとした声出すな。
やり取りは短かった。
でも十分だった。
通話終了。
「……どうだった」
ちょっと怖い。
松岡は一言。
「普通のいい子じゃん」
それで、だいぶ救われた。
「でもなるほどな」
「何が」
「お前、捕まったな」
「何でだよ」
「逃げられないタイプ」
否定できないのが腹立つ。
そのあと、またフィギュアの話に戻る。
でも、頭のどこかはスマホに残ってる。
メッセージ。
高田翔子
松岡くん、やさしい人でした
「……やさしい、か」
「何」
「何でもない」
「また来たのか」
「うるさい」
「安心した」
「何が」
「ちゃんと女の子だった」
「当たり前だろ」
笑う。
松岡は帰っていった。
部屋が少し静かになる。
でも、前とは違う静けさだ。
スマホを見る。
宝塚
変なこと言ってなかった?
高田翔子
普通に、友達なんだなと思いました
その一文が、少しだけ残る。
宝塚
変なやつだけどな
高田翔子
でも、隆史くんのことを心配していました
思わず笑う。
地元枠。
雑なくせに、ちゃんと見てる。
「……面倒だな」
机の上を見る。
全部が混ざり始めている。
そのとき。
高田翔子
今度は
隆史くんの普通の部屋も見てみたいです
「……は?」
一気に現実。
部屋を見る。
フィギュア。
漫画。
ジャンク。
魔王。
「いや待て」
さっきより、だいぶ面倒だった。




