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恋はデジャヴのあとで

 ミニシアターを出たとき、外はもう夕方の色になりかけていた。

 古い雑居ビルの急な階段を下りながら、翔子はまだ少しだけ映画の中にいる気がしていた。網膜に焼き付いたモノクロームの残像が、外の世界の光をひどく白っぽく見せている。


隣を歩く宝塚くんも、すぐには何も言わなかった。

 二人で並んで歩きながら、ただ少しだけ足音をそろえる。

 映画を見終わったあと特有の、あの濃密な沈黙。つまらなかったわけではない。むしろその逆で、どこから感想を紡げばいいのか分からないほど、物語に「あてられて」しまったあとの静けさだ。


雑居ビルを出て、湿り気を帯びた風が頬を撫でたところで、翔子が先に口を開いた。


「……不思議な映画でした」


宝塚くんが、ふっと小さく笑う。


「不思議か……」


「だめですか?」


「だめじゃないよ。……むしろ、そうとしか言えないかもな」


「宝塚くんはどうでした? 何回も見てるんですよね」


「いいよね。やっぱり、何回見ても」


その答えがあまりに迷いなく、純粋な響きを持って出たので、翔子は少しだけ嬉しくなった。

 好きなものを「好き」と断言するときの人は、どこか無防備な子供のように見える。劇場の暗闇の中で、真剣に画面を追っていた彼の横顔を思い出す。


「どこが好きなんですか」


聞くと、宝塚くんは歩きながら少し考える。


「最初は嫌なやつなのに、最後はちゃんと変わってるじゃないか。街中のみんなに好かれて、ピアノまで弾けるようになって……何年繰り返したんだろうってくらい、一人の人間が『完成』していく過程がいい」


「わたしも、主人公、はじめは嫌いでした」


「でも、途中から少しずつ見方が変わってくるだろ? ……何回やり直してでも、最終的に誰かのために動けるようになる。それが、いいと思うんだ」


そう言う彼の声は、少しだけ熱を帯びていた。

 何回やり直しても。

 スクリーンの中で繰り返されていたあの一日が、なぜか今の彼と重なって見えた。彼にとっては、これが何回目かの「今日」なのかもしれない――そんな、ありえない妄想が頭をよぎる。


「翔子は?」


聞き返されて、翔子は言葉を探しながら、駅へ向かう人の流れを少し避けた。


「……わたしは、同じ一日を繰り返すの、ちょっと怖いです」


「怖い?」


「はい。最初は面白そうでも、だんだん自分だけが取り残される感じがしそうで。でも、その中で誰かをずっと好きでいられるのは、もっと不思議でした。……毎日が同じなら、何をしても薄くなりそうなのに。何度も見て、何度も好きになるのは、きれいで、少し怖かったです」


言いながら、自分でも少し恥ずかしくなる。映画の感想なのに、途中からそれだけではなくなっていた。

 宝塚くんはすぐには何も言わなかった。やがて、静かな声で零す。


「翔子って、感想までやっぱり翔子だな。……ちゃんと見てるって意味だよ。褒めてる」


彼は少しだけ間を置いてから、独り言のように続けた。


「俺はたぶん、主人公が羨ましいんだと思う。何回でもやり直せるから。失敗しても、次がある。……だけど、どんなに頑張っても好きな人に忘れられるのは、やっぱり、悲しいよね」


夕方の風が少しだけ冷たくなる。

 やっぱりこの人は、映画の話をしながら、別の「何か」を見ている。


「宝塚くんは、やり直したいこと、多いんですか」


翔子が前を向いたまま問うと、彼は困ったように笑った。


「ないって人、いるのかな。あるよ。今日も……。いや、今日なら、何度でも繰り返したいと思うくらいだ」


「……わたしも」


気づけば、言葉が溢れていた。宝塚くんが驚いたようにこちらを振り向く。


「今日なら、何度も繰り返せればいいのにって、思いました」


信号が青に変わる。

 二人でまた歩き出すけれど、さっきまでと歩幅が違う。同じことを思っていたのだと分かってしまったあとの、もどかしい距離感。


「……それ言われると、困るな」


「なんでですか?」


「余計に、帰りたくなくなるから」


その返事に、翔子は少しだけ笑った。


「映画の感想じゃなくなってます」


「そっちが先だろ」


笑いながら、翔子は思う。

 映画は終わった。けれど、今日という一日を終わる前から惜しいと思ってしまうこの余韻は、あの映画の主人公が感じていたものに、少しだけ似ているのかもしれない。


「じゃあ、結論。わたしは少し怖かったけど、この映画好きです。宝塚くんも、やっぱり好き」


「好きだよ。……見に来てよかった」


短いやり取りなのに、妙に満たされる。

 

「次は、もう少し普通の映画でもいいですよ。もっと、分かりやすいハッピーエンドとか」


「普通のってなんだよ。今日の感想としては、ちょっとひどくないか?」


「ふふ、少しだけです」


笑い合う二人の影が、夕暮れの舗道に長く伸びていく。

 今日をあと何回思い返しても、きっとこの映画の題名と一緒に思い出すのだろうと、翔子は確信していた。

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