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今日は、行けない

 講義の終わりが近づいたころ、机の下でスマホが震えた。


 ちらっとだけ確認する。


高田翔子

今日は少しだけなら、会えますか


 短い。


 でも、その一文だけで、頭の中が一気にそっちへ引っ張られる。


 会いたい。


 普通に思った。


 昨日、ちょっと一緒に歩いただけだ。

 服を見てもらって、連絡先を交換して。

 それだけなのに、もう次が欲しくなってる。


「……早くないか」


 小さくつぶやく。


 でも、止まらない。


 親指が動く。


 会えるよ。


 そこまで打って、止まる。


 今の自分は、いつもの宝塚隆史だ。


 講義の後、学食に流れて、バイトに行く。

 誰の記憶にも残らない、普通の顔。


 翔子が会いたがってるのは、そっちじゃない。


 昨日、一緒に歩いたほうだ。


 ちょっと目を引く顔で、

 服もそれなりに似合ってて、

 隣にいても違和感がない男。


 あっちの自分。


 変えればなれる。

 でも、変えたら戻れない。


 今日は夜、バイトだ。


 お好み焼き屋は“普通の顔”で入る場所だ。

 今ここで変わったら、全部崩れる。


「……無理か」


 答えは出ている。


 けど、指が動かない。


 会いたい。


 でも、行けない。


 結局、一番無難な文を打つ。


ごめん、今日バイトある


 送る。


 すぐ既読がついた。


 その数秒が、やけに長い。


高田翔子

そうなんですね

分かりました


 いつも通り、短い。


 なのに今日は、少しだけ遠く感じた。


 隆史は、反射みたいに打つ。


宝塚

ごめん

今日は店入ってる


 送ってから思う。


 なんでこっちの名前で返してるんだよ。


 でも、消すのも変だ。


 そのままにする。


高田翔子

大丈夫です

少し、会いたかっただけなので


「……それ言うか」


 思わず苦笑が出る。


 でも、ちょっと刺さる。


 少しだけ。


 それくらいなら、いけた気がする。


 講義の終わりのチャイムが鳴る。


 周りが立ち上がる中で、隆史だけ少し遅れた。


 バイト中も、なんか集中できなかった。


「宝塚くん、ネギ!」


「あ、はい」


 半拍遅れる。


「今日ぼーっとしてない?」


「ちょっとだけ」


 本当は“ちょっと”じゃない。


 頭の中、ずっとあの一文だ。


 少しだけ、会いたかっただけなので。


 鉄板の上で、音が鳴る。


 宝塚隆史なら、行けた。


 でも焼いてるのは宝塚隆史だ。


 生活費とか、まかないとか、

 そういう現実の方。


「……はぁ」


 小さく息を吐く。


 なんか、ちょっとだけ損した気分になる。


 休憩で外に出て、スマホを見る。


 通知が一件。


高田翔子

お仕事、頑張ってください


 それだけ。


 いつも通りなのに、妙に優しい。


宝塚

ありがとう

終わったらまた返す


 送ってから、ちょっと考える。


 ほんとは


 会いたかった。俺も。


 それだけなのに、打てない。


「だめだな、これ」


 スマホを閉じる。


 バイトが終わったのは、二十二時過ぎ。


 外に出ると、空気がちょっと気持ちいい。


 スマホを見る。


 通知はない。


 当たり前だけど、ちょっとだけ残念。


 歩きながら、ふと思う。


 今なら、なれる。


 今から変えれば、明日の夜までいける。


 つまり――


「……今からなら、会えるな」


 立ち止まる。


 さすがに急すぎるか?


 いや、でも。


 会いたい。


 それだけははっきりしてる。


 ポケットの中でスマホを握る。


 ちょっとだけ迷って、通話ボタンを押した。


「……はい」


 出た。


 その一言だけで、ちょっと安心する。


「あ、ごめん。急に」


「大丈夫です」


 静かな声。

 たぶん部屋。


「今、何してた?」


 聞いてから、なんか雑だなと思う。


「下宿です。課題してました」


「あー、そっか」


 少し沈黙。


 でも、嫌な感じじゃない。


 ただ、近い。


 文字より、ずっと近い。


「……昼、ごめん」


 自然に出た。


「ほんとは、俺も会いたかった」


 言ってから、ちょっと照れる。


 でも、言ってよかったと思う。


「……はい」


 小さく返ってくる。


「少しだけ、残念でした」


 やっぱり、その言い方する。


 なんか、ずるい。


 隆史は一度息を吸った。


「今からなら、会える」


 言った。


 ちょっと間。


「……今から、ですか」


「うん」


 ここで引いたら終わる気がした。


「会いたい」


 短く言う。


 通話の向こうで、少しだけ息が止まる。


「……私も」


 それで決まった。


「行っていい?」


 即答に近かった。


 また少し間。


「……散らかってます」


「大丈夫」


「ほんとに、散らかってます」


「俺の部屋よりマシ」


 少し笑う気配。


「少しだけなら」


「うん」


「来ますか」


「行く」


 即答。


 ちょっと早すぎたかもしれない。


「住所、送りますね」


「助かる」


「あと」


「ん?」


「お茶、一本お願いします」


「了解」


「……私、今ちょっと緊張してるので」


 その一言で、こっちも急に現実になる。


「俺も」


「はい」


「たぶん、結構緊張してる」


 小さく笑う気配。


「じゃあ、おあいこです」


 通話が切れる。


 しばらくスマホを持ったまま立っていた。


「……行くか」


 呟いて、部屋へ戻る。


 洗面台の前に立つ。


 鏡の中は、いつもの顔。


 これじゃない。


 指を頬に当てる。


 少し押して、整えていく。


 鼻筋、顎、輪郭。


 いつもの手順。


 少しだけ急ぎ気味に。


 通知が来る。


 翔子の住所。


 それを見た瞬間、ちょっとだけ実感が湧いた。


「……まじか」


 でも、もう止まらない。


 鏡の中の顔を確認する。


 問題ない。


 いつもの“宝塚隆史”。


 軽く息を吐く。


「行くか」


 そう言って、部屋を出た。



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