第91話:サポーターとして。
四日目の夜。美味しい夕食を囲み、二人の時間は穏やかに流れる……はずでした。
「自分はただのサポーターだ」と自分に言い聞かせ、必死に凛ちゃんと距離を置こうとする朝陽くん。
けれど、寂しがり屋のヒロインは、彼の「心の壁」なんてお構いなしに踏み込んできます。
「ふぅ、さっぱりしたぁ!」
脱衣所のドアが開き、湯気と一緒に凛がリビングに戻ってきた。
……早いな。時計を見ると、彼女が入ってからまだ十分も経っていない。
「……お湯には浸からなかったのか?」
「うん、シャワーだけ! マッサージの前にしっかり浸かりたいから、とりあえず汗を流したかったの」
「マッサージ」という単語に、昨日のあの光景が脳裏をかすめ、俺は反射的に視線を落とした。いけない、俺はサポーターだ。余計な動揺は、彼女の創作環境を乱す。
「……そうか。なら、ご飯にしよう」
今夜のメニューは、昨日のカレーをリメイクしたカレーうどん。
出汁を効かせ、彼女の好みに合わせて少しだけまろやかに仕上げた。
「わぁ、美味しそう! いただきます!」
凛は一口食べると、「美味しい!」と満面の笑みを浮かべた。
その顔を見られただけで、俺の「一人反省会」の苦労は報われた気がした。
食べながら、彼女は今日一日、佐藤さんと何をして遊んだかを詳しく話してくれた。
お洒落なカフェ、賑やかなゲームセンター、可愛い雑貨屋さん……。
身振り手振りで話す彼女は、本当に楽しそうで、出かける前の沈んだ表情が嘘のようだった。
(……ああ。俺が絡まなければ、彼女はこんなに楽しく笑えるんだな)
不意に、胸の奥をチクリと刺すような疎外感。
彼女には僕の知らない「外の世界」があり、そこには俺がいなくても成立する幸せがある。
サポーターなんて、彼女の人生のほんの一瞬を支えるだけの、通りすがりの役職に過ぎない。
その事実を突きつけられたようで、俺はただ「よかったな」と短く返すことしかできなかった。
夕食を終え、片付けを済ませた後。
いつもなら、俺はソファの左端、凛は右端に座って、つかず離れずの距離でテレビを見たりスマホをいじったりするのが日常だ。
けれど今夜の俺は、あえてソファに座らず、テーブルの下の床にどっかと腰を下ろした。
「……朝陽くん? ソファ座らないの?」
案の定、凛が不思議そうに覗き込んでくる。
「……床の気分なんだよ」
俺は努めて事務的な声を出し、持ってきた宿題をテーブルに広げた。
「サポーター」として、彼女を意識しすぎないための物理的な壁。
教科書を壁にして、俺は文字を追い始めた。
一人、広いソファに取り残された凛。
しばらくはテレビの音が響くだけだったけれど、やがて彼女の気配が動いた。
「……なっ」
トスッ、と。
すぐ後ろに、温かい重みが加わった。
凛がソファから降りてきて、僕の背中に自分の背中をぴったりと預けて座り込んだんだ。
「……な、なんでこっちに来た?」
「寂しいから」
あまりにも直球な答えに、ペンを握る手が止まる。
「……寂しかったら、僕のところに来ていいって、前に行ってくれたじゃん」
「……あれはまだ、部屋が別々だった時の話だろ。今は同じリビングに――」
「関係ないもん」
凛はそう言って、俺の背中にぐっと体重をかけてきた。
薄い服越しに伝わる、彼女の体温。細い背中の感触。
心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。近い。近すぎる。
「……ねえ、朝陽くん」
教科書の文字が滑って全く頭に入ってこない俺に、背中越しに凛の声が届いた。
顔が見えないからこそ、その声はいつもよりずっと、素直に響く。
「あのさ。改めて言いたかったんだけど……。私が倒れてた時、助けてくれてありがとう」
「…………」
「あの時は本当に絶望してたけど。朝陽くんが来てくれて、ご飯作ってくれて……。この四日間、朝陽くんがいてくれて、本当によかった」
彼女の言葉が、俺の中の自虐的なフィルターを通り越して、直接心臓に染み込んでいく。
感謝される資格なんてない。俺はただ、おばあさんに頼まれて、君を管理しているだけなのに。
「……僕は、サポーターだからな」
絞り出した俺の声は、情けないくらいに震えていた。
「君が笑ってイラストを書ければ、それでいいんだ」
「……あはは。またサポーターって言った」
背中越しに、凛が小さく笑う振動が伝わってきた。
「でも、ありがと。朝陽くん」
しばらくの間、俺たちはそのまま背中を合わせたまま、動くことができなかった。
教科書の文字なんて、もう一文字も目に入らない。
ただ、背中から伝わってくる彼女の熱と、微かな鼓動。
サポーターの仮面が、今夜も少しずつ、熱で溶かされていくのを感じていた。
第91話、ありがとうございました!
朝陽くん、せっかく床に避難して「壁」を作ったつもりだったのに、凛ちゃんの「寂しい」という直球一言に完全にノックアウトされてしまいました。
「背中合わせ」という、顔が見えないからこそ伝わる体温と感謝の言葉。
朝陽くんが必死に守ろうとしている「サポーター」という一線が、凛ちゃんの優しさによって、なし崩しにされていく様子がたまりませんね。




