第83話:見誤った時間と、開かないはずの扉。
第82話で起きた、同居生活最大級の「大事故」。
今回は時間を少しだけ巻き戻して、凛ちゃん視点であの瞬間に至るまでの軌跡を追いかけます。
朝陽くんがいない隙に、シャワーを浴びてリフレッシュしようとした彼女を襲った、あまりにも「うっかり」で「刺激的」な結末とは。
「……はぁ。外の空気、おいしい……」
窓から入り込んでくる風を浴びて、私はようやく火照った頬を両手で押さえた。
シーツに残る朝陽くんの匂いにあてられて、二度寝なんて到底無理だったけれど、外の空気を吸ったおかげで少しだけ冷静になれた気がする。
そろりとリビングに出てみると、そこにはもう、洗濯物を干していた彼の姿はなかった。
代わりに、ダイニングテーブルの上にぽつんと置かれた一枚のメモ。
『ドラッグストアへ行ってきます。すぐ戻ります。 朝陽』
「……相変わらず、マメだなぁ」
几帳面で、整った彼の字。それを見ただけで、また胸の奥が少しだけ騒がしくなる。
「すぐ戻る」って書いてあるけど、駅前のドラッグストアなら、往復だけでも数十分はかかるはずだ。
(……ねえ、今のうちにシャワー、浴びちゃおっかな)
さっきベッドの中でかいてしまった、なんだかよく分からない変な汗。
体がベタついて気持ち悪いし、シャワーで一度頭を冷やせば、午後の作業もはかどる気がした。
「よし、爆速で浴びる!」
私は自分に気合を入れると、バックからタオルと着替えを引っ張り出し、鼻歌まじりに脱衣所へと向かった。
脱衣所のドアの前。そこには、あの猫のプレートがかかっていた。
(あ、ひっくり返さなきゃ……)
そう思った瞬間、私の脳裏に「すぐ戻ります」という彼のメモがよぎった。
(……でも、朝陽くん、いないし。どうせ私一人なんだから、今はいいよね)
これだ。この「誰もいない」という慢心が、後にあんな地獄を招くなんて、この時の私は一ミリも疑っていなかった。
私はプレートを『白(空室)』のまま放置して、脱衣所の中へと足を踏み入れた。
鏡の前で、パジャマのTシャツに手をかける。
この三日間で、すっかり慣れてしまったこの家。
朝陽くんが守ってくれる、私の居場所。
だからこそ、私は完全に油断していた。
「……ん。ちょっと、髪が引っかかっちゃった」
Tシャツを頭の上まで脱ぎかけた、その時だった。
背後で、カチャリ、とドアノブが回る音がした。
(……え?)
朝陽くんは、まだ帰ってこないはず。
少なくとも、あと五分は――。
「…………っ!?」
勢いよく開いたドアの向こう。
そこには、袋を抱えて目を見開いた、朝陽くんが立っていた。
鏡越しに、バッチリと視線が合う。
「あ……」
私の腕は、脱ぎかけのシャツの袖に囚われたまま。
目の前には、朝陽くん。
鏡の中には、ブラジャー一枚になった、私の無防備すぎる上半身。
「…………ひゃ。……ひゃあああああああああっ!!!」
自分の口から出たとは思えない絶叫が、狭い脱衣所に木霊した。
私の叫び声に弾かれたように、朝陽くんの顔が瞬時に沸騰したかと思うほど真っ赤に染まる。
「うわぁぁぁぁっ!? ごめん! すまん! 悪かった!!」
彼は持っていた袋をぶちまけそうになりながら、凄まじい勢いでドアを閉めようとした。
けれど、完全に閉まる直前、彼はパニックで裏返った声を張り上げた。
「……っ、っていうか、プレート!! プレートは!? 白だっただろ!! なんで!? なんでひっくり返してないんだよ!!」
バァン!! と、壊れそうな勢いでドアが閉められる。
廊下からは、何かにぶつかる音と、「あ、足が……」という彼の呻き声、そしてドタドタとリビングへ逃げ去る足音が聞こえてきた。
私は脱ぎかけのシャツを頭から被ったまま、その場にへたり込んだ。
……プレート。
恥ずかしさと、情けなさで、私はしばらく脱衣所から一歩も動くことができなかった。
第83話、ありがとうございました!
朝陽くん、謝りながらも「ルールへのツッコミ」を忘れないあたりが、いかにも彼らしいです(笑)
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