第80話:眠れない時間と、魔法の言葉
第79話のラスト、朝陽くんにベッドまで運ばれた凛ちゃん。
実は彼女、あの時「起きて」いました。
「作品」ではなく「自分」を肯定された衝撃。
そして、逃げ場のない「朝陽くんの匂い」に包まれた夜。
パニックと幸福感が入り混じった、凛ちゃんの独り言をお楽しみください。
パタン、とリビングのドアが閉まる音が聞こえた。
……もう、心臓が口から飛び出しそう。
「……ふぇぇ……びっくりしたぁ……」
私は布団の中で、ようやく止めていた呼吸を大きく吐き出した。
ソファでうとうとしていたのは本当だ。でも、朝陽くんが近づいてきた気配で、意識は半分くらい覚醒していた。
(あ、起きたって言わなきゃ……)
そう思った瞬間には、もう遅かった。
ふわり、と体が浮き上がる感覚。
私の背中と膝の裏に、朝陽くんの腕が回される。
一瞬で、鼻先を彼の清潔な石鹸の匂いがかすめた。
(え、えええっ!? 運ばれてる!? )
今さら目を開けるなんて、恥ずかしすぎて絶対に無理!
私は必死に、死んだふり……じゃなくて、寝たふりを続けた。
腕から伝わってくる彼の体温。ゆっくりと、でも力強い足取り。
私の心臓の音が彼に聞こえてしまわないか、それだけが怖くて、全身の筋肉を硬直させるのを耐えるだけで精一杯だった。
ベッドのシーツの上に、そっと下ろされる。
もう行ってしまうのかな……そう思った時。
大きな、温かい手のひらが、私の頭に置かれた。
よしよし、と子供をなだめるような、不器用で優しい感触。
「……頑張ったな。お疲れ様。……凛はすごいな」
朝陽くんの低い声が響いた。
サポーターとして私を律する時の厳しい声じゃない。
誰かに聞かせるためでもない、独り言のような、心からの言葉。
……高校に入ってから、私の「作品」を褒めてくれる人はたくさんいた。
「神絵師」「天才」「新作待ってました」。
ネットの向こう側の称賛は、もちろん嬉しいけれど、それはどこか遠い世界の出来事のようで。
でも、朝陽くんは「私」を褒めてくれた。
私が今日、どれだけ画面に向かって、どれだけ筆を動かして、どれだけ必死だったか。
その「過程」を見て、私という人間をまるごと肯定してくれた。
頭を撫でられるのって、こんなに温かくて、安心するものだったんだ。
これは、誰にされても嬉しいものなのかな。
それとも、朝陽くんだから、なのかな。
朝陽くんが部屋を出て行ってから、もうどれくらい経っただろう。
目は冴え渡り、眠気なんてどこかへ消えてしまった。
(……やばい。寝れない)
この部屋は、朝陽くんの部屋だ。
シーツは真っさらな新品に替えてもらったはずなのに、部屋の隅々から「彼の匂い」が押し寄せてくる。
柔軟剤の匂い、そして……彼自身の、落ち着く匂い。
いつもは、隣で彼の気配を感じるだけで安心できたのに。
今はどうして、こんなに胸がザワザワして、熱いんだろう。
枕を抱きしめても、寝返りを打っても、耳の奥であの声が繰り替えされる。
『凛はすごいな』
……ずるいよ、朝陽くん。
そんなこと言われたら、どんな顔して明日の朝、「おはよう」って言えばいいの。
結局、一睡もできないまま、窓の外が白み始めた。
ボーッとした頭で天井を見つめていると、ドアの隙間から、ふわっと甘い香りが漂ってきた。
「……あ」
バターの香ばしい匂いと、お砂糖の焼ける、幸せな香り。
昨夜、彼が一生懸命仕込んでいたフレンチトーストだ。
私を寝かしつけた後も、彼はリビングで私のために準備をしてくれていた。
……私の、自慢のサポーター。
バクバクと騒がしい胸を、パジャマの上から手で抑える。
身なりと髪を整えて。
私は、昨夜のことを秘密にしたまま、彼が待つキッチンへ向かう準備を始めた。
第80話、ありがとうございました!
凛ちゃん、実は起きてました(笑)。
作品ではなく自分自身を認められた喜びと、朝陽くんへの「名前のつかない感情」に翻弄される夜。
これまでは「安心」だった彼の匂いが、今は「刺激」に変わってしまう……。
寝不足気味の凛ちゃんと、完璧な朝食を用意して待つ朝陽くん。
一晩じっくり浸け込まれたフレンチトーストの味は?
そして、二日目を経て、二人の距離はどう変化するのか!?
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