第79話:冷製パスタと、名前のつかない時間
二日目の夜。
今夜のメニューは、疲労回復を狙った特製パスタです。
「一緒にいること」が少しずつ当たり前になっていく中で、朝陽くんはその「居心地の良さ」に、どこか落ち着かないものを感じ始めます。
深夜、無防備に眠る凛ちゃんを前に、彼が漏らした本音とは。
作業部屋から出てきた凛の顔は、どこかスッキリとしていたけれど、肩の力はすっかり抜けてしまっていた。
「お疲れ。……今夜はこれにしよう」
僕がテーブルに出したのは、トマトとモッツァレラチーズの冷製パスタだ。
「わぁ、綺麗。……トマトの匂い、元気が出るね」
「リコピンは疲労回復にいいし、冷たい方が食欲も落ちないだろ。……凛、一口ずつしっかり噛んで食べろよ」
二人で並んでパスタを啜る。
「……美味しい。朝陽くんのご飯を食べると、指の先までエネルギーが戻ってくる気がするよ」
「大袈裟だな。サポーターとして、栄養管理は基本だからな。……仕事が進んだなら何よりだ」
一月前は一人で食べていた、静かな食卓。
今は、そこに誰かがいて、感想を言い合いながら食事をする。その光景が、僕の胸をざわつかせた。
……なんだ、この変な感じ。落ち着かないような、でも、ずっとこうしていたいような。
僕はその正体から目を逸らすように、パスタを口に運んだ。
お風呂を済ませ、例の「猫プレート」を戻した後、恒例のマッサージとストレッチを行った。
「……ん、そこ。……朝陽くん、指の力が絶妙……」
「……凛、少しは動かずにじっとしてろ。危ないだろ」
相変わらず、肌に触れる距離感には慣れない。
けれど、彼女の体温が指先に伝わるたびに、この数日間で彼女がどれだけ戦ってきたかが伝わってくる気がした。
火照った体を冷ますために、冷凍庫から取り出したのは二つのバニラアイスだ。
「はい。一日頑張った分だ」
「わぁい! ……ねえ朝陽くん、一人で食べるより、誰かと食べるアイスの方が味が濃く感じるのは、気のせいかな」
「……気温のせいだろ。糖分を摂ったら、さっさと寝ろ」
素っ気なく返したが、僕もまた、隣でアイスを食べる彼女の気配を「悪くない」と思ってしまっている自分に戸惑っていた。
「明日の朝食は、フレンチトーストにする。卵液に一晩浸けておきたいから、今から仕込みする。凛は疲れてるんだから、先に寝てていいぞ」
「……やだ。待ってる。朝陽くんが頑張ってるのに、一人で寝るのは……なんだか、もったいない気がして」
そう言って笑う彼女に、僕は「好きにしろ」と短く返してキッチンへ向かった。
ボウルで卵と牛乳を混ぜ、厚切りのパンをバットに並べる。
十数分後、仕込みを終えてリビングに戻ると、そこには案の定、静寂が広がっていた。
「……凛?」
ソファへ目を向けると、そこには丸くなって眠る彼女の姿があった。
「……またか。途中から静かだと思ったんだ」
相当、集中力を使い果たしていたんだろう。僕の作業が終わるのを待つ間に、電池が切れてしまったのだ。
起こすべきか迷ったけれど、スースーと規則正しい寝息を聞いていると、それを邪魔する気にはなれなかった。
「……仕方ないな」
僕は自分に言い訳をするように呟き、彼女の体に腕を回した。
ゆっくりと、壊れ物を扱うように持ち上げる。
想像以上に軽い、でも確かな重み。
そのまま廊下を通り、寝室へと運んだ。
シーツの上にそっと下ろすと、彼女は一度だけ「んむ……」と身悶えしたが、深い眠りからは覚めなかった。
枕元に立ち、月の光に照らされた彼女の横顔を見つめる。
昼間、モニターに向かっていた時のあの凄まじい気迫。
そして、今、無防備に眠るこの顔。
僕は思わず、その頭に手を伸ばした。
普段、彼女が起きている時には、絶対にできないこと。
「……頑張ったな。お疲れ様」
指先で髪を撫で、小さく、誰にも聞こえない声で囁く。
「……凛は、すごいよ。」
今のこの関係をどう呼べばいいのか、僕にはまだ分からない。
ただ、彼女を支えられることが、今の僕にとって、何よりもやりがいのあることだという事実だけが、胸の奥で静かに熱を持っていた。
僕は寝室の電気を消し、忍び足で部屋を出た。
扉一枚を隔てたリビングで、僕は少しだけ熱くなった顔を冷ますように、深い溜息を吐いた。
第79話、ありがとうございました!
二人で食べるアイス。そして、眠ってしまった凛ちゃんを運ぶシーン。
朝陽くんは自分の感じている「心地よさ」に戸惑いながらも、サポーターとして、そして一人の少年として、彼女への深い敬意を抱き始めています。
まだ「恋」とは呼べない、この不器用な距離感がもどかしくも温かいですね。
続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひブックマークや下の【☆☆☆☆☆】で応援をいただけますと嬉しいです!




