第66話:冷やしうどんと、お礼。
密室での「作画資料モデル」という名のドキドキ撮影会も、ようやく終了。
ですが、二人の時間はここで終わりではありません。
プロの技術を目の当たりにした朝陽くんが抱く、新たな尊敬。
そして、スマホの中に作られた世界で一番厳重な隠しフォルダ……。
「……ついでに、少しだけ作業していい? 忘れないうちに線を引いておきたくて」
撮影が終わるやいなや、凛は再び液タブに向かった。
携帯の画面には、さっき撮影した僕の腕や首筋の写真が並んでいる。
凛がペンを走らせるたび、真っ白なキャンバスの上に、一人のキャラクターが形作られていった。
「……すごいな」
思わず声が漏れた。
描かれているのは僕ではない。けれど、そのキャラクターの腕の筋肉の隆起や、服に刻まれたシワの深さは、紛れもなく「僕」をモデルにしたことで得られたリアリティだった。
その集中力を目の当たりにして、僕は改めて、この「冬月凛」という一人の少女への尊敬を深くした。
「……恥ずかしいから、あまり見ないで」
凛がペンを動かしたまま、少しだけ顔を赤くして呟く。
「……分かった。お昼の準備するな。終わったらおいで」
「分かった! ちなみに献立はなーに?」
「冷やしうどんです」
「サラサラっといけそうだね! 楽しみ!」
僕は一度自分の部屋に戻り、キッチンの準備を始めた。
一方その頃、仕事部屋に残された凛は、大量に保存された資料写真を整理していた。
その一番最後にある、例の「こっそり撮った朝陽君の素顔」。
彼女はその一枚だけを迷わず選択し、仕事用の共有フォルダではなく、新しく作成した『プライベート』という名前のフォルダへと移動させた。
そして、淀みのない動きで「パスワード」を設定する。
(……これは、絵の資料じゃないから)
凛はスマホを胸元に抱え、自分だけが知っている優越感に浸る。
(私だけの『朝陽くん』。)
彼女の小さなデバイスの中に、また一つの「秘密」が積み重なった。
時計はもうお昼過ぎを指していた。
二人の関係が「絵師とモデル」から、いつもの「隣人とサポーター」へと戻っていく。
キッチンに立ち、お湯を沸かす。
今日のメニューは、のど越しの良い「冷やしうどん」だ。
氷水でキリッと締めたうどんに、大根おろしと天かす、それに刻んだ大葉をたっぷり散らす。
「できた!部屋に持っていくか…。」
お盆に乗せて、慎重に運ぶ。
「はーい、お待たせ。伸びないうちに食べろよ」
「はーい!ちょうど一段落ついたとこ!」
リビングから聞こえる、彼女の元気な声。
「わぁ、美味しそう! いただきまーす!」
秘密を共有し、データとしても、心としても、少しだけ距離が縮まった夏休み。
その「特別」は、ツルツルとうどんを啜る、なんてことない日常の中に、しっくりと溶け込んでいった。
数分後、うどんを平らげた凛が、お茶を飲みながら真面目な顔で切り出した。
「あの、朝陽くん。これ、今日のお礼なんだけど、なにかしてほしいことあるかな?」
「お礼? いいよ、飯のついでみたいなもんだし」
「ダメ。今日は本当に助かったし、これは私自身の気持ちだから。……何がいい? 欲しいものとか、行きたい場所とか」
凛の真っ直ぐな瞳に見つめられ、僕は少しだけ考えてから、心に秘めていたことを口にした。
「……なら、僕の服を選んでくれないか?」
「えっ、朝陽くんの、服?」
「ああ。昨日選んだ凛の服、変装しててもすごく似合ってて、綺麗で可愛いと思った。それに比べて、僕はいつも地味だろ」
僕は少し気恥ずかしさを覚えながらも、言葉を続ける。
「サポーターとして、君と一緒に歩いても恥ずかしくない格好がしたいんだ。……変かな?」
「……っ!」
凛が息を呑み、顔を一気に赤く染めた。
「……変じゃないよ。全然、変じゃない」
凛は俯きながら、でもどこか嬉しそうに唇を噛んだ。
「……分かった。次は私が、朝陽くんを最高にプロデュースするね」
夏の光が差し込む部屋で、僕たちの「お忍びデート」は、また新しい約束へと繋がっていった。
第66話、ありがとうございました!
凛ちゃんの「隠しフォルダ」作成と、朝陽くんの「隣を歩くための服」のリクエスト。
お互いに相手を「隣にいるべき存在」として強く意識し始めた、大きな一歩の回となりました。
朝陽くん、さらっと「綺麗で可愛い」なんて言うあたり、無自覚な天然タラシの才能がありますね……(笑)
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