第63話:予期せぬ遭遇と、共犯者の距離。
買い物帰りの浮かれた気分をぶち壊すように現れたのは、よりによって学校の女子グループ。
「氷の令嬢(本物)」が目の前にいるとも知らずに彼女の噂話をする連中を前に、朝陽の心臓はもうバックバクです。
朝陽の「咄嗟の判断」が、二人の距離をどう変えてしまうのか。ぜひ見届けてやってください。
「……ふぅ。なんか、こういう格好で外でお茶するの、新鮮かも」
モールのテラス席。
凛は、さっき買ったばかりのロゴTシャツとワイドデニムに身を包み、冷たいレモネードをストローでちびちびと飲んでいた。
キャップのつばを少し直しながら、キョロキョロと周りを見渡すその姿は、どこからどう見ても「夏休みを満喫している普通の女子高生」だ。
「 学校のやつらが見たら、それこそびっくりするだろうな」
「……ふふ、そうだね。学校での『冬月さん』を知ってる人が見たら、きっと別人だって思うはずだし。今の私は……ただの私、だもん」
凛は少しだけ誇らしげに笑った。
「よし、そろそろ行くか。……荷物、持つぞ」
「あ、ありがと。……朝陽くん、今日は本当に……」
凛が感謝の言葉を口にしようとした、その時だった。
駅へと続くメインストリート。
前方から、聞き覚えのある賑やかな笑い声が近づいてくる。
「――マジで!? ウケるんだけど!」
「あ、ねえ見て。あのショップ、セールやってるよ!」
心臓が嫌な音を立てた。
そこにいたのは、僕たちのクラスでも特に声の大きい女子グループだった。
その中には、凛を「氷の令嬢」として崇拝しつつも、面白半分で噂の的にしている顔ぶれも混ざっている。
「……っ、朝陽くん」
凛も気づいたらしく、顔が瞬時に引き攣った。
相手との距離は約十メートル。このまま進めば、正面からぶつかる。
「……下向いてろ」
「えっ、あ、……っ」
考えるより先に、身体が動いていた。
僕は凛の細い手首を掴むと、彼女を自分の方へと強く引き寄せた。
「えっ、ちょ、朝陽く……」
「いいから、僕に隠れてろ。顔、上げるなよ」
僕は凛のキャップのつばを深く押し下げ、彼女の肩を抱き寄せるようにして、自分の胸元に顔を隠させた。
傍から見れば、人混みの中で彼女をエスコートしている……あるいは、少し密着度の高いカップルにしか見えないはずだ。
「……っ」
腕の中で、凛の身体がビクッと跳ねる。
けれど、彼女は僕のシャツの裾をぎゅっと掴み、大人しく僕に従った。
すれ違う瞬間。
女子たちの会話が、残酷なほど鮮明に耳に届く。
「そういえば冬月さんってさ、夏休み中何してるんだろうね?」
「案外、海外とかで優雅に過ごしてるんじゃない? 」
「あはは!勉強できるから、宿題なんてもう終わってるだろうしね!」
そんな噂をされている張本人が、今、僕の腕の中で小さく震えているとも知らずに。
彼女たちが通り過ぎ、声が遠ざかるまで、僕はそのままの姿勢で歩き続けた。
腕の中に伝わる凛の体温。
鼻をくすぐる、石鹸の香り。
そして、僕の胸板に押し当てられた彼女の顔から伝わってくる、激しい鼓動。
……それが、恐怖によるものなのか、それとも別の理由なのか。
僕の心臓も、自分でも驚くほどの速さでビートを刻んでいた。
「……もう、大丈夫だ」
改札を抜けてホームの隅まで辿り着いたところで、僕はようやく腕を解いた。
凛は顔を真っ赤にしたまま、膝に手を置いて「はぁ……」と大きなため息をついた。
「……バレ、なかったよね?」
「ああ。……完璧な変装だったよ。あいつら、君のすぐ横を通ったのに気づきもしなかった」
「……そっか。よかった……」
凛はへなへなとベンチに座り込み、それからおずおずと僕を見上げた。
「……朝陽くんが、あんなに強く……守ってくれたからだね」
「……咄嗟だったんだよ。別に、他意はない」
僕は誤魔化すように視線を逸らした。けれど、掴まれていたシャツの裾には、まだ彼女の指の形が残っている。
電車に揺られながら、僕たちはしばらく無言だった。
秘密を共有し、正体を隠し、人混みを切り抜ける。
その一連の出来事が、僕たちの間にある「ただの隣人」という境界線を、音を立てて壊していくのを感じていた。
「……ねえ、朝陽くん。今日買った服、大切にするね」
窓の外、沈み始めた夕日に照らされながら、凛が静かに言った。
「そうか。……まあ、これからも買い物に行く時はそれを使え」
「うん。……また、一緒に選んでくれる?」
「……気が向いたらな」
ぶっきらぼうな僕の答えに、凛は「ふふっ」と満足そうに笑った。
新学期までのカウントダウンが、静かに始まっている。
学校に戻れば、彼女はまた「氷の令嬢」に戻り、僕は「ただのサポーター」に戻るのだろうか。
夕日に照らされた彼女の横顔を見ながら、僕はただ、自分の中にある名前のつかない感情に、蓋をすることしかできなかった。
第63話、お読みいただきありがとうございました!
ショッピング編、いかがでしたでしょうか。
危機一髪の場面で見せた朝陽くんの男気(?)と、密着してしまった二人の距離感。
「氷の令嬢」という虚像と、朝陽の腕の中で震える凛ちゃんのギャップが、作者としてもお気に入りです。
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