第61話:一夜明けて、不慣れな予習。
秘密を共有した翌朝。
朝陽くんが直面したのは、令嬢としての威厳……ではなく、あまりにも無防備な「部屋着姿の隣人」でした。
そして、二人は新学期に向けた「お忍びショッピング」の約束をすることに。
トーストが焼き上がる香ばしい匂いと、冷蔵庫から出したばかりの冷たいスープをボウルに注ぐ音。
昨夜、凛から「冬月建設」の令嬢だなんていう特大のカミングアウトをされたけれど、一晩寝てみれば現実味なんてどこにもなかった。
結局のところ、僕のやるべきことは変わらない。
カチャ。
聞き慣れた音と共に、ドアが開く。
「……おはよ、朝陽くん。……いい匂い」
入ってきたのは、少し寝癖のついたポニーテールに、薄手の大きなTシャツを着ただけの凛だった。
おそらく、下にはショートパンツくらいは穿いているんだろうが、裾が長すぎてまるで何も穿いていないように見える。
毎日思うが、その完全オフな部屋着は、僕に見せてもいいものなのだろうか。
……というか、正直に言って、朝から刺激が強すぎる。
「凛、毎日思うんだが、僕の前でその服装で大丈夫なのか?」
「え、ダサいかな?」
「ダサいとかじゃなくて、いろいろ……その、刺激が強いというか。目のやり場に困るんだよ」
僕が視線を逸らしながら言うと、凛は自分の格好をまじまじと見下ろして、数秒後にようやく意味を理解したらしい。
「……っ。あ、朝陽くんなら、大丈夫!」
凛は顔を真っ赤にして、自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「……リラックス、できるということです! 朝陽くんに下心がないのは、もう分かってるし」
「信頼されてるのか、男として見られてないのか、複雑だな……」
「後者じゃないよ!……もう、変なこと言わせないで」
凛は逃げるように食卓につき、冷製スープを一口啜った。
「……ん、おいしい。生き返る……」
「それは良かった。……まあ、その格好は秋が来るまでの辛抱だな」
僕が小さく溜息をつくと、凛は恥ずかしさを誤魔化すように、トーストを勢いよく齧った。
「……ねえ、朝陽くん」
トーストを半分ほど食べたところで、凛が少しだけ真面目な顔で切り出した。
「服……出かけるときに変装に使う服、ほしいかも。午後買いに行きたいんだけど、もしよければ一緒に行かない?」
「買い物? 良いけど、僕でいいのか? そういうのは同性の友達とかと行ったほうが……」
「朝陽君がいいもん…」
「え……」
「それに、変装して一緒に歩くのは朝陽くんだから。……朝陽くんに選んでほしいの。客観的に見て、一番目立たないやつを!」
さらっと、とんでもないことを言う。
本人は「隣を歩く男に釣り合った格好がいい」という意味だろうが、言われた方はそれなりにくるものがある。
「……まあ、そういう理由なら。いいぞ。午後からだな」
「本当? やった。じゃあ午前中で仕事終わらせちゃうね。ありがと、朝陽くん」
凛は嬉しそうに残りのパンを平らげると、自分の部屋へ戻っていった。
午前中、自分の分の洗濯を済ませた僕は、パソコンの前で頭を抱えていた。
検索欄には『女子 夏 ファッション 流行』の文字。
正直、女子の服なんてさっぱり分からない。予習なしで買い物についていって「何でもいいよ」なんて無責任なことは言いたくなかった。
ネットで調べると、聞いたこともないような用語が並んでいる。
シアー、セットアップ、タックワイドパンツ……呪文か何かか?
凛の顔を思い浮かべて、「これはどうだ?」「こっちは?」と考えるが、結論はどれも「多分全部似合う」に辿り着いてしまう。
いや、目的はあくまで変装だ。
学校の連中に「あれ、冬月じゃね?」と思われないための、庶民的な、かつ彼女のオーラを消せる格好……。
僕はいくつか、自分なりに候補をメモしてみた。
【ストリート系】 黒いキャップにビッグT。一番シルエットを隠せそうだ。
【真面目学生風】 伊達メガネにロングスカート。氷の令嬢のイメージとは真逆かもしれない。
【ボーイッシュ】 サロペットにボーダー。作業着っぽくて、令嬢感は消えるはず。
【ナチュラル】 落ち着いた色のシャツワンピース。凛が着ると清潔感が出すぎるか?
「……どれも、結局目立ちそうな気がするな」
モデルが良すぎるのも問題だ、と僕は贅沢な悩みを抱えながら時計を見た。
気づけばもうお昼近く。ご飯を作らなければ。
今日のメニューは、手早く作れる「そうめん」だ。
キッチンで大きな鍋に湯を沸かし、麺をパラパラと投げ入れる。
その間に、薬味のネギを刻み、生姜をすりおろした。
凜にメッセージを送る。
「ご飯できてるから、終わったらおいで。急がなくて大丈夫。」
「はーい!」という元気な返信が返ってきた。
数分後、凜が部屋に入ってきた。
「わあ、そうめん! 夏だねぇ」
凛がやってきて、嬉しそうに食卓を覗き込む。
「これくらいしか作る気力がなくてな。沢山食べな」
「うん。いただきます!」
キンキンに冷やした麺を、濃いめのつゆにくぐらせて啜る。
ズズッ、という行儀の悪い音が、この暑い昼下がりには心地いい。
「……んー! 冷たくて最高。朝陽くん、生姜多めに入れるの分かってるね」
「好みに合ったようでなにより」
僕がぶっきらぼうに答えると、凛は麺を啜りながら、じっと僕の顔を見てきた。
「……何だよ」
「……ううん。なんか、おじいちゃんのこと話したあとも、朝陽くんが全然変わらないから。……ちょっと、安心しただけ」
「令嬢だろうが何だろうが、腹は減るだろ。……ほら、さっさと食べて準備するぞ。午後は忙しくなる」
「……はーい!」
夏の日差しが窓の外で白く光っている。
午後のショッピングモールは、さぞかし暑いだろう。
けれど、秘密を共有したあとの初めての「お出かけ」に、僕の心臓も少しだけ、そうめんの氷水では冷やしきれない熱を帯びていた。
第61話、最後までお読みいただきありがとうございました!
朝の刺激的な一幕から、平和なそうめんランチまで。
家柄を知ってもサポートを優先する朝陽のスタンスが、凛にとっては一番の救いなのかもしれません。
さて、午後はついにショッピングモールへ。
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