第60話:冬月の令嬢と、秘密の共有
深夜の蜘蛛騒動で散々騒いだあと、最後の一つのクッキーを分け合う二人。
そこで凛が切り出したのは、彼女の「家」にまつわる秘密でした。
「氷の令嬢」と呼ばれた彼女の真実と、それを受け止める朝陽の答え。
最後の一つのクッキーを二人で分け合い、ようやく落ち着きを取り戻した頃。
凛はソファーの上で毛布を被ったまま、膝を抱えて僕をじっと見つめてきた。
蜘蛛に怯えていた時とは違う、何かを覚悟したような、静かな視線。
「……ねえ、朝陽くん」
「ん?」
凛は視線を落とし、毛布の端をいじりながら続けた。
「……これから話すことを聞いても、私のこと、遠い存在に感じたり……態度を変えたりしない?」
「……?」
唐突な確認に首を傾げる。
「変えるわけないだろ。……っていうか、今さら何を言われても、毎日見てきた凜の姿は変わらないよ。……虫がだめなところも。」
「……それは言わないでよ」
凛は少しだけ頬を膨らませたあと、意を決したように口を開いた。
「さっき言ってた私のおじいちゃん……隣の県にある、『冬月建設』の社長なんだ。今は会長、だったかな」
「……は?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
冬月建設。隣の県どころか、この界隈でその名前を知らない人はいない。地方ゼネコンの超大手で、CMもバンバン流れている、あの「冬月」だ。
「え、……あの冬月? 地元リーグのスタジアムとか作ってる、あの?」
「うん、多分それ。……お父さんとお母さんは、その跡を継ぐための修行とかで、今は海外に行ってる。ドバイとかシンガポールとか、あっちの方」
「……マジか」
思わず声が漏れた。
彼女が「良い家の子」だとは薄々感じていた。仕送りや、時折見せる上品な振る舞い。
学校での「氷の令嬢」の振る舞いもそうだ。
でも、まさかそんな、テレビの向こう側のような「令嬢」だったなんて。
「……驚いた?」
「驚かない方が無理だろ。そんな家の令嬢が、なんでこんな普通のマンションで、家事もできずに一人で暮らしてるんだ」
僕が素直な感想をぶつけると、凛は困ったように眉を下げた。
「……おじいちゃんと、喧嘩したの。私の仕事……イラストレーターのことを、全然理解してくれなくて。そんな暇があるなら経営を学べとか、そんなことばっかり」
凛は少しだけ遠くを見るような目をした。
「とにかく自由に絵を描きたくて。……それでおばあちゃんと、海外にいる両親が味方してくれたの。おじいちゃんと距離を置ける場所に、拠点を用意するからって。それが、ここ」
「……なるほどな。おばあちゃん公認の家出、みたいなもんか」
「そんな感じ。……一人で立派にやってやる! って意気込んで出てきたんだけどね。……現実は、蜘蛛一匹で朝陽くんを呼び出す始末だし…」
「……確かに。かっこつかないな」
「そうなの。……もう、本当に情けない」
凛は自嘲気味に笑ったが、その表情にはどこか晴れ晴れとしたものがあった。
自分を縛っていた背景を、僕にさらけ出したことへの安心感。
凛はもう一度、確認するように僕を見た。
「……本当に、態度変えない?」
「だから変えないって。……むしろ、納得したよ。学校で『氷の令嬢』なんて呼ばれてる理由も、君がたまに見せる、変に頑固なところも」
僕は立ち上がり、彼女の頭をポンと叩いた。
「冬月の孫だろうがなんだろうが、僕にとっては『家事特訓中のお隣さん』でしかないよ。……明日も明後日も、変わらずサポートするよ」
凛は一瞬だけ目を見開いたあと、今日一番の、柔らかい笑顔を見せた。
「……うん。ありがとう、朝陽くん」
窓の外では、まだ夏の虫が騒がしく鳴いている。
彼女の背負っている背景を知っても、僕たちのやるべきことは変わらない。
むしろ、この「名前のない契約」は、より特別なものになった気がした。
僕たちの夏休みは、まだ半分以上残っている。
そして、この狭いマンションの二部屋から始まる物語は、ここから加速していくんだ。
第60話、お読みいただきありがとうございました。
ポンコツ絵師な彼女の正体は、まさかの超大物お嬢様。
その秘密を共有したことで、二人の絆はさらに強固なものになりました。
夏休みの後半戦、そして二人の関係が学校という「外の世界」へと舞台を広げます。
新学期、期末テスト……そして少しずつ変化していく二人の距離。
物語はさらに熱く、甘く続いていきます。
引き続き、応援よろしくお願いいたします!
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