第48話:ボサボサ頭のヒロインと、朝の作戦会議。
昨夜、お母さんの味を再現したおでんで一緒に涙したばかりなのに、余韻に浸る暇なんてなさそうです。
朝から壁の向こうで響く、不穏な「ドタバタ」という音。
ご両親の帰国という大イベントを前に、パニック寸前の凛が一人で「戦闘」を始めたみたいです。
夏休みの朝。柔らかな陽光がキッチンに差し込む中、僕は卵を焼く小気味よい音を聞いていた。……はずだった。
(ズズズッ……ガコンッ!)
「……なにごと?」
隣――凛の部屋から聞こえてくるのは、もはや「片付け」というレベルではない。重い棚を引きずり、何かをひっくり返し、あるいは壁に激突しているような凄まじい騒音だ。
(……あの子、一人で片付けしてるのか。 見られたくないものでもあるのか……)
心配を通り越して、少しだけ恐怖すら覚える。氷の令嬢と恐れられる彼女が、今まさに壁の向こうでなりふり構わず戦っている。そのギャップを想像して、僕は思わず苦笑した。
いつもの時間になっても鍵が開く気配はない。僕は一旦コンロの火を止め、スマホを手に取った。
『おはよ。ごはんできたよー! 冷める前に食べにおいで』
送信して数秒。
「ガチャリ」と玄関が開く音がして、少し乱れた足音がリビングまで響いてきた。
「おはよー、朝陽くん……!」
現れた凛は、まさに「戦場帰り」といった風情だった。
いつもは完璧に整えられている長い黒髪があちこち跳ね、白いTシャツの袖には薄っすらと埃がついている。
「おはよ。少し……片付けてたんだろ?」
「少し、じゃないよ! もう、あっちもこっちも気になっちゃって……」
「音、すごかったぞ。壁でも壊してるのかと思った。」
「……うぅ、ごめんなさい。」
椅子にへたり込む彼女の前に、焼き立てのトーストとサラダを並べる。
「お疲れ様。とりあえず、朝ごはん食べよう」
「……うん。いただきます……」
一口食べると、凛の表情がふにゃりと緩む。
泣きながらおでんを食べた昨日とはまた違う、安堵の笑顔。
「で、片付けだけど……どうする?」
トーストを食べながら、僕は慎重に切り出した。
「僕が手伝わないほうがいいならやめとくけど。仕事道具とか、勝手に動かしたら分からなくなるだろ?」
「あー、そうだね……。でも、服とかはもう洗濯機まわしてあるし、あとは小物を片付けて掃除機をかけるだけなんだ。……ただね、小物をまとめるケースがなくて」
「ケースか。なら、今後のためにもあったほうがいいな。整理が苦手なら、なおさら」
「……苦手じゃないもん。時間がなかっただけだもん」
頬を膨らませて抗議する凛。
「わかったわかった。……じゃあ、買いに行こうか?」
「えっ、いいの? ……朝陽くん、時間ある?」
「ああ。ただ、寸法とか測らないと入らなかったりするから。……とりあえず、今から一瞬だけ部屋に入ってもいいか?」
その言葉を口にした瞬間、僕の喉がわずかに乾いた。
……「部屋に入る」。
何度も経験しているはずなのに、なんだか特別に意識してしまう。
「いいよ! ……見られたくないものとか、下着とかはさっき確認したし。たぶん、大丈夫!」
「……いや、下着だけとは限らないだろ。……っていうか、そういうのを僕に直接言うな」
全く、この子は。無防備にも程がある。
食事を終え、僕はメジャーを手に、隣の部屋へと足を踏み入れた。
「お邪魔します……」
一歩踏み込んだ瞬間、僕の鼻腔をくすぐったのは、石鹸のような清潔感のある香りと、紙やインクの匂いが混ざった、独特の「凛の匂い」だった。
僕の部屋とは明らかに違う、少しだけ甘くて、どこかピンと張り詰めた女の子の部屋の空気。
(……落ち着かないな、やっぱり)
心臓の鼓動が少しだけ早くなる。
けれど、視界に入ってきた光景は、想像していた「戦場」とは違っていた。
「……あれ。思ったより、ずっと綺麗じゃないか」
「でしょ? 頑張ったんだよ!」
「 今日、何時から始めたの?」
「 6時起きかな。いつもより少し早いくらいだよー!」
「6時……。ちゃんと寝たのか?」
「うん、寝たよー!」
凛は得意げに笑っているが、デスクの周りには液タブの配線や、種類ごとの画材、資料の束が山のように固められている。なるほど、ここが主戦場だったわけだ。
「このあたりだな。……うん、この幅ならよくあるスタッキングボックスとか、メッシュのカゴで十分整理できそうだ」
「本当!? 朝陽くん、やっぱり頼りになる!」
「……褒めても何も出ないぞ。必要なサイズは測ったから、支度したらすぐに出発しようか」
「わかった!」
凛が着替えのために奥へ引っ込む。
ご両親が来るまでのカウントダウン。
僕たちの「共同作業」は、爽やかな夏の空気と共に、加速し始めていた。
第48話、いかがでしたか?
朝から頑張りすぎて髪がボサボサになっちゃった凛ちゃん、なんだか「氷の令嬢」よりもずっと親近感がわいて可愛かったですね。
それにしても、無防備すぎる報告……。
朝陽くんをそれだけ信頼している証拠なんでしょうけど、言われた本人の身にもなってほしいものです。
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