第46話:魔法のレシピと、寂しがり屋さん。
凛のルーツが「隣の県」であることを知った朝陽。いつか彼女が帰る日のために家事を教えようと決意しますが、同時に芽生えた「離れたくない」という想いに戸惑います。
そんな中、朝陽は彼女を元気づけるため、思い出の「お母さんの味」の再現を提案。
「隣の県ってことは、やっぱり『おでん』が有名だね。
真っ黒なスープのやつ。凛も、あっちにいた頃はよく食べてたのか?」
「うん! もう、大好き!!」
「……おでんいいな…。 この暑さだけど、クーラーガンガンに効かせたらちょうど良さそう。」
「……だよね! 私にとって、お母さん料理の中で一番の元気が出るのは、おでんなの!」
凛は少しだけ視線を泳がせ、マグカップの縁をなぞった。
「夏でも当たり前に食卓に並んでたし、駄菓子屋さんでも売ってたりするんだよ。……なんだか今、無性に食べたくなっちゃった」
少し照れくさそうに笑う彼女の瞳の奥に、隠しきれない望郷の念が滲んでいた。
遠く離れた両親、喧嘩したままのおじいちゃん、そして、かつて当たり前だった家庭の温もり。
その寂しげな色が、僕の料理人魂――いや、彼女を元気づけたいという、もっと切実な想いに火をつけた。
「わかった。凛が監督だ。凛の記憶を頼りに、僕が全力で再現してみる!」
「本当!? ありがとう、朝陽くん!」
パッと花が咲いたような笑顔。その輝きを守るためなら、真夏におでんを作るくらいの苦労は、安いものだと思った。
材料を揃えるため、僕たちは最寄りのスーパーへと向かった。
外はアスファルトが陽炎を立てるほどの猛暑。凛は大きめのキャスケットを深く被り、大きめのサングラスに、涼しげな白と紺のワンピースという完璧な変装をしていた。
「朝陽くん、こっち! はんぺん、ちゃんとあったよ!」
「お、よく見つけたな。おでんには欠かせないからな」
陳列棚の前で、凛がはしゃいだように声を上げる。
学校での彼女を知る人間が見れば、腰を抜かすだろう。今の彼女は、クールな「氷の令嬢」などではなく、ただの年相応な、可愛らしい女の子だ。
「あとは牛すじと、角揚げ。お母さんのは、醤油の色が濃かった気がするな……」
「わかった。醤油とみりんのバランスが鍵だな」
買い物カゴを腕に下げ、横に並んで歩く。
ふとした瞬間に、ワンピースの裾が僕の足に触れる。その度に、心臓が不自然なリズムを刻むのを僕は必死に無視した。周りから見れば、僕たちはどう映っているのだろうか。ただのクラスメイトか、それとも――。
帰宅した頃には、二人とも汗ばんでいた。
「……シャワー、浴びてきなよ」
「えっ、あ、うん。……お言葉に甘えて」
凛が自宅に戻り、僕も手早く汗を流す。
夕方。エアコンを強めに入れ、涼しくなったリビングで調理を開始した。
牛すじを丁寧に下茹でし、醤油、みりん、そして隠し味の牛すじの出汁でスープを真っ黒に染めていく。
「……こんな感じか? 味見してみてくれ」
小皿に分けたスープを差し出すと、凛がふーふーと息を吹きかけ、慎重に口に含んだ。
「……ん! 美味しい! でも、もう少しだけ甘かったかも。お母さんはみりんをドボドボ入れてた気がする」
「なるほど、家庭の味は意外と甘めなんだな」
凛のアドバイスを元に、味を微調整していく。
串に刺した具材が漆黒の海のようなスープの中で踊り、独特の香ばしい匂いがキッチンを満たしていく。この「共同作業」の時間が、贅沢に感じられた。
鍋の蓋からしゅんしゅんと湯気が上がり、具材に味が染み込んだ頃。
凛の携帯がテーブルの上で震えた。
表示された名前を見て、凛は少し驚いたように、けれど穏やかな顔で通話ボタンを押した。
「……うん。あ、お母さん? ……元気だよ。今ね……。」
電話の向こうの母親と楽しそうに、少し甘えるように話す凛の横顔。
邪魔になりたくなかったのか、部屋から出て行ってしまった。
数分後、電話が終わったようで、凜が戻ってきた。
「……ごめんね、朝陽くん。お母さん、元気そうでよかった」
「いや、いいタイミングだったよ。……さあ、できたぞ」
僕は完璧なタイミングでおでんを盛り付けた。
その瞬間、一気におでんの匂いが部屋中に広がった。
「いい匂い!!懐かしい!」
「さあ、食べようか!」
飲み物を準備し、お互い椅子に座る。
「……いただきます」
凛が、黒く染まった大根を箸で割り、口に運ぶ。
一口、二口。咀嚼するたびに、彼女の動きがゆっくりになっていく。
「…………」
「どうだ? 違ったか?」
不安になって顔を覗き込むと、凛の瞳から、大粒の涙がぽろりとこぼれた。
「……お母さんの味だ……。……すごいね、朝陽くんは。」
彼女は笑いながら、泣いていた。
それは、これまで見てきたどの凛よりも美しく、そして危うかった。
学校で「氷の令嬢」と恐れられている少女の正体は、こんなにも温かくて、家族が恋しくて、愛情を素直に受け取れる寂しがり屋な女の子なんだ。
「ありがとう、朝陽くん。……私、元気出た。明日からもっと頑張れる」
「……ああ。無理だけはしないでくれ。今度作り方、ちゃんと教えるね。」
「うん、絶対!」
外ではまだ蝉の残響が聞こえていたが、この部屋だけは、温かいおでんの湯気と、二人の縮まった距離で、静かに、そして熱く満たされていた。
お母さんの味に涙する彼女を、朝陽くんがそっと見守るシーンは、二人の絆がまた一つ深まった証拠ですね。
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