第42話:夏の残暑と、無防備な寝顔
合鍵という「新しい繋がり」を手に入れた二人。
夏休み初日の午前中を一緒に過ごし、午後はそれぞれ仕事と買い出しへ。
別々の時間を過ごすことで、逆に「隣に誰かがいること」の大きさを実感する二人。
「お昼は、トマトとツナの冷製パスタ。隠し味にレモンを絞ってあるから、さっぱり食べられるぞ」
「わあ……。夏バテしそうな日でも、朝陽くんのご飯ならいくらでも食べられちゃう」
お揃いのマグカップに冷たい麦茶を注ぎ、二人で並んでパスタを啜る。
食べ終えて一息つくと、凛が名残惜しそうに立ち上がった。
「じゃあ、私は自分の部屋に戻ってイラストの仕事進めるね。夕方までに一点、仕上げなきゃいけないから」
「ああ。僕は生活必需品と、切らしてた調味料を買い出しに行ってくるよ」
「……うん。じゃあ、また後で」
「また後で」という、ごく自然な約束。
けれど、彼女が自分の部屋へ戻り、僕が一人で玄関の鍵を閉めたとき、静まり返った部屋が妙に広く感じられた。
二時間後。
両手に重い買い物袋を提げて帰宅すると、玄関の鍵はすでに開いていた。
(……閉め忘れたか?)
一瞬焦ったが、リビングから聞こえてくるカチカチという液タブのペン音で、僕は合鍵の存在を思い出した。
「……凛? 自分の部屋でやってるんじゃなかったのか」
リビングのデスクには、僕の椅子に収まって集中してペンを走らせる凛の姿があった。
僕に気づくと、彼女は申し訳なさそうに、けれどどこかホッとしたような顔で僕を見上げた。
「……おかえり、朝陽くん。……自分の部屋だと、静かすぎて。全然集中できなくて……寂しかったんだもん」
そんな、迷子の小動物のような顔で言われるとは思わなかった。
「……そうか。それなら、いいけど」
言葉よりも先に、手が動いていた。
僕は無意識に、彼女の柔らかな髪に手を置き、ポンポンと軽く撫でてしまった。
「…………っ!」
「……あ。いや、ごめん。その……」
凛が目を丸くして固まる。僕も自分の行動に驚き、慌てて手を引っ込めた。
「……食材、冷蔵庫に入れてくる!」
赤くなった顔を隠すように、僕はキッチンへと逃げ込んだ。
夕食を終え、それぞれが自室でお風呂を済ませた後、凛が再び僕の部屋へやってきた。
寝る前のストレッチとマッサージ。これは、僕たちが「協力者」として決めた大切な日課だ。
「……ふぅ。体が軽くなった気がする。ありがと、朝陽くん」
「……熱いな。クーラー入れてても、風呂上がりはこたえる」
マッサージを終え、二人でソファの近くに座り込む。
ふと、火照った体に冷たいものが欲しくなった。
「……アイス、食べたくないか?」
「食べる! 私はバニラがいいな!」
「わかった。コンビニでパパッと買ってきてやるよ。……鍵、ちゃんとかけとけよ?」
「はーい。いってらっしゃい」
僕は財布とスマホを手に、夜の街へと駆け出した。
十分後。
袋の中でカサカサと鳴るアイスの感触を楽しみながら、僕は自分の部屋へ戻った。
ドアを開け、リビングへ向かう。
「買ってきたぞ。溶ける前に……」
声が、止まった。
リビングのソファ。
そこには、僕のTシャツを着た凛が、丸くなるようにして横たわっていた。
規則正しい、穏やかな寝息。
仕事で根を詰めていたのか、あるいは僕の部屋が彼女にとってそれほど安心できる場所なのか。
凛は完全に、深い眠りに落ちていた。
「……おい、凛。風邪引くぞ。起きろ」
肩を軽く揺らしてみるが、「うぅ……」と小さく声を漏らすだけで、彼女の瞼はピクリとも動かない。
それどころか、寝返りを打った拍子に、彼女の細い手が僕の手首をぎゅっと掴んだ。
(…………どうしよう、これ)
手元のアイスは、容赦なく溶け始めている。
けれど、それ以上に僕の理性が、彼女のあまりにも無防備な寝顔を前に、静かに悲鳴を上げていた。
第40話をお読みいただき、ありがとうございました!
「寂しかった」と正直に伝えてしまう凛ちゃんと、それに思わず手が動いてしまう朝陽くん。付き合っていないはずなのに、二人の空気はどんどん「特別な場所」へと変わっていますね。そしてラストの寝顔。果たして朝陽くんは、彼女を抱きかかえて隣の部屋へ運ぶのか、それとも……?




