第41話:銀色の重みと、朝の距離
大輝と紗紀に「秘密」がバレ、さらには紗紀から「危機感がなさすぎる」と叱られた二人。しかし、朝陽が凛に託した合鍵は、返却されることなく彼女のキーケースに収まりました。
夏休み初日の朝。凛はもらったばかりの鍵を手に、朝陽の部屋のドアの前に立ちます。「勝手に入っていいって言われたけど、本当にいいのかな……」そんな葛藤を抱えながら、二人の「新しい日常」が始まります。
(……カチャリ、という、耳慣れない金属音がした)
夏休み初日の朝、僕が目を覚ましたのは、アラームの音ではなく、玄関から聞こえたその微かな音だった。
一瞬、泥棒かと思って身構えたが、すぐに昨日の出来事を思い出す。
僕は、隣の部屋に住むクラスメイト――冬月凛に、この部屋の合鍵を渡したのだ。
(……本当に、開けて入ってきたな)
まだ夢心地の頭で、リビングへと向かう。
そこには、僕のキッチンに立ち、冷蔵庫の前で石のように固まっている凛の姿があった。
「……凛? 何してるんだ」
「ひゃっ!? ……あ、朝陽くん。お、おはよう……。……あの、その、起こしちゃった?」
凛は昨日渡した銀色の鍵を、まるでお守りのように両手で握りしめている。
付き合っているわけでもない男の部屋に、自らの手で鍵を開けて入る。その事実に、彼女自身も相当な緊張を感じているのが伝わってきた。
「起こしてはいないけど……。本当に開けて入ってくるとびっくりするな…。」
「っ、……だって、いいって言ったのは朝陽くんでしょ! 夏休みだし、お礼に朝ごはんくらい手伝おうと思っただけだもん!」
凛は顔を真っ赤にして、精一杯の「建前」を口にした。
別に僕たちは恋人同士になったわけじゃない。
あくまで、食事をサポートする僕と、それを対価として彼女を支える「協力関係」の延長線上。……のはずだ。
「……わかったよ。じゃあ、パン焼くから手伝ってくれるか」
「うん! 任せて!」
二人で並んでキッチンに立つ。
いつもなら何気ない光景のはずなのに、今日は合鍵という「重大なもの」を共有しているせいか、肩が少し触れそうになるだけで、妙に意識してしまう。
(……ただの効率化だ。昨日、寺田さんにあれだけ怒られたんだから、これは『友人』としての信頼の証なんだ)
僕は自分にそう言い聞かせ、トースターに手を伸ばした。
朝食がテーブルに並ぶ。
その中心には、昨日二人で選んだばかりの、ネイビーとアイボリーのペアマグカップがあった。
「……本当に、お揃いなんだね」
凛がアイボリーのマグを指先でなぞりながら、ポツリと呟いた。
「ああ。……どっちが誰のか、分かりやすくていいだろ」
「……そうだね。……うん、そうだよね」
二人の間に、昨日まではなかった、むず痒いような沈黙が流れる。
合鍵を手に入れた凛。それを渡した僕。
この鍵一本で、僕たちのプライベートな境界線は、確実に少しだけ崩れてしまった。
だからこそ、僕は「友人」としての線引きを、言葉にしなくてはならなかった。
「……凛、一応確認だけど。合鍵、あんまり無闇に使っちゃダメだからな。仕事とか勉強とか、用事がある時だけ。……いいな?」
「……わかってるよ。寺田さんにも怒られたし」
凛は少し寂しそうに視線を落としたが、すぐに顔を上げて僕を見つめた。
「……でも。もし、どうしても寂しくなっちゃったら、……その時は、いい?」
「…………。……その時は、いいよ…。」
「……えへへ。……ありがと、朝陽くん」
結局、午前中はリビングで一緒に夏休みの課題をやることにした。
ローテーブルを挟んで、お互いに一言も発さず、ただペンを走らせる音だけが響く。
(……全然、集中できない)
ノートに向かっているふりをして、僕は視界の端に映る凛の様子を伺う。
彼女もまた、ペンを止めて、自分のキーケースに繋がれた銀色の鍵を、ぼーっと見つめていた。
合鍵を手に入れたからといって、何かが劇的に変わるわけじゃない。
けれど。
銀色の鍵一本分だけ、僕たちの夏休みは、他の誰よりも特別なものになろうとしていた。
第41話をお読みいただき、ありがとうございました!
合鍵という重大な一歩を踏み出した二人のドギマギ感を描きました。朝陽くんの「線引き」をしようとする理屈っぽさと、それを少しだけはみ出そうとする凛ちゃんの可愛さが、この二人の「今」を象徴していますね。




