第38話:ただいま、と言いかけて。
夏休みがいよいよ本格的に始まります。
朝陽は、これからも毎日やってくるであろう凛のために、ある「決意」を形にします。それは、自分の部屋の合鍵を渡すこと。
「寂しいから」と素直に甘えるようになった凛との、穏やかな夏休み。……のはずが、親友・大輝からの緊急電話が平穏を破ります。
「……ごちそうさま。美味しかった」
夏休み初日の朝。凛と一緒に囲む朝食は、もう日常の風景になりつつあった。
食器を片付けようと席を立つ彼女を制して、僕は
「あ、ちょっと待って。渡したいものがあるんだ」
棚の奥から、用意しておいた小さな袋を持って戻る。中身をテーブルに置くと、銀色の金属が朝の光を反射してキラリと光った。
「これ……鍵?」
「ああ。合鍵だ。これから夏休みだし、いちいちピンポン鳴らして僕がドアを開けるのを待たせるのも悪いだろ。……一応、管理会社には許可取ってあるから」
凛は目を丸くし、それから壊れ物を扱うような手つきで鍵を手に取った。
「いいの? 私、これ持ってたら、いつでも入ってきちゃうよ?」
「……構わないよ。」
そう答えると、凛は顔を真っ赤にしながら、大切そうに自分のキーケースへとそれを繋いだ。
「本日のご予定は?」
「午前中に仕事を終わらせて、午後は宿題かな。……終わったら、また来てもいい?」
「いいけど、何するんだ? 」
僕が何気なく尋ねると、凛は少しだけ視線を泳がせ、小さな声で零した。
「……だって、一人は寂しいから。……去年までは平気だったんだけど。今は……」
「今は?」
「……なんでもない! 仕事、頑張ってくるね!!」
凛は逃げるように自分の部屋へ帰っていった。
(寂しい、か……)
僕にしか見せない彼女の弱さが、少しだけ誇らしく、そして愛おしかった。
凛が帰ってから一時間後。掃除をしていた僕の携帯が激しく震えた。
表示された名前は、大輝。
「もしもし、どうした?」
『朝陽! すまん、今家にいるか!?』
大輝の声は、かつてないほど切羽詰まっていた。
『紗季と出かけてたんだけど、紗季が段差で足をくじいちまって……。今すぐ応急処置したいんだ。今お前の家のすぐ近くでさ』
「分かった、今すぐ行く! どこだ?」
家を出て全力で走ると、二分も経たないうちに、大輝に肩を貸している寺田さんの姿を見つけた。
「寺田さん! 大丈夫か?」
「ごめんね、朝陽くん……。ちょっと派手にやっちゃって」
僕は大輝の反対側の肩を支え、三人で僕の部屋へと急いだ。
ソファに寺田さんを座らせ、僕は手早く準備を整える。
「大輝、この氷嚢を当てててくれ。」
「おう、サンキュ! 助かる!」
腫れが少し引くのを待ってから、僕は常備している湿布を貼り、丁寧に包帯を巻いて固定した。
「……よし。これで少しは楽になるはずだ」
「マジで助かった。お前、こういうのも手慣れてんだな」
「料理人も怪我は多いからな。……まあ、頼ってくれて嬉しいよ。」
「朝陽くん、本当にありがとう。助かっちゃった」
「困ったときはお互い様だろ」
寺田さんの顔にも赤みが戻り、三人でホッと胸を撫で下ろした。リビングに、いつもの穏やかな空気が戻る。
……だが。
――カチャリ。
静かなリビングに、金属が回る無機質な音が響いた。
心臓が、跳ね上がる。
(……やばい。鍵、開いてたっけ……?)
いや、違う。大輝たちを入れた後、僕は確実に内側から鍵をかけた。
ということは。
「朝陽くん! 仕事終わったからお昼……」
楽しげな声と共に、玄関のドアが勢いよく開く。
そこに立っていたのは、左手に新しいキーケースを握りしめた凛だった。
「ただいま」と言わんばかりの自然さで、彼女は部屋に踏み込み――。
そして、固まった。
「え……?」
「え!?(冬月さん!?)」
「…………えっ!?」
ソファで並んで座る大輝と寺田さん。
その中心で、包帯を手に持った僕。
そして、合鍵を持って当然のように現れた、この学校の「氷の令嬢」。
銀色の鍵が、凛の指先で小さく音を立てて揺れていた。
ついに合鍵を渡しましたね。……からの、まさかの大集合!
朝陽くんの優しさが招いたこの大騒動、一体どうなっちゃうんでしょうか。
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