第271話:理性の危機と、快眠計画
今回は朝陽視点。日曜日の午後のお話です。
「じゃあ私、さっそく部屋に戻ってアイコンのラフ案描いてみるね!」
そう言って満面の笑みで自分の部屋へ戻っていった凛を見送り、俺は一人、静かになったキッチンで食器の片付けを始めていた。
スポンジでフライパンをこすりながら、先ほどの彼女とのやり取りが頭の中でループする。
『金曜の夜から、日曜日の朝まで……2泊じゃ、ダメ……?』
「……2泊。金曜の夜から、日曜の朝まで」
無意識のうちに口に出して呟いた瞬間、手元がツルッと滑った。
「うおっ!?」
危うく泡だらけの皿を落として割りそうになり、空中でなんとかキャッチする。
危ない危ない、と安堵の息を吐いたものの、俺の心臓は先ほどからずっと警報を鳴らしっぱなしだった。
俺と凛の、完全に二人きりだ。
一緒に夜ご飯を食べて、お風呂に入って……そして、夜が来る。
(――寝る時、どうなるんだ……?)
俺の部屋のベッドは一つしかない。
まさか床で寝かせるわけにはいかないから、凛にはベッドを使ってもらうとして……俺はどこで寝る? 床に布団を敷くか?
いや、もし万が一、あの甘えたがりの凛が「一緒に寝たい」なんて言い出したら。
(一緒の、布団で……っ!?)
想像しただけで、顔面から火が噴きそうになる。
いや待て、それ以前にもっと深刻な問題があるぞ。
(俺、寝相とか大丈夫だよな……!? いびきとか、歯軋りとかしてないよな!?)
一人暮らしだから、自分の睡眠中の生態なんて誰にも指摘されたことがない。
もし、凛の隣で大いびきをかいて寝ていたらどうしよう。
寝相が悪くて布団を全部奪い取ってしまったり、最悪の場合、寝ぼけて彼女に何かしてしまったら……!
「だ、だめだ。そんなだらしない姿見せたら、一発で嫌われる……っ!」
朝起きた時の寝癖もヤバいかもしれない。
寝起きの顔が不細工だったらどうしよう。
一人で勝手にパニックになりながら、俺はキッチンの水に濡れた手で頭を抱えた。
ふと洗面所の鏡に目をやると、そこには顔を真っ赤にしてテンパっている、情けない男子高校生の顔が映っていた。
「……っ、しっかりしろ、俺」
(なんだかんだ言って、もう何回か同じ家では寝てる。寝床が一緒になるだけだ)
俺は蛇口をひねり、冷たい水でバシャバシャと顔を洗った。
タオルでゴシゴシと水気を拭き取りながら、深く深呼吸をする。
(凛はわざわざ、あんなに顔を真っ赤にして、勇気を出して『お泊まり』を提案してくれたんだ)
俺がうろたえている場合じゃない。
凛は今頃、隣の部屋で俺たちのチャンネルのために一生懸命アイコンを描いてくれているはずだ。
ならば、迎え入れる俺がやるべきことはただ一つ。
『凛がこの部屋で、自分の家よりもリラックスして過ごせるように全力を尽くすこと』。
冷水でクールダウンした頭が、次第にいつもの「料理人」としての思考回路を取り戻していく。
パニックがスッと消え、代わりに快適化計画の立案モードへと切り替わった。
まずは環境の整備だ。
金曜日までに、ベッドのシーツや枕カバーを全部洗って、太陽の光でしっかり干しておこう。
ふかふかでいい匂いのする布団なら、きっと凛もぐっすり眠れるはずだ。
万が一、俺が床で寝ることになった場合、あるいは一緒に寝ることになった場合(考えただけでまた少し顔が熱くなるが、これは想定しておかなければならない)、清潔感だけは絶対に死守しなければ。
次に、飲み物と夜食。
夜遅くまで絵の作業をしたり、一緒に動画の打ち合わせをしたりするかもしれない。
夜にコーヒーや紅茶を飲むと眠れなくなってしまうから、リラックスできるノンカフェインのハーブティーや、カモミールティーを買っておこう。
それから、夜食。
夜に食べても罪悪感のない、低カロリーで消化にいい甘いもの……そうだ、豆乳プリンなんてどうだろう。
黒蜜ときなこをかければ、満足感もしっかり出る。
(あとはお風呂上がりの保湿クリームとか……いや、そういうのは凛のこだわりのやつがあるかもしれないから、下手に手を出さない方がいいか)
頭の中で次々と必要なものをリストアップしていくと、なんだか無性に楽しくなってきた。
結局のところ、俺はかっこいいところを見せたいわけじゃないんだ。
凛が俺の作ったご飯を美味しそうに食べて、お風呂上がりにホッとした顔をして、そして幸せそうに「ふにゃっ」と笑って、安心して眠りについてくれる。
その姿が見られるなら、事前の準備の苦労なんて全く気にならない。
「……よし、まずは買い物リスト作らないとな」
俺はリビングのテーブルに向かい、ペンとメモ帳を引き寄せた。
金曜日からの3日間の大まかな献立。
買っておくべきノンカフェインのお茶。豆乳プリンの材料。シーツの洗濯スケジュール。
今日から金曜日までの5日間。
YouTubeチャンネルの準備と、凛をお迎えするためのお泊まりの準備。
やらなきゃいけないことが山積みで、おそらく忙しい一週間になるだろう。
「ふっ……上等だ」
それでも、俺の体は羽が生えたように軽かった。
隣の部屋にいる大好きな彼女を、最高の笑顔にするために。
俺は静かに、しかし熱い気合いを胸に燃やしながら、メモ帳にペンを走らせるのだった。
第271話、ありがとうございました!
壁を隔てて、お互いに「寝相大丈夫かな!? いびきかいてないかな!?」と同じことを心配してパニックになっている二人でした(笑)。本当に似た者同士ですね。
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