第267話:見せたかった私服と、大きくて優しい手
今回は凛ちゃん視点。
11月中旬から下旬に差し掛かるこの季節。
日が落ちると、冷たい風がコートの隙間から容赦なく入り込んでくる。
ショッピングモールからマンションに帰ってきた私は、自分の部屋のドアを開け、買ってきた荷物とプレゼントの小さな紙袋をそっとベッドの上に置いた。
普通ならここで、リラックスできる部屋着に着替えるところだ。
でも、今日はこのまま、ある場所へと向かわなければならない。
(……よしっ)
隣の部屋の前に立ち、ポケットから取り出した合鍵を鍵穴に差し込む。
カチャリと小気味良い音を立ててドアを開けた。
「ただいまー……朝陽くん、いる?」
「おっ、凛か。おかえり」
キッチンから、いつものエプロン姿の朝陽くんが顔を出した。
私は彼に近づきながら、着ていたコートの前を両手でパッと広げてみせた。
中に着ているのは、少し大人っぽい白のニットワンピースだ。
「えっと……今日の服、どうかな?」
少しだけポーズをとって見せると、朝陽くんは目を丸くして、それから少し照れくさそうに頬を掻いた。
「……うん。すごく似合ってる。いつもと雰囲気違って、すげぇ可愛いよ」
「〜〜っ……!」
『可愛い』。
そのストレートで素直な言葉に、私の心臓がドクンと大きく跳ねた。
嬉しくて、照れくさくて、顔が一気に熱くなる。
でも、冷たい風に当たっていたせいか、コートの隙間から入り込む空気は少しだけ肌寒かった。
「……えへへ。ありがとう」
私は一歩踏み出し、朝陽くんの胸元にスリスリと顔を押し付けるようにギュッと抱きついた。
「うおっ!? り、凛……?」
「見せたかっただけ。……朝陽くん、あったかい……」
「お前なぁ……外から帰ってきて冷え切ってるんだから、風邪ひくぞ」
呆れたような声を出しているけれど、朝陽くんの大きくて温かい手は、私の背中をポンポンと優しく叩いてくれた。
ほんの少しだけその温もりを充電してから、私はパッと体を離す。
「すぐ着替えてくるね!」
「おう。ご飯、もうすぐできるからな」
彼に背を向けて自分の部屋へ戻る私の顔は、きっと茹でダコみたいに真っ赤になっていたと思う。
部屋着のもこもこパーカーに着替えて戻ると、テーブルには温かい湯気を立てる夕食が並んでいた。
「いただきまーす!」
今日のご飯は、具だくさんの豚汁に、ふっくら炊き上がったツヤツヤの白米。
そして、こんがりといい焼き色のついたアジの開きだ。
まずはお椀を両手で持ち、豚汁を一口すする。
ごま油で香ばしく炒められた豚肉の旨みと、大根やニンジンといった根菜の優しい甘みが、ホッとするお出汁の味と一緒にじんわりと体に染み渡っていく。
「んん〜……っ、美味しい……」
お昼に三人で食べたオシャレなカフェのランチも、もちろんすっごく美味しかったけれど。
「やっぱり、朝陽くんの作ってくれるご飯を食べると、体の芯から温まって『帰ってきたなぁ』って実感するよ」
ふにゃっと頬を緩めてそう言うと、朝陽くんは嬉しそうに目を細めた。
「そっか。お出かけで疲れてるだろうから、今日はホッとできる和食にしてみたんだ。いっぱい食えよ」
「うんっ!」
食後。朝陽くんがシンクでお皿を洗い、私がその横で乾いた布巾でお皿を拭いていく。
「今日ね、モールですっごく可愛い雑貨屋さん見つけてね」
「へえ、新しいお店か。今度俺も行ってみたいな」
「じゃあ、今度行こうか!」
「そうだな」
肩が触れ合いそうな距離で、水音を聞きながら今日あった出来事を他愛もなく話す。
この、まるで夫婦みたいな何気ない二人の時間が、私はたまらなく好きだった。
お皿洗いが終わり、私たちは一度それぞれの部屋に戻ってお風呂に入った。
髪を乾かし、パジャマに着替えてから『お風呂出たよ』とLINEを入れる。
すると数分後、同じくお風呂上がりの少し湿った髪をした朝陽くんが、私の部屋へとやってきた。
「ふぅ、外は寒いけど、風呂上がりはポカポカだな」
「うんっ」
ソファーに並んで腰掛ける。
シャンプーのいい匂いが、お互いの間をふわりと漂う。
私の心臓は、さっきからずっと早鐘を打っていた。
背中の後ろに隠し持っている、小さな紙袋。
(よしっ……!)
私は大きく深呼吸をして、思い切ってその紙袋を朝陽くんの前に差し出した。
「えっ?」
「……はい、これ。お泊まり会で、すっごく美味しいご飯をいっぱい作ってくれたから。……その、お礼!」
目を白黒させている朝陽くんに、紙袋を押し付ける。
「俺に? わざわざ買ってきてくれたのか……開けてもいいか?」
「う、うん」
カサカサと音を立ててラッピングを開け、中からシンプルなデザインのハンドクリームが出てくると、朝陽くんはパッと顔を輝かせた。
「うわ、これ……すげぇいいやつだな。これから冬になると、洗い物とか水仕事で手が乾燥するから、めちゃくちゃ助かる。……ありがとう、凛。大切に使うよ」
「……うんっ!」
心底嬉しそうに笑う朝陽くんの顔を見て、私はホッと胸を撫で下ろした。
でも、まだ終わりじゃない。
今日のお買い物で、陽菜ちゃんたちに言われた言葉が脳裏に蘇る。
『渡す時は絶対「私が塗ってあげる」って言って、朝陽くんの手を握るんだよ!?』
顔にカーッと熱が集まっていくのがわかる。
それでも私は、ハンドクリームの蓋を開けようとしている朝陽くんに、震える手を伸ばした。
「……か、貸して」
「え?」
「私が……塗ってあげるから……っ」
恥ずかしさで俯きながら、朝陽くんの大きな手を、自分の両手でそっと引き寄せる。
「お、おい凛、自分でやるから……っ」
「いいの。……いつも頑張ってくれてる、手だから」
私の言葉に、朝陽くんは観念したように力を抜き、大人しく手を預けてくれた。
チューブから白いクリームを少しだけ搾り出し、私の手のひらで温める。
爽やかなシトラスとハーブの香りが、ベッドの周りにふわりと広がった。
朝陽くんの手の甲に、ゆっくりとクリームを伸ばしていく。
私の小さくて冷たい手と違って、朝陽くんの手はすごく大きくて、温かい。
関節が少し骨張っていて、男の子らしいゴツゴツとした手。
毎日包丁を握り、冷たい水でお皿を洗ってくれているから、指先は少しだけカサカサとしていた。
(いつもこの大きな手で、私の頭を優しく撫でてくれるんだよね……)
指の一本一本まで丁寧に、マッサージするように優しくクリームをすり込んでいく。
部屋の中はしんと静まり返り、お互いの規則正しい呼吸の音と、肌が擦れる小さな音だけが響いている。
そっと顔を上げると、至近距離にいる朝陽くんも、耳の裏まで真っ赤にしてそっぽを向いていた。
「……いつも、美味しいご飯作ってくれてありがとう。朝陽くん」
上目遣いでそう伝えると、朝陽くんは少しだけ照れたように微笑み、空いた左手を伸ばして私の頭をポンと優しく撫でた。
「……こちらこそ。いつも美味しそうに食べてくれて、ありがとうな」
優しくて、温かい声。
頭を撫でる手のひらも、とろけそうなほど優しかった。
「ふふっ……」
お泊まり会を経て、また一つ、彼との距離が近づいたような気がする。
ハンドクリームのいい香りと、大好きな人の体温。
甘くて静かな空気に包まれながら、私はこのまま時間が止まってしまえばいいのにと、多幸感の中で本気で願っていた。
第267話、ありがとうございました!
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