第241話:午後の観覧車と、不意打ち
お化け屋敷の恐怖から抜け出し、ベンチで冷たいジュースを飲んで一息ついた俺たちは、秋の心地よい風を感じながら立ち上がった。
「さて、次は観覧車だったな」
「うんっ! 今日一番楽しみにしてたやつ!」
俺がスマホを取り出して画面を確認すると、時刻は午後二時半を回ったところだった。
帰りのバスの集合時間が十五時十五分だから、これが実質、今日最後のアトラクションになるだろう。少しずつ西へ傾き始めた太陽が、遊園地全体を柔らかい光で包み込んでいる。
「楽しい時間はあっという間だな。もうこんな時間だ」
「本当だね。朝早くからいっぱい遊んだのに、一瞬だった気がする」
「まあ、いろいろ濃かったからな。今日、どれが一番楽しかった?」
観覧車の乗り場へと向かって歩きながら、俺はふとそんな質問を投げかけた。
「えーっとね、オムライスも美味しかったし、スカイサイクルで見た景色も綺麗だったけど……やっぱり一番最初のジェットコースターかな! 最初はすっごく怖かったけど、乗ってみたら爽快感がすごくて!」
「凛、コースターが落ちる時すごく叫んでたもんな」
「あはは、だって本当に楽しかったんだもん! 朝陽くんは?」
「俺か? 俺はそうだな……お化け屋敷で、凛が泣きつきながら俺の胸に飛び込んできたことかな」
俺が少し意地悪くニヤリと笑うと、凛は分かりやすく顔を赤くして、俺のコートの袖をペシッと叩いた。
「もー! あれはノーカウント! っていうか、朝陽くんが落ち着きすぎなの! もう少し怖がってくれないと、私ばっかりびっくりしてるみたいで恥ずかしいじゃん」
「いや、あんな作り物でどう怖がれって言うんだよ。それに、凛が俺を頼ってひっついてくるのが可愛かったから、俺としては大満足だったぞ」
「……っ! またそうやって、サラッと恥ずかしいこと言う!」
真っ赤になった頬を両手で隠しながら歩く凛。
そんなやり取りをしているうちに、俺たちは巨大な観覧車の乗り場へと到着した。
数組のカップルや家族連れが並んでいる最後尾につき、ゆっくりと進む列に加わる。
前の人たちが次々とゴンドラに乗り込んでいくのを見ていると、先ほどまでの賑やかな会話が少しずつ途切れ、お互いに口数が減ってきた。
「……なんか、乗る順番が近づいてきたら、急に緊張してきたかも」
「狭い所で、二人きりの密室だからな。しかも、外から見えないし」
「……うん」
そわそわとした空気が二人の間に流れる。
繋いだ手から伝わる凛の体温が、少しだけ上がっているような気がした。
「次のお二人様、どうぞー」
スタッフの声に促され、俺たちはゆっくりと動き続けるゴンドラの前へと進み出た。
ゴンドラの入り口には、大人の膝下くらいまでの少し高めの段差がある。
「気をつけてな。俺が先に乗るから」
俺が先にゴンドラへ乗り込み、外にいる凛に向かって手を差し出す。
「ありがとう。よいしょっ!」
凛は俺の手を握り、軽快な足取りでポンッと段差を跨いでゴンドラの中へ入り込んだ。
その動作はとてもスムーズで、服の裾を気にしたり、引っかかったりするような素振りは一切なかった。
「……なるほどな」
「えっ、なにが?」
「いや、昨日の夜、凛が『絶対にスカートは履かない』って言ってた理由が、今ハッキリわかったよ。確かにあの段差じゃ、スカートだと乗り降りが大変そうだ」
俺が感心したように言うと、凛は「ふふん」と得意げに胸を張った。
「でしょ? ショートパンツなら足元も気にしなくていいし、朝陽くんに余計な気を使わせずに済むからね! 機能性と可愛さを両立させた、完璧なチョイスだったでしょ!」
「ああ、完璧だった。本当に、今日その服で来てくれて助かったよ。最高に似合ってるしな」
「えへへ……やった」
ガコン、と軽い衝撃があり、ゴンドラのドアが自動で閉まる。
同時に、外の遊園地の賑やかなBGMや人々の歓声が遮断され、室内は静寂に包まれた。
俺たちは最初、向かい合わせになるように座席に腰を下ろした。
ゴンドラがゆっくりと上昇を始める。
「わぁ……どんどん高くなっていくね」
「天気が良くてよかったな。遠くの山までくっきり見える」
窓の外には、秋の澄んだ青空と、眼下に広がる遊園地の景色が広がっていた。
しかし、向かい合わせで座っていると、なんとなく距離感がもどかしく感じる。
ゴンドラが全体の四分の一ほどの高さまで上がった頃。
景色を眺めていた凛が、ふと視線をこちらに向け、少しだけ上目遣いになった。
「……ねえ、朝陽くん」
「ん?」
「……隣、行ってもいい?」
その控えめなおねだりを、断る理由なんてどこにもない。
「もちろん。おいで」
俺が自分の横のスペースをポンポンと叩くと、凛は嬉しそうに立ち上がり、俺のすぐ隣へと移動してきた。
座席に腰を下ろすと、自然と肩と肩、太ももと太ももがピタリと触れ合う。
お化け屋敷の時の恐怖からくる密着とは違う、穏やかな密着だ。
ゴンドラ内に聞こえるのは、かすかなモーターの機械音とBGM、すぐ隣にいる彼女の規則正しい呼吸音だけ。
「……なんだか、不思議だね」
凛が、俺の右腕に自分の左腕を絡めながら、ぽつりと呟いた。
「不思議?」
「うん。私たち、最初の頃はずっと秘密にしてたじゃない? 学校でもあんまり話せなくて、帰る時もバラバラで。だから、こうやって堂々と外でデートして、観覧車で隣に座ってるのが……すごく夢みたいだなって」
凛の言葉に、俺の脳裏にもこれまでの出来事が蘇ってくる。
隣の部屋の住人として少しずつ言葉を交わすようになり、ご飯を一緒に食べるようになり、イルミネーションの下で告白して、そして秘密の交際を経て、今に至る。
「そうだな。あの頃は、周りの目を気にしてコソコソしてたしな。でも、いろいろあったけど……あの時間があったからこそ、今がこんなに特別に感じるのかもな」
「うん。……全部、今に繋がってるんだよね」
凛は俺の肩にこてんと頭を預け、愛おしそうに目を細めた。
ゴンドラはいよいよ最高到達点である頂上付近へと差し掛かっていた。
窓の外には、午後二時半の少し傾きかけた太陽の光が、街全体を黄金色に優しく照らしている絶景が広がっている。
「……朝陽くん」
凛が、俺のコートの袖口をキュッと弱く握りしめた。
顔を向けると、彼女は真っ直ぐに俺の目を見つめていた。
その瞳には、嘘偽りのない純粋な感情が浮かんでいる。
「私ね、朝陽くんが彼氏で、本当に幸せだよ」
「凛……」
「……あの時、自分の部屋のドアの前で、倒れてよかったな、なんて。今なら本気でそう思っちゃう」
出会いのきっかけ。
雨の降る夜、仕事の過労と空腹で倒れていた彼女を、俺が助けたあの日のことだ。
俺は彼女の言葉に胸を熱くしながらも、少しだけ眉を下げて、彼女の頭を優しく撫でた。
「おいおい、そんな縁起でもないこと言うなよ。あの時は本当に心臓が止まるかと思ったんだからな」
「あはは、ごめんね。でも、あれがなかったら、朝陽くんとお話しすることもなかったかもしれないから」
「だとしても、もう二度と倒れるような無理はさせない。これからは、凛が倒れる前に、俺がちゃんと気づいて支えるから」
「……うんっ。朝陽くん、大好き」
俺の言葉に、凛は本当に嬉しそうに微笑んだ。
ゴンドラがゆっくりと、頂上のアーチを越えようとした、その時だった。
「あっ、朝陽くん! あそこ見て!」
「ん? どこだ?」
凛が突然、俺の肩越しに窓の外の遠くを指差した。
俺が「なんだろう」とそちらの景色へ顔を向け、視線を逸らした瞬間――。
――チュッ。
「……えっ?」
頬に、ふわりと柔らかくて温かい感触が触れた。
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