第240話:お化け屋敷と、震える手のひら
「…………」
レストランから歩くこと数分。
目の前には、遊園地の陽気な雰囲気から完全に浮いている、ツタの絡まった古い洋館がそびえ立っていた。
入り口の重厚な木の扉の奥からは、地鳴りのような不気味なBGMが漏れ聞こえてくる。
俺の隣を歩いていたはずの凛が、ピタリと足を止めた。
「どうした? 行かないのか」
「……べ、別に怖くないよ? 建物がちょっと古いだけだもん」
声が裏返っているし、足も一歩も前に出ていない。
「そうか。じゃあ行くぞ」
「待って!」
俺が一歩踏み出そうとすると、慌ててコートの袖を引っ張られた。
「……絶対、絶対に手、離さないでね?」
「はいはい」
「はいは一回! もし中で手離したら、一生恨むからね……!」
涙目で本気の訴えをしてくる凛がおかしくて、俺は思わず吹き出した。
「わかったって。ほら、手貸せ」
俺が手のひらを上にして差し出すと、凛は恐る恐るその上に自分の手を重ねてきた。
少し冷たくなった小さな手を、包み込むようにしっかりと握り返す。
「よし、これで逃げられないな。行くぞ」
「う、うん……」
一歩中に入ると、そこは目が慣れるまで何も見えないほどの暗闇だった。
微かに点滅する赤い照明が、不気味なフランス人形や、血の付いたピアノが置かれた廊下を照らしている。
「ひっ……!」
少しでも物音がするたびに、凛がビクッと体を震わせる。
最初は手を繋いで歩いていたはずなのだが、いつの間にか彼女は俺の左腕に両腕でガッチリとしがみついていた。
顔は完全に俺の肩口に押し当てられ、前を見ているのかも怪しい。
「凛、歩きにくいぞ」
「だって、怖いんだもん……! 朝陽くん、なんでそんなに平気なの……?」
「こういうの、ただの機械仕掛けだって分かってるからな。怖いっていうより、びっくりが強いな」
冷静に答えながらも、俺の心拍数は少しだけ上がっていた。
俺の左腕には、凛の体がずっと密着している。
お化けとは違う意味で心臓に悪い。
「あ、今なんか動いた……!」
「ただのカーテンが風で揺れただけだろ。ほら、段差があるから気をつけて」
「ううぅ……朝陽くんのバカ、意地悪……」
暗闇の中で、俺の腕にしがみついたまま理不尽な文句を言ってくる。
そんなやり取りすら可愛くて、俺は歩調を緩めながらゆっくりと廊下を進んだ。
迷路のような廊下も、どうやら終盤に差し掛かったらしい。
前方に「EXIT」と書かれた緑色の誘導灯がぼんやりと見えてきた。
「ほら、あそこが出口だぞ。あと少しだ」
「ほんと!? やった、やっと帰れる……!」
凛が顔を上げ、ホッとしたように息を吐いた。
その、油断した瞬間だった。
最後の角を曲がろうとした途端、壁を叩く『バンッ!!』という大きな音と共に、横の隠し扉から血まみれのゾンビの仕掛けが勢いよく飛び出してきた。
『グァァァァッ!!』
「きゃあああああっ!!」
至近距離で響いた咆哮に、凛はビクッと大きく体を跳ねさせた。
そして俺の腕から慌てて手を離すと、ゾンビから逃げるように俺の正面へと回り込み、今度は胸にギュッとすがりついてきた。
俺は反射的に手を伸ばし、彼女の背中をしっかりと抱き止める。
「もう無理、進めないぃ……!」
「大丈夫だ、落ち着け。ただの作り物だから」
凛は俺の胸に顔を埋めたまま、ブンブンと首を横に振っている。
服越しに、彼女の心臓がドクドクと早く打っているのが伝わってきた。
「出口はすぐそこだから。……ほら、目、瞑ってていいぞ」
俺は彼女の背中を優しく撫でながら、耳元で静かに声をかけた。
そのまま彼女の肩を抱き寄せ、ゾンビの横を通り抜けて、光の差し込む出口へと歩き出した。
「……はぁぁ、助かった……」
外の明るい太陽の下に出た瞬間、凛は安心したように近くのベンチにへたり込んだ。
俺は近くの自動販売機に向かい、冷たいリンゴジュースを二つ買って戻ってくる。
「ほら、お疲れ様」
「あっ……ありがとう」
凛の赤い頬にピトッと冷たい缶を当てると、彼女はびくっと肩を揺らしてジュースを受け取った。
プルタブを開け、一口飲んでから、凛が少し上目遣いで俺を見てきた。
「……ごめんね、あんなにひっついちゃって」
「別にいいよ。俺も、頼られてる感じがして悪くなかったし」
「えっ……」
俺が本音を漏らすと、凛はみるみるうちに顔を赤くして、ジュースの缶で口元を隠した。
「……もう、バカ。そういうことサラッと言うんだから」
照れ隠しのようにそっぽを向く彼女の隣に座り、俺もジュースを一口飲む。
いつの間にか、秋の短い太陽は西へ傾き始め、アトラクションもあと一つが限界の時間になった。
「絶叫マシンに乗って、美味しいもの食べて、お化け屋敷もクリアした。……次はいよいよ、だな」
「うんっ……一番楽しみにしてた、『観覧車』だね」
空を見上げて微笑む凛の横顔は、夕日に照らされてとても綺麗だった。
俺たちはベンチから立ち上がり、自然と手を繋ぐ。
遊園地デートのクライマックスへ向けて、俺たちはゆっくりと歩き出した。
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