第228話:決死のキスと、雷鳴に消えた彼女
キッチンから漂うごま油の香りに満足しながら、俺は火を止めた。
今日のお昼は、さっぱりと食べられて栄養もある『鶏肉のバンバンジー風サラダと、温かい中華スープ』だ。ご飯もふっくらと炊き上がっている。
「凛、ご飯できたぞ」
エプロンを外し、俺は自分のベッドで丸くなっている凛を起こしに行った。
彼女はまだスースーと穏やかな寝息を立てて、無防備な寝顔を晒している。
「凛、起き……」
肩を揺すろうと手を伸ばした瞬間、午前中にラノベを読んで湧き上がった「おでこにキス」の衝動が、唐突に俺の頭をもたげた。
(……寝てる間なら、バレないよな)
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。心臓がうるさいくらいにバクバクと鳴っている。
自分の前髪を少しだけ払い、めちゃくちゃに頑張って勇気を振り絞り、そっと顔を近づける。
そして、彼女の綺麗なおでこに、ほんの一瞬だけ自分の唇を落とした。
チュッ、という小さな感覚。
俺はすぐさま顔を離し、何事もなかったかのように立ち上がろうとした。
パチッ。
「……ふぁ。ねえ、朝陽くん。今、おでこにチュッてしなかった?」
唇を離した数秒後、凛が目をぱっちりと開けて、眠そうな声でストレートに聞いてきた。
「し、してないよ。気のせいだろ」
「えー、そうかなぁ……?」
俺は真っ赤になりながら必死に否定したが、凛はじっと俺の顔を見つめている。
居心地が悪くなった俺は、少しだけ視線を逸らしながら、おそるおそる尋ねてみた。
「……もし仮に、してたとしたら。嫌だったか?」
すると、凛は少しだけ真面目な顔になり、はっきりと首を横に振った。
「うん。すごく嫌だね」
「……っ」
ストレートな拒絶の言葉に、俺の胸にグサッと見えない矢が突き刺さる。
(マジか……そんなにはっきり嫌がられるとは……)
俺が分かりやすく肩を落としてショックを受けていると、凛はふにゃっと嬉しそうに笑い、俺の服の袖を摘んだ。
「……だって、私が起きてる時にしてくれなきゃ、嫌だもん」
「…………!」
その言葉の破壊力に、俺は完全に言葉を失った。
「ほ、ほら、ご飯できたぞ! 冷める前に食べるぞ!」
俺は茹でダコのように顔を赤くして誤魔化し、逃げるようにリビングへ向かった。背後から聞こえる凛の楽しそうな笑い声が、さらに俺の羞恥心を煽った。
「あー、美味しかった。ごちそうさま」
「お粗末さま。……そういえば、もう十一月半ばだし、そろそろ冬服を出して干さないとな」
食器を片付けながら俺が言うと、凛も「あ、忘れてた」と手を叩いた。
俺たちはそれぞれのクローゼットから、コートや厚手のニットなどの冬服を引っ張り出し、二〇一号室のベランダに仲良く並べて干していった。
「こうして見ると、お互いの冬服姿って、まだちゃんと見たことないよな」
「そうだね。朝陽くん、黒とかグレーのアウターが多いんだね」
「まあな。無難だし。……これ、風通しが終わって取り込む時、一回着てみようぜ」
「うん、賛成!」
冬服を干し終えた俺たちは、リビングのソファに戻り、昨日作ったニューヨークチーズケーキの残りを二人で食べることにした。
一日冷蔵庫で寝かせたおかげで、昨日よりも味が馴染んでしっとりとしている。
「来週の仕事の予定は、どうなってるんだ?」
「えっとね、来週は火曜日までにラフを上げて、木曜日の夕方には線画を終わらせたいかな。そうすれば、金曜日は心置きなく遊園地に行けるし」
「なるほどな。じゃあ、木曜の夜あたりに、遊園地で乗るアトラクションとか作戦会議するか」
「うんっ、楽しみ!」
ケーキを食べながら、俺たちは穏やかな日常の会話を交わしていた。
外は午前中の晴天が嘘のように、どんよりとした厚い雲に覆われている。
ピカッ。
ふと、窓の外が真っ白に光った。
「え……?」
凛が言葉を漏らした数秒後。
『ドーンッ!!』と、空気をビリビリと震わせるような激しい雷鳴が響き渡った。
プツン、と一瞬だけ部屋の照明が消え、すぐにパッと復旧する。
ほんの数秒の停電だったが、視界が戻った時、さっきまで俺の隣でケーキを食べていたはずの凛が、忽然と姿を消していた。
「……凛!?」
驚いて部屋を見回す。
すると、開けっ放しになっていた寝室のベッドで、布団がこんもりと不自然に膨らみ、ガタガタと小刻みに震えているのを見つけた。
「……あ」
そういえば、以前凛の部屋にお邪魔した時も、彼女は雷の音に怯えていたっけ。
俺は小さくため息をつき、「さて、どう落ち着かせたもんか」と、震える布団の山を見つめながら考えを巡らせた。
第228話、ありがとうございました!
朝陽君、頑張りましたね。
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