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うしろのしょうめんだあれ  作者: るかひ
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第五幕『よあけのばんに』

    第五幕『よあけのばんに』



 自分は何を恐れているのか。彼は時折、考える。カーテンを透過する眩しい朝日に目を細めた瞬間。湯気がたゆたい渦を巻く紅茶を口にする瞬間。何気ない節々に、ふと、その疑問は浮かんでくる。

 答えはわかっている。

 認めるのはなかなか難しいのだけれど。

 目覚めは最悪だった。いや、彼の寝起きが良かったことなどない。あの悪夢は繰り返す。痛みも。悲しみも。息苦しさにもがく彼を嗤う声も。

 彼は寝返りを打った。

 無意識に目が探った。

 彼は何となくばつが悪くなって、誰に咎められたわけでもないのに弁明したくなった。

「ひっでぇ顔色だなぁ、おい。まだゾンビのが血色良いんじゃねぇの」

「気分はどうです」

 窓から降りそそぐ日差しを二つの影が遮った。彼はほっと息を吐いた。安心、した。肩の力が抜けた。こいつらだけは、彼に媚を売ることも、身勝手な感情を押しつけることもしない。

 オルハーランスの情愛は贖罪だ。

 ラナシの愛情は憐憫だ。

 給仕長の世話焼きはもはや性分である。

 とても真の愛とは呼べない歪な代物が、彼は逆に心地良い。真っ直ぐな思いほど重苦しいものはないからだ。自分ではそれらを受け止めきれない。この体の容量はいっぱいだ。これ以上、何かを背負うことは不可能だ。

 彼は額を軽く押さえた。「・・・・・・いてぇ」

 当たり前です、とオルハは苦笑い。ラナシは頭に響く大声で高笑いだ。

「いや・・・・・・頭が」

 腹部の刺し傷が痛むのはわかる。だが後頭部の鈍痛は説明がつかない。貧血というより強打したような痺れである。

 疑問はすぐに解消された。

 オルハが深々と溜息を吐き、「ロロがあなたを引きずってきた時は驚きましたよ。血塗れで。泣きじゃくるなんてものじゃなくて、何を言ってるかわからなくて」

「ほんとになぁ、肝が冷えたなぁ」

「・・・・・・引きずって」

「はい。足を持って、ずるずると」

 それでか。将来、擦れた部分が禿げたりしないか心配である。

「常識ってもんがないのか、あいつは」

「まぁたまた」ラナシがいやらしく唇を持ち上げる。「そこがいいんだろ、お前は。調子崩されて振り回されるのが楽しいんだろ」

 彼は鼻で笑った。「吠えるな、負け犬」

 ラナシの頬がひきつる。こいつはすぐ態度に出るから傍から見ていてばればれだ。どうも小動物系の女が好みらしい。死んだ恋人も小鹿のような美人だった。写真を見せてもらったことがある。一度だけ。

「やっぱ、あれか」ラナシは灰がかった黒い右の目を彼に近づけ、「俺の入り込む余地はないのか」

 大した度胸である。一国の主とたいまんを張ろうとは。

 戦闘態勢に入った空気をオルハがいなした。「怪我人は大人しくしてください。傷に障ります。お前は家臣である自覚を持て」

「何か俺にだけ厳しくない?」

「陛下に甘いのはお前も同じだ」

 そういうことを本人の前でさらっと言わないでほしい。本当に隠し事ができない男だ。裏表がないという点では、オルハもラナシも――ロロも、似ている。

 彼は恐い。

 だから欺かれないように欺く。

 だから嘘をつかれるのは我慢ならないし、他人に対しては平気で嘘をつく。

 このところ苛立っていたのは、オルハが彼に何かを黙っている気配を感じていたからかもしれない。それも今はどうでも良くなった。生温い空気は案外、呼吸が楽だ。ずっと身を浸していられたらいいと思う。

 ずぐ、と背中が疼いた。

 これは警告だ。

 忘れるなと。

 忘れてはならないと。

 手放すことは許されない。

 痛みも、憎しみも。

「陛下」

 彼ははっとしてシーツの裾をきつく握りしめていた拳を緩めた。ベッド脇に立った二人の騎士が、眉を下げて心配そうに彼を見下ろしている。

「痛みますか」

 彼は少し間を置いて答えた。「・・・・・・別に」

 この痛みは外傷によるものだろうか。

 自分でもわからずにいる。

「・・・・・・何が」オルハは膝をつき、横たわる彼と視線を合わせて訊ねた。「何が、あったんです」

 彼は窓の外に目をやった。

 あの嵐が嘘のような晴天だ。

 澄み渡る風にのって、高らかな哄笑が聞こえた気がした。

「・・・・・・あいつが」

 あいつが、帰ってきた。



   * * * * *



 大勢の兵士が寝泊まりする寄宿舎はむさ苦しさで溢れ返っていた。右を見ても左を見ても筋肉。筋骨たくましい男達の花園。城下に買い出しに行くと、必ずと言っていいほど色んな店の婦人から写真撮影を頼まれるのだが、ロロにはその良さはよくわからない。大体、壊すのが専門のロロがカメラなんて精密機械を扱えるわけがない。むしろ触らせてもらえない。

 蒼い髪を求めて食堂に顔を出すと、わらわらと汗光る肉体が群がってきた。

「ロロちゃんじゃねぇか。何だ、今日は誰と逢い引きだ」

「三股かけてんだろ」

「五股って聞いたぞ」

「ロ、ロロに股は一つしかないですよ・・・・・・?」五個も股があったら足が十本になってしまうではないか。珍しくさらりと計算できて得意気なロロに騎士達は困り顔である。

「オルハさん、いますか」

 訊ねると、彼らは快く案内してくれた。暑苦しいのは見た目だけであり、ほとんどが爽やかな好青年または中年親父なのだった。ロロの胴体ほどもある太い二の腕を見ていると、王様ってひょろひょろだなぁ、なんて思う。鋭く磨かれた刃は、彼の薄い体なんて容易く貫いてしまったに違いない。

 今朝、ようやく目を覚ましたと人伝に聞いた。詳しい容態は耳に入っていない。それが逆に恐い。面会は許されるだろうか。話をできる状態なのか。雨に濡れて氷のように冷たくなった皮膚の温度を今でも覚えている。気が気でない。

 訓練場では多くの兵士が稽古に励んでいた。たとえ戦争がなくなっても、守るための武力は蓄えておくのだという、なんていうのは方便らしい。オルハさんが言っていた。戦の終わりは兵士の役目の終わりを意味する。職を失くした皆がうらぶれるのを阻止するためなのだ、と。王様は優しいから、お世話になった人達が困るような真似はしたくないのだ。幸いこの国は豊かな気候と肥沃な大地に恵まれている。山脈の連なる痩せた大地で生きる戒の国とは違い、財政も安定している。

 修練の様子を離れたところから見守る騎士団長の姿を見つけ、ロロはとことこと駆け寄った。「オルハさん!」

「ロロ」オルハさんは少し驚いた様子でロロを迎えた。「どうしたんだい、こんなところまで」

 入り口付近で隠しきれない巨体を押し合い圧し合いする野次馬を追い払い、「陛下のことかな」

 ロロははにかんだ。お見通しである。こと王様に関して、オルハさんは鼻が利きすぎるほどだ。

「丁度、呼びに行こうと思っていたところなんだ」オルハさんはぐるりと場内を見渡し、「最近、見事にたるんでいてね。監視もなければまともに素振りもしない。さっきだって、賭け事で負けた男が下着一枚で逆立ちしながら城下に下りていくところだったからね」

「それは・・・・・・大変ですね」

 ロロは言葉を濁した。オルハさんは嘘を言う時だけは驚くほど饒舌になるのだが、こればかりは、嘘か真かわかりにくい。むしろ嘘であればいいと思う。

「だから俺は手が離せないんだ」そこで、と立つ人差し指。「君に陛下のお世話を頼みたい」

 ロロは目をぱちくりさせた。「遊び相手じゃなくて、ですか」

「それじゃいつもと変わらないじゃないか」楽しそうに笑うオルハさん。ロロは複雑である。

「お世話というと・・・・・・傷の消毒、とか」

「他にもたくさん」オルハさんは指を折り折り数えはじめた。「汗を拭いたり、食事を食べさせたり、熱が出ているから水分の細かな補給と、動き回らないよう見張って、後は退屈しのぎに談笑したり――」

「ちょ」ロロはオルハさんの指を止めた。「ちょっと待ってください、それ、ほとんど、付きっきり・・・・・・」

 見張りはまだしも、談笑って、何でありますか。

 ところがオルハさんはあっけらかんと頷き、「退屈ほど人を貶めるものはない、というのが陛下の言だ。彼は暇だと死んでしまう」

 ロロは肩を跳ねさせた。「し、死んじゃうのは、困ります・・・・・・!」

 オルハさんは驚いて目を見張り、すまない、と謝った。「良くない言い方だったね。特に今みたいな状況では」

 いいえ、とロロは首を振る。オルハさんは安心させるように言った。

「大丈夫。安静にしていれば問題はないよ。だからこそ、君の手腕にかかっている。ロロがいれば、陛下も大人しくしてくれるだろうから」

 ロロは曖昧に頷いた。自信がなかった。ロロの制止なんて聞いてくれるとは思えない。

 オルハさんは目を細め、

「陛下を――よろしく頼むよ」

 切実な響き。そこには傷の世話以上の意味が込められている気がして、ロロは今度こそしっかりと頷いた。「任せてください」

 ロロの決意を真摯に受け止め、オルハさんは微笑んだ。

 ひとまずは包帯を取り替えてほしいとのことだった。ロロは駆け足で本城に戻り、医療道具を一通り揃えてオルハさんの部屋へ向かった。王様はそこで休んでいる。王様の荒れ果てた寝室はとても休める状態じゃないのだった。

 ノックをして部屋に入ると微風に髪を煽られた。道具を落としてしまわないよう抱きかかえる。オルハさんの部屋はそれは大きな窓があって、ベッドはその真下に設置されていた。冬は隙間風が心配だが、天気の良い日は昼寝にもってこいの部屋である。騎士は昼寝なんかしないのだろうか。そういえば、ロロも城に来てからはめっきりしていない。

 王様は眠っていた。

 顔色は青白いのに額にはびっしりと玉のような汗が浮かんでいる。怪我のせいで発熱しているのだ。ロロはサイドテーブルに荷物を置き、タオルでそっと王様の額を拭った。

 こんなに弱っているこの人を見るのは二度目だ。

 一度目は、悪夢にうなされて自身を傷つけた夜。

 彼はとても危うい。

 王様を襲った犯人はまだ見つかっていない。雨に紛れて彼の腹部を突き刺したナイフも、どこででも買えるとりとめのないものだった。廊下には複数の兵士が見張りに立っているし、せっかく命に別状はなかったのに、何だか気が抜けない。

 浅い呼吸を繰り返す王様の瞼がふるりとしなった。意識はないようだ。

 また恐い夢でも見ているのだろうか。

 少しでも安らげたらいいのに。

 その手伝いを、できたらいいのに。

 滑らかな頬に触れようと伸ばした腕が引っ張られた。

 長い睫毛が目前に迫る。

 にやりと口の端が持ち上がり、「おはよう」

「げ」ロロは風が起こせるんじゃないかと言うほど高速で瞬きする。「元気そうで、何よりです・・・・・・」

 王様は、ん、とシーツを広げた。

「な、何ですか」

「入れ」

「な、何でですか!」

「寒いから」

「ま、窓閉めますか」

「空気こもるだろ」

「ま、ま薪、暖炉、焚きますか」

「それは暑すぎるだろ・・・・・・」

 言うとおりにしないなら力づくでも、という目にロロは負けた。無理に動いて傷口が開いたら大問題だ。王様の命とロロの羞恥心じゃどちらが優先か比べようもない。渋々、隣に潜り込むとぎゅっと体を引き寄せられた。うなじに回った腕は弱々しかった。恥ずかしさよりもそちらの方が気になってどきどきした。

「無駄にあったけぇ・・・・・・」

「王様は、冷たいです」

 しっとりと汗をかく皮膚は冷えていた。手を押しあてると奥の方に熱を感じた。辛いだろうに。誤魔化されている気がしてならない。

「あの、包帯を、取り換えにきたんです」

 王様の声が固くなる。「・・・・・・誰に言われた」

「え、えと、オルハさん、に」

「・・・・・・あの野郎」

 足元に沈殿するような怒りを肌で感じ、ロロは恐怖で身を強張らせた。怯えるロロに王様はばつの悪い顔をし、疲れた声で謝った。「・・・・・・悪い」そうしてロロの髪に顎を埋める。

「どうか、したんですか」

「いや」

 何でもない。

 何でもないはず、ないのに。

「・・・・・・やっぱり」ロロは王様の鎖骨の溝にたまった汗を指ですくう。「ロロでは力不足ですよね・・・・・・」

 オルハさんには、陛下を頼む、と言われたけれど。一体、ロロに何ができるというのだろう。胸にわだかまる思いも吐露してもらえないなんて。ロロができることなんて、話に耳を傾けることくらいしかないのに。

 王様が息を止めた。こころなしか頬に赤味が戻った気がする。

「どうしました」

「ああ、いや」王様は珍しく言い淀んだりする。「・・・・・・出ろ」

「え」

「いいから出ろ」

 ぺ、とごみでも捨てるようにすげなく追い出される。「お座り」ぼけっとするロロは叱られた子犬みたいに床に正座する。

「わ、わたし、また何か――」

「違う」王様は上体を起こす。「むしろ俺が何かしそう――」

「はい?」

「・・・・・・っ、いいから、動くなよ。指一本、動かすな」

「く、口は」

「閉じろ」

 しゅんと項垂れたロロをよそに、王様はベッドから這い出してサイドテーブルに手をかけた。そこには消毒液や軟膏が入った救急箱と真新しい包帯が置いてある。ロロは慌てて膝立ちになった。

「だ、駄目ですよ、動いちゃ!」

「動いちゃならんのはお前だ」

「違いますよ、王様です!」

 箱を奪って壁際まで後ずさりするロロ。王様は観念したように肩を落とした。

「わかったよ。わかったから、戻ってこい」

 じと目になりながらロロはベッド脇に立った。上体を起こすのを手伝うと、王様はシーツをのけてシャツのボタンを外す。

「わああっ」

「何だよ今度は」

「だ、だって」

「包帯、替えるんじゃないのか」

「か、替えるんですけど、でも」

 まさか、上半身だけとはいえ国王陛下の裸身をこの目で拝む日が来ようとは。神父様、もしかしたらロロは地獄に落ちるかもしれません。不純です。

「つーか」王様は溜息だ。「傷見たら卒倒しそうな、お前」

「い、いえ、そんな」

 不意をついて、シャツが王様の肩を滑り落ちた。

 ロロは絶句する。

 背中に巣食う火傷の痕。

 焼け爛れた酷い凸凹をつくる皮膚。

 肩から腹部を覆う真新しい包帯でもその傷跡を隠すことはできなかった。むしろ火傷の凄惨さを強調するようだった。玉のような肌とまるで溶けあっていない爛れた皮膚。貼りつけたようにすら見える。

「これ、は・・・・・・」

 ロロはおそるおそる指を伸ばして、肩甲骨の間に触れた。

 拒絶するかと思った彼は何も言わなかった。

 ロロはほっと息を吐いて、凹凸をなぞるように指を這わす。

 は、と王様が鼻で笑った。「知りたいか」

 ロロはすぐに答えられない。

 王様は続けた。「知りたいと言えば、教えてやる」

「教えて」ロロの声はみっともないほど震えていた。「くれる、ん、ですか」

 王様は少しこちらに顔を向けた。冷たい声音とは裏腹に、表情は思いの外、柔らかかった。「お前の返答次第だ」

 この火傷の秘密は。

 彼を苦しめ続ける悪夢と、関係があるのだろうか。

 だとしたら、ロロは知りたい。知っておきたい。何がこの人を苦しめるのか。ロロではやはり役に立てるとは思えないけれど、それでも、知りたいと思うのは、悪いことだろうか。

 大好きな人を、理解したいと、願うのは。

 誰に強制されたわけじゃない、自分自身の内側から響く声に後押しされ、ロロは頷いた。



「この国では、双子は神聖なものとして扱われているのは、知ってるな」

 異端の教会で生まれ育ったロロだからこそ、宗教事情には精通している。凪の国は双神を絶対の神としている。それらの理由から双子が特別視されるのは当然だろうと思ったロロだったが、王様は首を振った。

「それは結果だ――産まれないんだよ」

 王様は裂けてしまいそうなほど強くシーツを握りしめた。

「三つ子とか四つ子とかの例はあっても、まず間違いなく、双子は産まれないんだ。王家の血筋を除いて」

 それすらも稀なんだけどな、と王様は付け加え、王家に古くから伝わる恐ろしい儀式の全容を明らかにした。

 双子が産まれると、後に産まれた方――つまり弟を、幽閉するのだという。

 街外れの古びた聖堂の地下に。

 ロロは口を手の平で覆った。王様はちらりとロロに目を配り、少し躊躇ったが、細長い息を吐くように続けた。

「儀式なんて、名ばかりで」王様はぶるりと肩を震わせた。「あれは、ただの――暴力だ」

 一枚ずつ爪を剥がし、皮膚を焼き、針を刺し、殴り、犯し、潰す。

 どれだけの傷を負っても、双子の片割れは死ぬことはないし、翌日にはきれいに怪我が回復しているのだという。それがその場所の何かによるものなのか、双子に宿る特別な力なのかは定かではない。

「ど、して」ロロはむかつく胸を押さえながら訊いた。「どうして、そんなこと」

「約束するんだ。兄の幸せを」

 お前さ、と王様がロロに問いかけた。「前に、言ったよな。双子は・・・・・・一つで二人、だって」

 はい、とロロは肯定する。

「だから、片割れに苦痛の一切を引き受けさせることで、兄の幸福が約束されるんだと。俺達のケースは、少し・・・・・・いや、かなり特殊で・・・・・・先王は」

 先王と言えば王様の父親だ。肩書きを口にするのさえ王様は辛そうだった。

「王家さえも侵入禁止の西に広がる聖域で、女の双子を見つけた。ありえないことだ。美しかったと、聞く。そしてもっとありえないことに、先王は、その双子を同時に孕ませ、そして――」

 二人の赤毛の男児が誕生した。

 ロロは言葉が出なかった。痩せた背中を蹂躙する焼け爛れが目にちかちかした。ミミズがのたくるような隆起は笑っているようにも泣いているようにも見えた。

 肩甲骨の間に見える黒ずみは、王位継承者に受け継がれる王家の紋章が消された痕だった。どんな外傷も綺麗になくなったというのに、この印を焼いた火傷の痕だけは、消えなかったという。右手の甲の印も同様だった。傷跡を隠すため、王様はいつも右手に包帯を巻いていたのだ。

「王位を継ぐのは、兄貴のはずで・・・・・・つまり俺は、正式な王じゃない」

 暗かった、と王様は無感情な声で言った。「痛いとか、恐いとか、そういうのはよくわからなかった。ただ、暗くて、それだけは・・・・・・耐えられなかった」

 十の誕生日に彼は死ぬはずだった。

 それを救ったのが、お兄さんと、王の親衛隊を務めて間もないオルハさんだった。

「俺は助かって、でも、その代わり――兄が、消えた」

「消え、た・・・・・・」

「痕跡も、遺体も見つからなかった。まるで最初から存在しなかったみたいに。直前まで兄と一緒にいたはずのオルハが、そう言った。闇に隠れるように、消えてしまったと」

 それから立て続けに起こる王家の不幸。先王は戒の国で行われた会談の後、帰還中に国境に連なる亀裂に落ちた。双子の母は喉を詰まらせて死んだ。先王の正妻と二人の王太子は別棟を丸ごと呑み込む大火災に巻き込まれて焼死した。

 そうして彼は一人になった。

「俺は、呪われてる」

 死ななければならなかったのに、生き延びてしまったから。

「そんな俺が王だなんて、滑稽だが」王様の肩が揺れた。渇いた笑声は虚しい。「先王の独裁で荒んだこの国を、俺は、立て直したい。罪滅ぼしにも、ならないかもしれないが、それでも――」

「お、王様は」俯けていた顔を上げると、ぱっと涙の粒が散った。「何にも悪くないじゃないですか。どうして、そんなに優しいのに、優しいって、認めてあげないんですか。それじゃ王様が、王様が、かわいそうです」

 ふう、と王様は唇をすぼめ、「お前の言ってることはかなりの確率でよくわからん」

「それは、王様が頭よくて、ロロがばかだからぁ・・・・・・」

 あーはいはい、と王様はロロのうなじをさすって宥めたりする。

「お前が泣くと、安心する」

 それからロロの目尻に優しく口づけ、

「ノウェルス・ジュ・フォラトーネ」

「え・・・・・・?」

「“黄昏に萌ゆる幸福”。似合わねーだろ。だから本名で呼ばれるのは好きじゃない」

「え、え、え・・・・・・っ」涙はあっという間に止んだ。あまりの嬉しさにまた泣きだしてしまいそうだった。実際、泣いた。さっきよりも数倍の勢いで号泣した。王様は眉を八の字にして苦笑し、ぐにゃぐにゃに歪んだロロの唇をついばんだ。



 包帯の下の刺し傷は、早急で適当な手当てにより思ったほど酷い有様ではなかった。それでも縫合された皮膚は真っ赤に腫れあがっていたし、亀裂は生々しい液が覆っていた。直視できなくて傷口と目を合わせなかったのでかなり手元が狂った。王様は呻きながらもロロの気持ちを汲んで耐え忍んでくれたのだが、誤ってへそに軟膏を塗った時点で爆発した。結局、包帯替えは王様がほとんど自分で行ってしまった。ロロは包帯を巻く時に手伝った程度である。

「ったく」王様は不機嫌だ。「なんっでお前みたいのが出稼ぎになんてきたんだか。もっといなかったの、ましな人間」

 む、とロロは頬を膨らませ、「ロ、ロロだって、そんな予定なかったんですから! 王様が来いって言ったんじゃないですか!」

 王様は新しいシャツに通す腕を止めた。「・・・・・・何だって」

「な、何って」

「俺が、お前に、来いって言ったって?」

 ロロは首を傾げる。「あ、れ? オルハさんが、そう――」

「その話・・・・・・詳しく聞かせろ」

 王様の剣幕に逆らえず、ロロはかいつまんで説明した。教会の経営難を受け、王城に援助を申し出たところ、資金を送付する代わりに教会から一人召使いを寄越せ、と国王から返信があったこと。

 国王から。

 ロロがそう言った時、彼は酷く不愉快に唇の端を噛んだ。

「なるほどね」それで、と王様は続きを促す。「どうしてお前が選ばれた。もっと器用な奴、いそうなもんだが」さり気にひどい。

「ロロは馬鹿力で、力持ちで、石頭で・・・・・・」

「気味の悪い石を持ってて、どんくさいくせに変なところで妙に勘が鋭くて?」

 王様の言葉にロロは口を噤む。信仰心がなかったから、というのは、付け加えたら怒られそうな気がしたからやめた。

「ははーん、段々と読めてきたぞ」王様はにやりと笑い、ロロの頭に手を置く。「お前は気にするな。これは俺と深海魚の問題だ」

 はあ、とロロは溜息混じりに頷く。

 結局、ロロは自分のことを何も知らないのだった。これまで気にならなかったことが、今になって不安となり押しよせてくる。

 ロロは、何なのだろう。

 誰も知らないかもしれないと思うと、とても恐くなった。



   * * * * *



 終戦記念の会合を二週間後に控えた今日。

 執務室ではパーティの打ち合わせが行われていた。催しは凪の国で開かれる。そうとなれば準備には大忙しで、一時期は緩んでいた城内の空気も慌ただしく変化していた。何かしていないと落ち着かない焦燥感が募るものの、ロロはもはや王様のぬいぐるみ状態と化していて満足に仕事ができない状態である。王様はといえば、腹部の刺し傷は概ね完治したものの、体力は確実に落ちている。まだ無理に動き回っていい体調じゃない。お目付け役が必要なのは理解しているが、それにしたって、ロロよりよほど優秀な臣下が目を光らせているというのに。

「ようやくですね」

 オルハさんが窓の外に目を遣って言った。遠くの方から城下の賑やかな喧騒が聞こえる。

 王様はぽつりと零した。「長かった、な」

 掠れる吐息。その薄い肩にのしかかる残酷な過去を知った今、ロロはまた泣きだしてしまいそうだ。しっかりしないと、と自分を鼓舞する。ここには給仕長やラナシさんもいる。ただでさえ忙しいのだから、皆にいらぬ心配をかけたくない。

「パーティの後は、各種交易品についての会談、要人との挨拶など目白押しですよ。今のうちに鋭気を養っておいてくださいね」

 オルハさんが予定を確認する。王様はソファから立ち上がり、ぐっと伸びをして欠伸をする。

「めんどくせー」

「代わりましょうか、ラナシが」

「俺かっ」

 馬鹿言え、と王様はすげなく返す。「間抜けな国だと思われるだろ」

 ふふ、とロロが笑みを零すと、涙目のラナシさんの頬が緩んだ。が、漲る殺気にすぐ顔を引き締める。王様がものすごい剣幕で睨みつけているのだった。

 オルハさんは苦笑し、「あまり頑張りすぎないでくださいね」

「ああ?」王様は不機嫌である。「俺が頑張らずして誰がやるんだよ」

 僅かな間、黙考してから、オルハさんは少し悲しげな表情を浮かべた。「気張らないで、と言いたいんです。国を導く大役も、あなたなら容易くこなしてしまうのでしょうが・・・・・・力になりたいと、思うだけです」

「違いますよ」ロロは唇に指を当て、探り探り言う。「国とか、そんなおっきくないですよ、王様は」

 王様がロロを見下ろした。翡翠の瞳は意外そうな色を帯びている。

 ロロは続けた。「王様は、オルハさんとか、ラナシさんとか給仕長とか、後は、騎士さん達とか、この城に住んでる皆に、恩返ししたいだけなんです。ね」

 小首を傾げて同意を求めるも、戸惑うような視線しか返ってこなかった。王様の背中に刻まれた過去の一端に触れた際、彼が吐露した心情をロロなりに解釈したつもりだったのだが。あれ、と思ってロロは室内の顔ぶれを見渡す。三人とも似たような面持ちである。あれ。不安になってロロは王様のジャージの裾を握った。「ち、違います・・・・・・?」

 すると、王様は突然、人差し指を立て、「何本に見える」

「い、一本、ですか・・・・・・?」

「何で自信ないんだよ」呆れつつも、まあいい、と王様は気を取り直し、「この指を十秒間、見つめる。瞬きするなよ」

「あ、これ、知ってます」幼い頃、義兄姉と一緒にやった影遊びに似ている。地面に映った影を何秒かじっと見つめて、空を見上げると影の形が目に残っているというものだ。

 いいからやれ、と王様は凄み、十秒数えると目を閉じるよう言った。ロロは素直に瞼を下ろしたが、赤黒いばかりであまり変化がない。

「あれ、王様、なんにも変わ――」

 最後まで言うことはかなわなかった。

 ロロの口を柔らかいものが塞いだ。

 呆然と見開いた目が、間近に迫る碧玉の瞳を捉える。

 唇が離れる音と共に我に返ったロロはわなわなと全身を震わせ、

「い、いやーっ」

 振るった腕はひょいと身を反らして避けられた。

 間。

「やあー!」

「うっ」胴を強打した渾身の頭突きに王様の体が沈んだ。

「お、おうさまの、ばか・・・・・・!」

 オルハさん達が見ている中で、き、きききキスなんて、そんな、信じられない。皆、目を丸くしているではないか。羞恥に尻を蹴飛ばされてロロは逃げ出した。



 大丈夫ですか、傷口は、とオルハが心配そうに主君の顔を覗き込んだ。自業自得だろ、とはラナシの言い分である。

「く・・・・・・あいつの頭突きは我が国一だな・・・・・・」素早い一撃に為す術もなかった。普段はあんなにとろいくせにどういう仕組みになっているのだろう。

 オルハはいつもの溜息だ。「いじめないであげてくださいよ。愚痴られるのは俺ですよ」

「ご褒美くださいって顔してたろ」

「犬じゃないんですから」

「犬だろ」

 ちぇ、と舌打ちする彼に、オルハは意味ありげな笑みを浮かべた。彼は半眼で睨みつける。

「・・・・・・何だよ」

 いえ、とオルハは首を振り、いいんですよ、とよくわからないことを言った。

 何が、と彼は険を含んだ声で訊く。

 オルハは父親が子にするような温かい眼差しをしていた。「恩返しとか。あなたがそうやって笑ってくれているだけで、俺達は十二分に貰ってますから」

 彼はたじろいだ。忘れていた。さらりとこういうことを言ってのけるのがオルハーランスという男だ。そしていやらしく便乗してくるのがラナシというろくでなしである。

「そうだぞぉ。甘えていいんだぞ、もっと」

 ぐりぐりと髪を掻き回すラナシの腕を払いのけ、彼は声を張り上げた。「触んな。っとに、爽やかにくさいこと言いやがって」

「人目を憚らずキスはするのに」オルハが肩を揺らす。

 彼は仁王立ちすると腕を組んで顎を逸らした。

「いーんだよ俺は王様だから」



   * * * * *



 大広間では現在、両国の要人が大勢集まって式典が行われている。王様の演説は先程、済んだ。複雑な意匠の施された純白の正装に身を包み、艶やかな紅の髪を後ろに撫でつけ、毅然と壇上に立つその姿は一国の主にふさわしい王の風格を備えていた。不利になりやすい若さも生気と熱意に変わり、髭を蓄えた老獪すらも圧倒されていた。普段からは想像もつかない凛々しい横顔。何だかロロの手の届かないところに行ってしまったようで、胸に寂しさが吹き荒れた。改めて思い知らされる。彼は王なのだ。偶然に偶然が重ならなければ、孤児であるロロが御姿を拝むことすらなかった。

 そしてやはり、彼は美しかった。

 光輝く美貌に昏倒する貴婦人が出たほど。

 その隣に立つには、ロロではいささか、いや大いに、問題が。ロロは自分の体を見下ろした。己の幼児体型っぷりを最近、自覚してきたロロである。くりんくりんの髪の毛も、ぷくぷくしたあどけなさの抜けない手足も、すとんとした胴も、なんだかなぁ、である。一応、もう十八になるのだが。背がちっちゃいせいだろうか。

 厨房から広間に追加の料理を無事に届けたロロは、パーティの監督を務めるべく待機していた給仕長に呼び止められた。調子悪いのかい。そう訊ねられても、ロロはいたって健康である。料理もちゃんと落とさずに運べた。

「あんたがヘマやらかさないなんてよっぽどだろ。何かあったんじゃないのかい」

 給仕長、普通、その心配は逆にするものでは。

 軽く気落ちしながら特に何もない旨を申し出たのだが、次のイベントまで一時間ほど休憩するよう言い渡された。小腹がすいたらつまみな、と大きな麻袋いっぱいに詰めこまれたクッキーまでいただいてしまって、そこはさすが給仕長、とてもじゃないが間食にはなりえない量である。

 廊下をぶらぶらしているのも邪魔だし、かといって自室に戻るのも気が引けて、何となく歩いていたら井戸のある中庭に出ていた。ここなら人気もないし、休んでいても構わないだろう。手入れの施された芝生に直に座って、ぼんやりと空を眺める。教会にいた頃は毎日のようにこうしていたものだった。もしかしたら、ロロは少し疲れているのかもしれない。肉体的な疲労じゃない。長い時間をかけて貯金箱がいっぱいになるような。この城に来て、かけがえのない喜びをたくさん経験する代わりに、自然に囲まれたのどかな生活はできなくなった。

 夕陽の暖色が藍色の空を優しく包んでいる。

 昼と夜の曖昧な境界線がとても甘美だ。

 深呼吸すると小麦の香ばしい匂いがついてきた。ロロは一人忍び笑って、麻袋から焼き菓子を一枚取り出す。

 口に運ぶ寸前にクッキーが消えた。

 指をかじったままロロは硬直し、横から伸びてきた腕の行方をゆっくりと目で追う。

 風になびく、黒光りする烏の濡れ羽のような見慣れぬ深緑の髪。

「おいしい」

 にこやかに笑いかけられる。人懐っこい笑顔に、ロロもつられて微笑んでしまう。

「えと、良かったです・・・・・・?」

 黒を基調にし、所々に金具が散りばめられた服装は凪の国のものではなかった。品の良い顔立ちは貴族然として、立ち振る舞いも柔らかだ。隣国から招かれた貴人だろう。それも相当な位にあるに違いない。膝小僧を払って立ち上がり、ロロは慌てて居住まいを正した。会釈。

「どうしたんですか、こんなところで」

 貴人は恥ずかしそうにうなじを撫でた。「手洗いに出た折に道に迷ってしまって。立ち往生していたところに、甘い香りがしたものですから」

「でしたら、ご案内します」

 ですが、と貴人は気遣わしげに「休憩中だったのでは」

「いえ、ロロは、あ、わたしは、もう元気いっぱいなので」

 貴人はすっと目を細めた。一瞬だけ底知れないものを感じた。それもすぐに人の良い笑顔に上塗りされてしまう。お願いします、と絶妙な角度で貴人は頭を下げた。

 回廊に戻ってすぐのことだった。

「君は綺麗な目をしているね」

 唐突に、貴人が言った。

「蓮華より鮮やかで、血よりもなお濃い――浅緋の瞳」

 さっきまでの穏やかな声音とは打って変わった、艶のある、どこか嘲りを含んだ口調。

 背筋がぞっと粟立った。身構えた時にはもう遅かったのだろう。立ち止まったロロは、影を地面に縫いつけられたように動くことができなかった。

 闇が蠢くような眼光に射抜かれる。

「君はこの国の人間ではないね」

 とくん、と心臓が高鳴った。

「僕の国にかつて存在していた獣の一族について、君は知っているかい」

「何、の」ロロは首を振った。「何の、ことだか」

 貴人は楽しそうに目元を歪め、ロロの肩を掴むと柱に押しつける。回廊を吹きぬける風。ロロの首筋をなぞる指はマメだらけだった。鍛え抜かれた武人の手が、首に下がる鎖を引いた。

 ロロの瞳と同じ色の石が、空気に触れ、悲鳴まがいの音を鳴らした。

「これはね」脳に直接、教え込むように、貴人はロロの耳たぶに唇を寄せ、囁いた。「その一族に受け継がれる血の証だ」

 歴代の長の角膜をガラス玉に敷き詰めた、まじないの、石。

「う」ロロの顎を汗が伝った。「う、嘘」

 嘘じゃない。

 込み上げてくる吐き気がロロに教える。

 真実だ。

 この男の言は、混じり気のない本当の。

 真実。

「嘘」

「嘘じゃないってば。獣は女神の血肉を喰らった。なるほど、兎を抑えるには獣の血を引く君の存在は打ってつけというわけだね。兎を止められるのは女神への愛だけだ」

「う、さぎ・・・・・・」

「僕はね――」貴人はうっとりと瞼を閉じた。「兎とは真逆でね。与えたくなんてない。ただ欲しいんだ。女神の、愛が。・・・・・・おいで、僕のところへ。君にとっても悪い話じゃないと思うよ。だって――」

 ねえ、とロロの目尻を撫でる指。「お母さんに、会いたいでしょ」

 ロロは目を見開いた。

 あ、う、と言葉にならない呻きが喉を震わせる。

「会わせてあげるよ。僕とともに来れば」誘惑は止まらない。「お父さんに・・・・・・家族に、会いたいでしょ」

「う、う・・・・・・」

 双眸に溜まった涙が一滴零れた。

 王様。

 声が出せれば、ロロはその名を呼んでいただろう。

「何してる」

 厳しい声が夢現のようだった世界の輪郭を確かにした。

「そこで、何してる」

「お」ロロは全身の力が抜けるのを感じた。「おうさ、ま・・・・・・」膝からくずおれる体を貴人が支え、おや、と新手の登場に首を傾げる。

 王様はロロを指差し、「俺の玩具に手ぇ出すとはいい度胸だ。ええ? 戒の国の王子様よ」

「おおお」ロロは飛び退いた。「お、お、お、王子・・・・・・っ」

「そんなあっさりばらさないでくれよ」戒の国の王子は前髪を掻き上げ、綺麗な額を露わにした。右の眉尻に刻まれた王家の紋様。

「あ、ああ、あ、すみません、気づかなくて、全然、ぶ、無礼を、働きましたで、しょうか・・・・・・っ」

 ロロはその場に土下座した。

 品の漂う佇まいから偉い人なのだろうとは思っていたけれど、まさか王族だったなんて。

 王子は爆笑した。ひき笑いだった。ロロはますます訳がわからなくなってしまう。げらげら笑う王子と混乱してひたすら額を床に擦りつけるロロに挟まれて王様は仏頂面である。

「なーんで王にビンタで王子に土下座なわけ」

 ジャージか礼装かの違いじゃないだろうか。やっぱり雰囲気は大切だと思う。

 さっきまでの品行方正な貴人はどこにいったのやら、それは無邪気な笑い声を上げると、王子は腹筋を撫でながらロロに言う。

「この後は舞踏会だっけ。僕はもう行くけど・・・・・・ローラオルデ嬢」

 ロロは目を瞬かせた。「ローラ・・・・・・?」

 ロロの困惑に王子は笑みを深めた。「よく考えておいて」

 痩せた背中は戸惑うことなく廊下を進んでいった。迷ったというのは嘘だったのだ。それだけじゃない。最初から最後まで騙されていたのである。どうしてロロは初対面の人間にこうも謀られるのか。

「・・・・・・ロロは」無意識のうちに呟いていた。「ロロは、ロロじゃないんですか・・・・・・?」

 不自然な沈黙を保っていた王様が、その時、ふいに動いた。すっぽりと覆うように抱きしめられて、突然の抱擁にロロは息をするのを忘れた。

 ぎゅっと。苦しいくらいに。そのまま溶けあってしまいそうなほどに、強く抱きすくめられる。

「王様」ロロは彼の胸に横顔を埋めたまま、言った。「王様、泣いてるんですか」

 どうしてか、そう思ったのだ。

 流れる涙を目にしたわけではないけれど。

 泣いているんじゃないかと思った。

 廊下の向こうから声が届いた。

 陛下、と誰かが叫んでいる。

 戒の国の王に失踪癖がなければ、呼ばれているのは目の前の彼ということになる。

 静かな息がロロの前髪を揺らした。温もりが離れると少し肌寒かった。王様もこの寒さを感じているのだろうか。

 王様は聞き取りにくい声でぼそっと呟いた。「・・・・・・舞踏会」

「え」

「舞踏会、さぼんなよ」

 ロロは反射的に頷いて、仕事に戻る背を見送りながら、首を傾げた。

 舞踏会、とは、何ぞや。



 控室に戻ると待ちうけたように刺客が襲ってきた。服を脱がされ、髪を引っ張られ、顔に変な薬品を塗りたくられて、あれよあれよという間に鏡の前に立たされた。

 ・・・・・・これは誰だ。

 鏡に映る知らない女の子にロロはすっかり棒立ちである。

 給仕長がそれは嬉しそうにロロの肩を抱いた。「お姫様の出来上がりだね」

 ロロは唇を舐めた。口紅の不思議な味。こら、と先輩侍女に怒られて、無理矢理、塗り直された。

 行ってきな、と広間に放りだされても、まだ良く状況を理解していないロロは呆然自失である。ふわふわ広がるドレスの裾は歩きにくいったらないし、背中から垂れるレースリボンは床を引きずって踏んづけてしまいそうだし、高い踵は重心を取るのに一苦労だ。枝垂れ桜を基調に珊瑚の要素を散りばめてみた、と言われても何のことやら。

 紅の頭髪は奥で貴婦人方に囲まれていた。

 ロロに気づくと、作り物めいた微笑がふっと消えた。

 失礼、と丁重に断りながら、しかし有無を言わさぬ調子で王様は席を立った。ロロは慌てた。どうしよう、こんな似合わない姿、笑われるに決まっている。服に着られてるだとか、田舎臭さが抜けてないとか、豚に真珠とか、なんとか。右往左往するロロの行く手を見知らぬ男が阻んだ。肩に巻かれたタバードは戒の国の紋章が記されていた。戸惑うロロの足元にそっと跪き、男は恭しくロロの手を取った。

「愛らしいお嬢さん。今宵の出会いを祝して、どうか今夜のパートナーに私を選んでくださいませんか」

 ロロの手の甲に口づけようとした男の米神に革靴がめりこんだ。どす黒い殺気を纏った王様必殺の一撃だ。ごろごろ転がって入り口の扉に衝突した男に更なる追撃。ラナシさんがケツを蹴っ飛ばし、待ち構えていたオルハさんが男を広間の外に追いやった。

 見事な連携である。ロロは思わず拍手喝采だ。

 ではなくて。

「あ、あの人、死んでないですよね・・・・・・っ」

「死ねばいい」

 不機嫌さがいつもの三割増しなのは疲労のせいもあるのだろう。慣れない作り笑いにうんざりするように王様は息を吐いた。鋭い視線がロロに突きささる。ロロは肩を跳ねさせてしまう。

 悪い、と王様は不器用そうに謝ると、床に顔を落とし、ちらちらロロを見ながら言った。

「似合ってる」

 ぶぇ、とロロは赤面し、「みょ、みょうちくりんじゃ無いですか・・・・・・?」

 王様はぷ、と吹きだした。「黙ってればな」

「ひ、ひどいです・・・・・・」項垂れる。

 王様は男の追いやられた扉を一度、見やり、あーごほん、と咳払いすると、

「お手をどうぞ、お姫様」

 今度はロロが笑う番だった。上を向いた手の平に指を重ねるとぎゅっと握られた。

「笑うな、慣れてないんだ」

「似合ってますよ」

「どーゆー意味それ」

 広間に洗練された旋律が波紋を立てた。皆、それぞれの伴侶と寄り添い、また探し求めて席を立つ。だが誰も踊りださない。幾つもの視線がロロと王様に集っている。

「お、王様」ロロは小声で話しかけた。「みんな、見てますよ」

「そりゃあな。国王を差し置いて自分だけ楽しもうなんてつわものはそういないだろ」

 まさか、とロロは青ざめる。踊れというのか。こんな大勢の注目を浴びた中で。横っ跳びならまだしもステップすら踏んだことのないド素人の自分が。しかも一国の主を相手に。

「ロ、ロロは、あ、ロロは、踊れないですよ・・・・・・!」

「今の言い直した意味あるの」的確なつっこみありがとうございます。

「と、とにかく、ロロは、踊れないんですよっ」

「だけど」広間を見渡す王様。「すっげ期待されてるし」

 卒倒しそうだった。むしろ気絶してしまえたら楽だっただろう。はぅあー、と頭を抱えるロロを王様は面白そうに見つめ、

「じゃあ、逃げるか」

「え・・・・・・」

 初めは聞き間違いだと思った。

 そうじゃなかった。

 足元をすくわれたかと思うと、急に地面が遠くなった。高くなった目線がこわくて王様の首にしがみついてしまう。「わ、わ、わ・・・・・・っ」

「そんなひっつくな」

「ぎゃああっ」

 遠慮のない悲鳴に王様は若干、傷ついた様子である。

 とんでもないことに、ロロは大衆の面前でお姫様だっこなんて御伽話みたいなことになっているのだった。名誉なのか不名誉なのか。どちらかといえばどちらでもない。簡単に言えば迷惑である。あまりの恥ずかしさにときめく余裕もない。

 視界の隅でオルハさんとラナシさんが慌ててこちらに駆け寄ろうとしていた。

 王様は身を翻し、ロロを抱えたまま反対の出入り口まで一目散に走りだした。

「一回、やってみたかったんだよね、こういうの」と王様は楽しげに言う。

「お嫁さん強奪ごっこですね!」ロロもつい悪ノリしてしまう。「ロロも強奪したいです!」

「・・・・・・俺を?」

 シュールだ。

 どよめく群衆を突き進む中、ロロは舌を噛まないように声を張る。「逃げた後はどうするんですか! お仕事たくさんあるってオルハさんが」

「誰か適当になしつけてくれんだろ」

「で、でもでも、変な国だって思われちゃいますよ、こんなの!」

「いいんじゃねーの」王様はわざと周囲に聞こえるように、「いい加減、ばばあの相手すんのも飽きたし、な!」

 扉を警備していた兵士に鮮やかな蹴りをお見舞いし、二人は廊下へと出た。

 この騒動は愛のクーデターと称され、凪と戒両国の貴婦人達のお茶の間でつまびらかに語り継がれたという。


 知る人ぞ知る伝説の続きだが、部屋に戻った国王と召使いがトランプタワーを制作していた折、静かに怒りを滾らせた家臣二人の乱入により大富豪が勃発し、召使いは見事に大貧民の地位を獲得し続けたそうな。



   * * * * *



 ち、ち、と秒針が足音をたてている。

 眠気は襲ってこなかった。時が進むほどに冴えていくほどだ。彼は腕を組み、執務椅子に深く腰掛け直す。

 楽しいと感じた自分がいる。

 楽しいと、感じている自分が。

 背中の火傷が引きつるような痛みを訴えた。忘れるな、と囁く声は日増しに大きくなるばかりだ。耳鳴りがする。彼は眩暈を覚えて身を折った。

 王様、と。

 耳に残る鼻にかかった甘える声。

 窓を叩く音に彼は我に返った。ふらつく足でカーテンを開くと、月光に照らされた影が窓枠にへばりついている。彼は警戒を緩めずに窓の鍵を外した。人いきれのような生温い夜風と共に、そいつは部屋に侵入した。

「や」

 片手を上げた気軽な挨拶に彼は応えない。

 こいつは敵だ。

 彼の本能がそう告げる。

 彼の大切なものを奪おうとする、敵。

 戒の国の王子は気障な仕草で部屋を見渡し、「君は仕事部屋で寝るのかい」

「待ってた」彼は眼光を鋭くする。「お前を」

「それはそれは。光栄の極みですね」大仰な仕草が一々、癇に障る奴だ。いらいらする。つい先刻までは、ここにロロと二人の忠実な家臣がいた。せっかくの高揚した気分が台無しだ。盛り下がるなんてものじゃない。どん底である。

 彼の心中を見透かしたかのように王子は言う。「随分とまあ、楽しそうだったじゃないか。見せつけてくれるよね。あれって僕を意識したの」

 舞踏会でのことを言っているのだ。自意識過剰も大概にしてほしい。誰がこんな蛆虫野郎の為に遊戯を展開するというのか。あれは正式なごっこ遊びである。悪ノリとも言う。

「可愛いよね。ロロちゃん、だっけ。いいな、僕も――」

 彼はたまらず胸倉を掴み王子の体を壁に押しつけた。

「僕も遊びたいな、彼女と」

「どういうつもりだ」彼は殺気を隠しもせずに訊ねる。「あいつに、何を」

「どうもしないよ」王子はやれやれと首を振り、「あるべきものをあるべき場所に還そうとしているだけのことさ。自然の摂理ってものでしょ。それを掻き乱しているのは、凪の王、あなただろう」

 ローラオルデ嬢の力は我が国のものだ。

 王子は彼の知らない名前でロロを呼ぶ。

 我慢ならない。

 首を掻き切ってやりたい。

 王子は歌うように滑らかな口調で続けた。「心当たりはあるだろう。彼女は自然と対話し、風を感じ、星を詠む」

「・・・・・・お前のとこの国王はどうした」彼はずっと気になっていたことを訊ねた。そのために彼はこの腐れ王子を何時間も待っていたのだ。

 今回の終戦パーティに、あろうことか戒の国の王は不在だった。

 代行を務めるこの男。

 真意が、測れない。

 時期王位継承者は言った。「君と同じだよ。凪の国の王」

 彼は表情を険しくした。険しくしないはずがなかった。

「・・・・・・お前」

 ふふ、と王子は笑う。「僕をあまり舐めないでほしいな。父上よりも僕は優秀だよ。とってもね」

 人臭い笑顔。吐き気がする。

 殺したのだ。

 こいつは実の父親であり主君でもある男を殺した。

 そして、彼がかつて犯した大罪についても知っている。

「そんな君が、どうしてローラオルデ嬢の未来を縛るなんてできようか。ねえ?」

 彼は咄嗟に言葉が出てこなかった。まずい。この男のペースに絡めとられ始めている。「何の、話だ」

 胸がもやもやした。聞きたくなかった。

 この先の話を聞いたら、自分はまた一つ、取り返しのつかないことをしてしまう。

「凪の先王――つまり君の父君だね。故陛下は我が国がお招きした会談より帰還中、両国を隔てる亀裂に落ちて亡くなられた。事故、と扱うにはあまりにできすぎた結末だった。問われた罪は当然、誰かが償わなければならない。僕の父上はどうしたと思う。愚かなことに・・・・・・ある一族に全ての責任をなすりつけた」

 鼓動が高まる。吐いてしまいそうだ。しんと冷えて痺れる手足の先。

「国で重宝していた、獣の血を引く一族に」

 何がおかしいのか、王子はくく、と喉を鳴らした。彼は胸倉を掴む腕に力を込める。暴力反対と言わんばかりに王子は両手を上げた。

「ここまで言えば、聡明な君のことだ、理解できるだろう」

 首筋を冷や汗が流れた。王子はそれを形にし、言葉で突きつける。

「あなたが殺したんだろう。凪の先王を。実の父親を。そうして間接的とはいえ――ローラオルデ嬢の一族を破滅に追いやった」

 あいつを。

 あいつを一人にしたのは。

 孤独に追いやったのは。

 信じる心を失わせてしまったのは。

「俺、が」

 俺が、あいつを。

「そうさ」戒の国の王子は満足げに頷く。「君だよ。彼女を故郷から追いやったのは。その君が、彼女に言うのかい。傍にいてほしいと。彼女の大切なものを奪ったその腕で、彼女を抱くのかい」

 彼は王子を拘束する手を力なく離した。そうして震える腕で目を覆った。そんなことをしたって何も隠せやしないのに、そうすることしかできなかった。

「一つだけ」

 吐いた息はすぐに途切れる。

「一つだけ、教えてくれ」

 何かな、と王子は余裕を崩さずに首を傾ける。

「あいつの・・・・・・ロロ、の、親が、生きてるって・・・・・・本当なのか」

 ロロの前に姿を現した時、こいつは言った。母親に会いたい? 家族に、会いたい?

 もし。

 もし、あいつの居場所が、どこか別のところに、それが例え遠く離れた異国の地で、二度と会うことが叶わなくとも、その温もりに触れることができなくなろうとも、他に居場所があるのなら、あると、いうのなら。

 俺は――。

「嘘だよ」

 唾液に鉄錆の味が混じった。

 噛みちぎった頬肉が舌の上を転がる。

「生きてるわけないじゃん」


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