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うしろのしょうめんだあれ  作者: るかひ
3/6

第三幕『かごのなかのとり』

    第三幕『かごのなかのとり』



「王様―っ」

 ロロは勢いよく執務室の扉を開けた。

 蝶番が取れた。

「わぎゃー!」

「・・・・・・落ち着け」王様は呆れながら眼鏡を外した。仕事中だったようだ。最近は過剰にロロと息抜きを挟むので仕事を回してもらえるらしい。

 取りあえず扉を枠に嵌め、王様の元へ走り寄る。「王様、雨が降るんです」

「降ってるんじゃなくて」

「降るんです!」

 王様は窓の外を見やった。遠くで影の濃い雲が青空を蝕んでいる。注意深く見なければわからない程度だ。

 王様は顎をしゃくった。「で」

「ロロが、あ、わたしが言ってもみんな、聞いてくれないので。王様から伝えていただけないかと思って」

「俺が気違いに思われるだろうが」

「でも王様のジャージも濡れちゃいますよ」

「よし、任せとけ」

 王様が椅子を立った。連れ添って廊下に出ようとした時、ちょい待ち、と腕を引かれた。ロロは構わず足を進めた。もたもたしていたら雨が降り始めてしまう。天気はもう崩れてきているのに、どうして誰も気づかないんだろう。

 ロロは例え太陽が天高く上る正午でも星が見える。

 ロロの目には瞬く光が届く。

「待てって」

 ぐっと引っ張られ体勢を崩したロロはそのまま部屋の壁に押しつけられた。

 耳のすぐ脇に肘が置かれ、端正な顔立ちがぐっと近くなる。

「何でわかんの」王様は静かな声で訊ねた。「前にもあったよな、こういうこと。晴れてたのに、雨が降りそうとか言いだして、実際、ずぶ濡れになってオルハに叱られたよな」

 正座三時間させられました。

 ロロは正直に答える。「なんとなく、です」

「なんとなくだぁ?」

 何故だか王様は怒っているようだった。苛立っていると言った方が正しいかもしれない。自分では判断のつかないことに苛立ちを覚える気持ちはよくわかる。

「俺は真剣に訊いてんの」

「ロ、ロロも、真剣です。嘘ついてないです。ほんとに、わかんなくて」

 ふぅん、と王様は翡翠の双眸を細め、「・・・・・・お前、てんぱると自分のこと名前で呼ぶよな」

「ぐぇ」

「つーことは、嘘は言ってないわけね。お前ってそんな器用な奴じゃないもんな」

「だ、だから、さっきからそう言って――」

 額に触れそうなほど近くに高い鼻がある。後ろめたいことなんて何もないはずなのに、ロロの視線は徐々に俯いてしまう。頬が熱かった。王様はすごく綺麗なのだ。美を讃える聡明さをロロは持ち合わせていないので月並みな表現になってしまうけれど、とにかく物凄い美人なのである。

 今まであまり意識したことはなかったのに。

 どうしてか最近、彼の顔が真っ直ぐに見れない。

 王様は考え始めると他のことが手につかなくなるのでロロの不審な様子も気にならないようだった。

 ふいに、筋張った細長い指がロロの胸に触れた。

 服の下には血を凝縮させたような色合いの石が揺れている。

「これ、か」

 王様は服越しに石を摩った。ロロは緊張で得意の悲鳴も上げられなかった。

 王様の指先がロロの目元に触れる。

「お前の目の色とそっくりだよな」

 引きだした紐の先端に下がる石。

 毒々しいまでの赤。

 ロロの瞳と同じ色。

「これは本当に・・・・・・石、か」

 唖然として細い顎を見上げた。

 ずっとただの石だと思っていた。

 そう言われると、何だか酷く禍々しいものに思えてくる。

「違うんですか・・・・・・?」

 怯えるロロの前髪を生温い息が揺らした。はは、と王様は気の抜けた笑みを見せる。

「緊張感ってもんがねーのか、お前は」

「ロロは、あ、わたしは、いつも緊張してますよ」

「何で」

「だって、王様が――」

 ロロははっと口を噤んだ。

「・・・・・・俺が」王様は不機嫌に目尻を歪める。「俺が何」

「な、なんでも、ないです」

 横にそらした顎を掴まれた。

 鏡のような瞳を直視できない。

 下に逸らした視線も無理矢理、上げられる。

「お前、最近、俺と目ぇ合わさないよな」

「そ、んなこと」

「あるだろ」

 あります。

 ありますとも。

 でもロロは悪くない。王様が悪い。

 髪に手を突っ込んだり、くすぐったり、今までも散々あったけれど、それはどちらかというと幼子やペットと遊ぶ感覚に似ていて、それが最近は後ろから抱きついたり肩に顎を乗せたりする。あの時からだ。王様が倒れ、重い過去の一端に触れた時から。王様はその晩のことを語らない。覚えていないのかもしれないし、あえて話題に上らせないのかもしれない。

 元気でいてくれるのはとても嬉しい。でもこそばゆくて仕方ないのだ。

 人の目があるところでさえ、王様は平然とロロに触れる。

 遊んでくれるのは嬉しいけれど、段々とエスカレートするラバナの嫌がらせも重なって、少し心が疲れている。正直、滅入っている。

「嫌なの」ロロの髪を一房掬い唇に当て、王様が訊いた。「俺のこと、嫌いになった」

「違います」ロロは必死に否定した。「そんなんじゃないです。王様は良い人で、だから」

 く、と王様は喉を鳴らした。「からかっただけ。悪い」

 その微笑みに囚われた直後だった。

 立てかけただけの扉がばたんと倒れた。「わーっ、な、何だ、何が、俺が壊したのかこれ!」

「修理代は給与から引くよう俺から経理に進言しておく」

「ややややや、オルハ殿、裏切るなよ、黙ってればばれないだろ――」

 突然、部屋に飛び込んできたラナシさんが口を半開きにしたまま固まった。続いて入ってきたオルハさんも珍しく驚いた表情をしている。

 王様がち、と舌打ちした。「空気読めっつの」

「な、何だ、と、取り込み中か、そうか・・・・・・」ラナシさんは大げさに肩を落とした。どうしてそんなにと思うぐらいの落ち込みようだった。

 微苦笑を浮かべたオルハさんが言う。「若いっていいですね」

「ち、ちちち、ががが、います、ますっ」

 壊れた機械みたいな声を出すロロ。王様は意地悪く笑った。

「何が違うの」

「ええっ」

「お前は今、何を否定したわけ」

「そ、それは」

 慌てふためくロロは見た。

 眩しい光を照り返す雲からバケツを引っくり返すように振る雨。

「あああーっ」うかうかしている間に降りだしてしまった!

「すげぇ、ほんとに降った」王様は面白そうに腕組みしたりする。

「もうっ」

 オルハさんが気遣わしげにロロを見た。「給仕長に言われて君を探しにきたんだ。怒っていたわけではないよ。陛下に捕まってるのは明々白々だったから」

「俺はエプロン回収してもらおうと思ってな。でもあー、これはびしょ濡れだな・・・・・・」

 ロロは頭を抱えた。問題が山積みだ。仕事は滞っているし、ラナシさんのエプロンが外にあるということは、ロロのエプロンも濡れているということだ。せっかく兎さんを用意してもらったのに。「今日も手伝うつもりだったのに・・・・・・」

 近頃はお菓子作りだけでなく、給仕の合間にラナシさんの手伝いなんかもしているのである。

 王様は聞き捨てならない、と言った風に眉をしかめた。「手伝う・・・・・・?」

 ロロは頷いた。あ、だめ、と視界の隅でラナシさんが頬を引きつらせた。王様が一睨みで黙らせる。

「ラナシさんと一緒に作るんです。王様のお菓子とか、ご飯とか」

 林檎飴一年分のお礼を返さないといけない。どうも財布の出所がオルハさんだという噂が流れているのが引っかかるけれども。

 あー・・・・・・、とラナシさんが床に崩れ落ちた。

 王様は頂点に座す者の目になって、「残りの飴、没収」

「あう」



   * * * * *



「まだ仕事終わんねーの」

 後ろからロロを抱き、頭に顎を乗せて王様が訊いた。この身長差はいかんともしがたい。なにせ頭三つ分だ。終わりません、とロロは冷たく言い放ち、おたおたと不器用に皿を洗っていく。

「いつまで」

「ずっとです、ずーっと!」

 さして残念でもなさそうに王様は舌打ちする。二の腕を掴む手。動かしにくいったらない。もともと能率は良くないのに、余計に時間がかかってしまう。

 ロロだってこんな状況、早く抜けだしたいのだ。さっきからラバナや他の召使いの視線が痛くてしょうがない。針で刺すような敵意は日に日に膨れ上がっている。

 気づいているだろうに、王様はまるで見せつけるようにロロに話しかけ、笑い、触れる。

 安心する、と王様は言った。

 剥き出しになった人間の本能に、欲望に、触れると安らぐ。安らげる。

 ロロには理解できない。

 そんなもの見たって悲しくなるだけだ。

「・・・・・・今」王様がロロの耳に唇を寄せた。「何を考えてる」

 ロロは肩を強張らせた。

 言えるわけがない。

 あなたのことがわからないなんて。

 相手は一国の主で、ロロは彼に仕える召使いだ。厚かましくおこがましく非礼である。

「離れるな」

 こんなにも密着しているといのに、王様はそんなことを言う。

「お前も――お前も、俺を、置いてくって、言うなら」

 耳に変な感触が走った。

 ロロは電撃に撃たれたように硬直して皿を流し台に落とした。これで五枚目。

 柔らかな唇が、耳の輪郭をなぞり、耳たぶを甘噛みした。

「や・・・・・・っ」ロロは身を捩り王様の腕の中から抜けだした。流し台に背を押しつけ、できる限り王様から距離を取った。「や、やです、王様、何だか――」

 王様は焦点の結ばない瞳でロロをぼんやりと眺めていたが、すぐにはっとなって俯くと、「・・・・・・悪い」

 小さく言い残して行ってしまった。

 頼りない背中。母親に置き去りにされた子供みたいだった。ロロは立ちつくした。このままじゃいけないと思った。理由はわからない。

「大丈夫?」

 柔らかな声に振り向くと、シェルジュが曖昧な表情で立っていた。泣きそうにも、案じているようにも、怒っているようにも見えた。シェルジュの中で感情の整理がついていないのだ、きっと。

 ロロは溜息を零した。普段はあまりつかないのに、近頃は息を吐いてばかりいる。そのうち吸い方を忘れてしまいそうだ。「平気です」

「そう」シェルジュは短く言って黙った。

 流しに並んで、ロロが皿を洗い、シェルジュが水気を拭き取る。

 言葉のいらない作業がこんなにも楽なものだと知ったのは、良いことなのか、良くないことなのか。

「・・・・・・ねえ」シェルジュが小さな声で話しかけてきた。「ロロは、その――」

 水道から流れる冷水が言葉を掻き消してしまうけれど、ロロは蛇口を閉めなかった。二人の慎ましい会話をしとやかな水音が守ってくれるから。

「陛下が、好きなの」

 ロロはスポンジを動かす手を止めた。

 泡が指先を伝い落ちる。

「わかりません」ややあって、ロロは首を横に振った。「好きとか、嫌いとか、あんまり意識したことないから」

「それって」シェルジュは目を見張った。「どうやって、人と生活するの」

 今度はロロが首を傾げる番だった。

「こういうところで共同生活を送ってたら、尚更、はっきりするでしょ。あの子は気に入らないからあんまり近寄らない、とか。あの子とは気が合うから一緒に行動する、とか。ないの、そういうの」

「わたしは一人で平気なんです」

 シェルジュは困った顔をしながらも口を挟まないでくれた。

「何ていうか・・・・・・基本が、一人なんです」

 だから、好き嫌いに関わらず、舞い降りてくる出来事や、偶然の人との出会いを、一つ一つ愛しいと思える。そこには何の優劣も存在しない。全て等しく、自分以外の――ロロ以外のものなのだ。

 そんな彼らと関われるのは、楽しいことも、辛いことも、一緒くたに嬉しい。嬉しいと、思う。

 お前も、俺を、置いてくって、言うなら。

 王様の辛そうな声が甦った。

 彼は一人なのだろうか。

 オルハさんや、ラナシさんや、給仕長や、彼に仕えるたくさんの給仕や騎士や――ロロも。

 ロロだって、いるのに。

 それでも王様は一人がこわいんだろうか。

 うーん、とシェルジュは唸り、「わかるような、わからないような」難しい顔で目を瞑った。

 はは、とロロは誤魔化すように笑った。

 特に他意はなかった。話の流れで訊いてみただけだった。

「シェルジュは、王様が好きなんですか」

 金色の巻き毛のかかる頬に赤味が差した。

 弁明の仕様がない反応にシェルジュ当人ですらうろたえている。

 ロロは驚いたけれど、嫌な感情は覚えなかった。

「気持ち悪いだろ。男が好きなんて」シェルジュは自暴自棄に吐き捨てる。「わかってるさ、そんなの。君も僕を軽蔑するんだろ――」

「王様は良い人ですからね!」

 ロロは嬉々としてそう言った。

 大丈夫。

 こうやって彼を慕う誰かが一人でもいる限り、彼は置いてけぼりにされたりしない。王様が悲しむ必要はない。怯えなくてもいいのだ。

「我儘で強引で人の話は聞いてくれないけど、なんだかんだで優しいし、どじでのろまでおっちょこちょいなロロの面倒も見てくれます」

 思いつく限りの賛辞を述べたつもりが誰も喜ばない結果になってしまった気がする。

 シェルジュはぷ、と吹きだした。「ロロはしっかりしてると思うよ。確かに、ちょっと抜けてるところはあるけど、そのぐらいの方が可愛いんじゃないかな」

「ぐは」

 こうも飾らず褒められるとそわそわしてしまう。

「あ、そ、そうだ!」

 ロロはシェルジュの手を握った。不意を突かれたシェルジュが声を上擦らせた。「な、なに」

「王様は、手作り、すっごく喜ぶんです」

「う、うん」

「だから、一緒にプレゼントしませんか」

 そうして少しでも、自分は一人じゃないんだと、王様が気づいてくれると嬉しい。

 それだけでロロは寝苦しい夜もぐっすり眠ることができるだろう。

 そして、王様も良い夢が見れたら。

「う、うん」

 シェルジュは同じ調子で頷いた。



   * * * * *



 燃え盛る炎を前にシェルジュは何もできなかった。

 少なくとも何かできたはずなのに。

 そうしてまた、悪夢を繰り返すように、シェルジュは業火の舐める家屋を眺めている。

 こんなはずじゃなかった。

 こんなはずじゃ。

「どうして」シェルジュは隣に立ち竦む美しい娘に詰め寄った。「ここまでする必要ないだろ・・・・・・!」

 ラバナは呆然と首を振った。「あたくしじゃないわ」

 シェルジュは粗暴に唾を吐き捨てた。「そんな馬鹿な話、誰が信じるもんか」

 この炎の中にはロロがいる。

 どこか影を孕んだ、それでも明るく笑おうとする優しい微笑みが、燃えつきようと。

 陛下は言った。

 シェルジュがロロと午後のお茶菓子を持っていった時のことだ。

 陛下が味を称賛するとロロは飛び跳ねて喜びながらシェルジュの手を取った。温かかった。

 ずっと。

 この温もりをずっと感じていられたらと。

 そうしたら自分は、戻れるんじゃないかと。

 シェルジュ。

 主の冷めた声が昂る熱を奪い去った。

 滅多な気を、起こすなよ。

 滅多な気とは何のことだ。

 そんなもの起こすものか。

 誰があんな世間知らずで頭の悪い田舎者に好意など。

 そう下唇を噛んでしまう時点で、シェルジュの負けは確定しているのだろう。

 また、また負けるのか。自分はやはりあの男に勝てないのか。

 くそ。

 くそ、くそ、くそ・・・・・・っ。

 シェルジュは王の瞳に囚われた。

 それは自分の意思じゃない。

 シェルジュは王を殺すためにここに来た。

 それがいつしか、狂おしいほどの願いを果たすことなく泥沼に沈もうとして、諦めきれずに伸ばした腕を、掴まれた気がした。あの暖かい腕に。小さくて丸い手に。

 私は一人なんです。

 そんなに寂しく笑わないで。

 悲しいのなら、悲しいと、言って。

「くそ・・・・・・!」

 シェルジュは戯れる炎の渦に飛びこんだ。

 熱い。



「ぶわ・・・・・・っ」

 顔面を叩く熱風にロロは顔を背ける。

 退路はない。

 もう建物は火に囲まれている。

 王城の敷地の片隅にそびえる別宅。ここは第二、第三の妃が生活する屋敷だ。今日はここの清掃を任された。そんな話は聞いていなかったけど、予定が狂うことなんて多々あると、信じてついてきた自分が愚かだったのだろうか。

 小部屋にロロを置いて、シェルジュが地下倉庫の鍵を取りに行ってすぐのことだ。

 嫌な感じがした。

 ここにいてはいけないと思った。

 扉の外を窺おうとして、鍵がかけられていて開かなかった。

 押しても引いてもびくともしない。

「なん、で・・・・・・」

 そのうちにきな臭さが鼻をつき、煙が部屋を充満し始めた。火だ。出所はわからないが、とにかくこの邸宅のどこかで火災が発生した。

 ロロはドアノブを抉じ開けた。蝶番が割れて扉が廊下側へ倒れた。

 シェルジュを探さないと。

 すでに巻き込まれていたらと思うとぞっとする。

 屋敷中を探し回った。小部屋から居間まで手当たり次第に見て回った。いない。そうしている間にも炎は育ってゆく。焦りだけがロロの足を進める。

 背後で天井が崩れた。

 真っ赤に燃えた建材が逃げ道を塞いだ。

「ど、どど、ど、どうしよ・・・・・・!」

 シェルジュを探すどころじゃない。

 このままではロロの丸焼きだ。

 あまりおいしそうとは思えない。

「ロロ!」

 鈴を鳴らすような澄んだ声が聞こえた。涙が出そうになった。

「ロロ、いる?」

「シェルジュ・・・・・・?」

 あたふたと首を巡らすロロの腕が引っ張られた。厳しい瞳がロロを叱る。「どうしてこんなところに」

「だ、だって」煙でろくに出ない声。「シェルジュを探そうと思って」

 シェルジュは言葉を失って、わなわなと唇を震わせた。「馬鹿・・・・・・っ」

 がら、と不吉な音がした。わけもわからず突き飛ばされた。

 橙に萌ゆる巻き毛が灼熱にのみこまれるのが見えた。


 少しの間、気を失っていたように思う。

 目が覚めるとロロは煤けた体を芝生に横たえていて、瞼に焼きつくほど明るい光が屋敷を舐めていた。

 炎よりもなお鮮やかな深紅の髪。

「おうさ、ま・・・・・・?」

 王様はいつもと変わらぬ気だるげな表情でロロを見た。

「王様、シェルジュは・・・・・・」

 二人から少し離れたところでチエリがへたりこんでいた。ラバナとクォラの姿はない。

 シェルジュもいない。

 まさか。ロロは心臓が縮み上がった。まだ、屋敷の中に。

「王様、シェルジュが、シェルジュを、助けないと――」

「綺麗だ」

 なあ、と王様はロロに笑いかける。

「いい火」

「王様・・・・・・!」ロロはジャージの裾にしがみついた。「何、言ってるんですか、早く火を消さないと」

「駄目だ」

「だめ・・・・・・?」

 ロロは王様の横顔を凝視した。

 笑ってる。

 まただ。また、違う、これは、王様じゃ、ない――。

「今度こそ逃がさない」王様は恍惚とした声で言った。「引き分けなんて認めない。前回は失敗したが、横槍入れてくれた占者のばばぁも即退場だ、もう誰にも邪魔させない。ようやく・・・・・・十年かけて、ようやく兎との試合が再開できる。中途半端だった三番を、歌いきることが――」

「しっかりして、王様、ねえ、ねえってば・・・・・・!」

 シェルジュを助けないと。

 叫んだロロの髪を、王様は優しい手つきで撫でた。

「じゃあ、お前が代わりに燃えるか」

「え・・・・・・」

「駄目なんだ。三人じゃないと」

 三人。

 シェルジュと、あと二人、誰かがあの中に。

 悲鳴が上がった。

 それまで呆然としていたチエリが、突然、発狂し、ラバナとクォラの名前を喚きながら燃える家屋へ駆けて行った。振り乱した髪が熱風に揉まれる。

「よせ!」王様はロロを突き飛ばしチエリを追いかけた。「四人でも駄目だ・・・・・・!」

 制止の声も遅かった。崩れた屋根がチエリの小さな体を潰した。世にもおぞましい断末魔が耳をつんざいた。

「ち・・・・・・っ」王様はチエリを無視して屋敷へと方向転換し、燃える大扉を蹴り破って炎の渦に身を躍らせた。

「王様」

 ロロは唖然と炎にのまれていく背中を見送った。

 体が動かない。

 目まぐるしい状況の変化に頭がついていかない。

 魔法にでもかかったみたいに手足が痺れる。

「王様!」

 ロロの声は届かなかった。

 届いたとしても、聞いてくれないだろう。



   * * * * *



 かち、かちと規則正しい時を刻む音がいやに耳につく静けさの中。

 椅子に腰かけ、ロロはじっと息をひそめていた。膝の上で握った拳。爪が皮膚を食い破りそうなほど、きつく。

 目の前の寝台には満身創痍のシェルジュが身を横たえている。ロロを助けようと天井の崩落に巻きこまれた彼は右半身に重度の火傷を負った。右目から頭部を覆う痛々しい包帯が、窓から差す陽光を照り返し、目に痛いほど眩い光を放っている。

 呼吸は浅い。

 虫の息だ。

 そのまま静かに止まってしまいそう。

 かれこれ半日、ロロはシェルジュの傍にいる。昨晩の火災で失った命は三つ。ラバナ、チエリ、クォラ。中が良いとは言えなかった。たくさん嫌なことをされた。嫌われていた。だけど、同じ職場で一緒に働いた身近といえる人間が死んでしまうなど。

 初めてだ。

 急に寒くなったみたいだ。

 彼女らがいた場所にぽっかりと大きな穴が開いて、隙間風がロロを叩きつける。

 お願い。ロロは目を閉じて祈った。お願いします。シェルジュを連れて行かないでください。都合のいい時だけ頼るなんて愚かにもほどがあるとわかっています。

 罰を下すなら、どうか。

 わたしを裁いて。

 シェルジュは何も悪いことはしていない。

 していないです。

 ふる、と青白い瞼が震えた。

 ロロは勢いよく立ち上がった。


「王様!」

 執務室のソファでは、長い足を優雅に組んだ王様が何かの雑誌を真剣に読みこんでいた。顔を上げた王様の体にロロは覆いかぶさった。

 ぎゅっと抱きしめる。

 王様が雑誌を床に落とした。

「王様、シェルジュが目を覚ましたんです!」

「お、おい」王様が戸惑った声を上げた。

 そういえば、ロロから王様に触れたのは、平手を除くとこれが初めてかもしれない。

「ありがとう」

 ロロは万感の思いをこめて抱きしめる腕の力を強めた。

「ありがとう、王様・・・・・・!」

 シェルジュを助けたのは王様だ。

 チエリが炎に包まれた後、屋敷に乗り入った王様は、重傷のシェルジュを抱えて戻ってきた。王様は体のあちこちに小さな火傷やかすり傷を負い、絹のように滑らかだった美しい頭髪も端々を焦がして、丁度いいとばかりに散髪した。うなじまであった髪。今はすっきりと肩を見せている。ロロとは違う筋張った首筋。

 王様の指がロロの肩に食いこんだ。

 取り巻く空気が一変した。

 激しく膨れ上がる怒気にロロは背筋を固くする。

「ありがとう、だと」

 王様は繰り返した。

「ありがとうだと・・・・・・!」

 王様はロロを引き剥がした。ロロは床に尻もちをついた。

「いつまでもふわふわしたことぬかしやがって」吐き捨てられる言葉達。「気色悪い」

 彼は怒っている。

 だが怒っているだけだ。

 彼はちゃんと彼だ。

 ロロの知っている王様だ。

 それが嬉しくてロロは笑った。それが王様の神経を更に逆撫でしたようだ。

「何、笑ってやがる。なめてんのか。頭のネジ緩んでるどころか足りないだらけの欠陥品が」

「ひ、ひどいなぁ」

 王様が息を詰めた。苛立たしげな舌打ち。「・・・・・・笑いながら、泣くとか」

「ふ・・・・・・」エプロンドレスの裾に染みがいくつもできた。泣いているつもりなんてないのに。ロロは嬉しいのに。嬉し泣きするほど嬉しくもないのに。

 涙は止まらない。

 次第に笑い方がわからなくなる。

 す、と王様が床に膝をついた。ひくつくロロの頬を擦る乱暴な指。「お前、馬鹿なのに馬鹿にされて泣くの。嫌味にも気づかないくらい馬鹿なんだと思ってたのに」

「ロ、ロロは、馬鹿ですけど」一呼吸の間。「馬鹿だって、色々、大変なんですよ」

 そっか、と王様は顎を引き、「・・・・・・言いすぎた気がしなくもない」

「平気です」ロロは瞼を擦った。「王様はきっと、もっと大変だから」

「何それ」

「王様は頭がいいから、ロロなんかより、いっぱいつらいんじゃないかって」

「辛い、ね・・・・・・」王様はロロの顎を伝う涙をすくい、「忘れたね、そんなの」

 いや、と彼は首を振り、

「捨てなきゃどうしようもないものって、あるよな」

「何を」鼻をすすり、ロロは訊く。「王様は、何を捨てたんですか」

「さあ」

 王様は肩を竦め、立ちあがり際、ロロの頭を撫でた。

「お前を見てると思うよ・・・・・・賢さを捨てることも、生き方の一つだってな」




   * * * * *



 お前は俺を愛せるか。

 彼はいつも、情欲に濡れた瞳に問いかける。

 答えはいたって単調だ。

 愛せます。

 愛せますとも。

 誰も彼もが必死に寄せ集める、身に巣食う欲望を隠すための継ぎ接ぎ。彼の目はそれらを簡単に暴いた。知性のない肉の塊に成り果てた奴らの姿は彼を安心させた。そうして現れる本性に触れる度、彼の中に快感が芽生えた。

 一皮どころか全身がずる剥けた奴らの言葉に嘘はない。

 お前は俺を愛せるか。

 愛せると言うのだから、愛せるのだろう。

 奴らは彼を愛すのだろう。

 彼は愛されるのだろう。

 想像しただけで、虫唾が。

 虫唾が、走る。

 

 最近、うまくいってないんですか。

 突然、そんなことを言い出した臣下を彼は半眼で睨んだ。オルハは肩を竦め、そんなにこわい顔をしないで、と彼を宥める。

 余計な口を挟むのはこいつの悪い癖だ。面倒見が良いのとおせっかいは違う。

 邪魔な雑草は摘み取らなければならない。

 彼はそうなることを望んではいない。

「疲れているようだから」

「誰が」

「あなたも・・・・・・ロロも」

 彼は苦虫を噛み潰したような表情になる。

 欲しくない。

 自分は、何も。

「当たり前だろ。まかりにも同僚が目の前で死んだんだ。いくら馬鹿なあいつだってこたえるだろうさ」

「それだけじゃないでしょう」

「・・・・・・知ったような口を」

 蒼い髪の騎士は疑っている。

 料理長や給仕長も薄々、感づいているだろう。

 彼が火をつけた。

 あの邸宅に。

 二人の侍女を閉じこめて。

 彼は息を吐いた。気づかれるのは良くない。

 今後の遊戯に支障が出る。

「・・・・・・ロロを、どうするつもりなんです」オルハは沈鬱な声で言った。

 彼は感情の読み取れない声で答えた。「どうもしねーよ」

 あいつはただの遊び道具だ。暇つぶし。退屈な毎日の。

 気丈に振る舞う明るさを取り除けば何が残るのか。

 剥き出しになった本性はどんな味がするのか。

 そればかりが楽しみで仕方ない。

 罪悪感なんてない。

 欲しくない。

 どうせ一人になるのなら。

 いつか離れてしまうなら。

 俺は、何も、いらない。

「どうでもいいよ、あんな奴」

「嘘ですね・・・・・・いや」オルハの遮りは早かった。心の奥底を見透かすような瞳。「嘘になる」

 その目はやめろといつも言うのに、蒼い髪の騎士は聞かない。

「あの子の存在は大きい。あなたにとって、大きくなる」

 彼は笑った。

 上等だ。

「なら、賭けをしよう」

 彼の挑発に臣下は簡単にのった。「今度ばかりは負けません」


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