10 温泉
ここは鉱山業が栄えたのと、温泉が出るから宿屋が多い。
「この国も温泉があるとはな」
「お父さんが小さいころに温泉がはやり始めたそうです」
「これは……、どう見ても旅館だな」
「リョカン?」
「ここも異国の人が立てたのよね。昔は硫黄の匂いのせいで悪魔の地とされていたの、温泉を売りにしたのもその異国人よ」
「アマリアさんって物知りですね」
「アンタが知らなすぎなのよ」
「温泉か……」
師匠はいつになく興味津々だ。でもこの宿は高級らしいから泊まるのは無理だろうな。
——お客様! こまります!
宿の立派な入り口の奥から、女の人の声がしたと思えば、3人組の男が出てきた。
「うるせえな! おれたちはあの“シシオ軍団”の幹部だぞ!」
「そうさ、俺たちに心づけしておいて損はねえよ」
「そういわれましても、お代をいただかない事には……」
こんなところにもシシオ軍団が!? もう、山を越えてきたのか!
「なんじゃ貴様ら!」
なんだ? 玄関の奥から声がした。訛りは強いけど、快活で、はっきりとした口調だ。
「あ? 何だ、てめえは!」
「ぬしゃあら、すぐ去ね、店の迷惑じゃ」
「あぁ!? いい度胸じゃねえか!俺たちシシオ軍団のか……、うわぁ!!」
チンピラ達は僕らの目の前を横切り飛んでいく。
ドシャーン!
軒先に叩きつけられもんどり打った。
「けっ、他愛なか。こげん弱い奴らが幹部とはな」
うめきながら立ち上がるチンピラ達にその人は言い捨てた。
「ケガせんうちに、去ね」
鋭い眼光が相手を突き刺す。目が合ってないのになんだが怖い、妙に小綺麗な見たことのない服を着ている。軍人さんだろうか。
チンピラ達は足を引きずりながら逃げていく。あれ? あの人刀を腰に……。
ふと、その人と僕の目が合った。
……いや、僕の後ろだ。その人は師匠を見ている。
「あー!!」
叫びながら指す指の先には師匠。
これは……、知り合いなのか?
「比古! 比古 清十郎!」
「は?」
師匠の名前を知っている! これは何かありそうだ。
彼はなおもつづける。
「ここであったが100年目!」
100年!? なんで? これはただ事ではないですよ師匠! 誰なんですか?
「……?」
ためだ、忘れてそうだ!
ここで忘れてたら絶対怒りますよ。せめて知ってるフリを……。
「……誰だ?」
時が止まった。……正確にはあの人が固まっているのを僕らは見守っている。
あれは、怒りか? 悲しみか?
「なん……、ぬしぁ……、こん……」
聞き取れないけどすごく怒っているのはわかる。これはまずい。
「すまない。どこかで会っているか?」
「比古ぉ!清十郎ぉ!」
——ガキィン!!
叫び終わるや刀が交差する。師匠は咄嗟に刀を半分抜いて受け止めていた。
早い! あんな距離から!
「チェストォー!」
なんて一撃だ! 師匠も今度は両手で受けた!
「……ああ、思い出したぞ。半次郎だ!」
「違う! 四番大隊指揮長! 桐野利秋じゃあ!」
「半次郎は偽名だったのか?」
「今は桐野 利秋じゃあ!」
「名を変えたのか、洒落た名前だな、半次郎」
師匠は普通にしゃべっても人を煽っているように聞こえるんだよなぁ。
「きさん、うっころしちゃる……」
相手は刀を納める。
——あれは! 抜刀術!
「しゃあぁっ!!」
抜刀した切先は空を切る。
「らぁ!!」
早い! 二撃目!
ガキィン!
「半次郎、相変わらずだな」
「せからしか! 黙って切られろ!」
「おちつけ」
「きさんのせいで! 西郷どんは!」
半次郎さんは歯を食いしばって師匠を睨みつける。
僕は思わず叫ぶ。
「師匠! もうその辺で!」
半次郎さんは刀を振り下ろそうとしたまま、ぐっと堪えて僕を見た。
怒りに燃える眼光の奥に、ふっと陰が差す。
「……師匠だと? こいつを師と仰ぐバカもんがおるとはな」
彼は一歩下がり、刀を収めた。
「師匠! なにがあったんですか?」
「こいつのせいでおいの大将は死んだんじゃ!」
師匠を見ると黙っている。まさか、本当のことなんですか……?
師匠は静かに答える。
「すまぬ半次郎。俺はどちらに味方するわけにもいかなかったんだ」
「なっ!? ……くそ!」
半次郎さんはその場に座り込む。
ハンジローさんはしばらく黙っていたが、やがて、苦いものを吐き出すように言った。
「……おいはな、次に会ったら貴様を打ち喰らわしちゃろう思うとった」
その横顔は怒りよりも寂しさに満ちていた。
「だが、頭を下げられたら、もう責めきれん。
ふん! もうよか、終わったことばい。西郷どんも仲間も……誰もかんもみな死んでしもうた」
ハンジローさんは声が震えていた。
「おいは、ひとりきりばい。いまは旅館の用心棒……笑わすやろが」
自嘲気味に吐き捨てる。すこし可哀そうな気もするなあ。
師匠は少し目を伏せてから尋ねた。
「……半次郎。おまえ、ここにどうやって来た?」
「……あ?」
ハンジローさんは首を振った。
「あのあと岩崎口まで攻め込んで、気づいたらここにおった。さっぱい覚えちょらん。ひょっかすっと、味方が船に乗せちょったか…… 」
師匠はその答えに「そうか」とだけ返した。
その顔はどこか悲しげだ。
僕は何も言えなかった。
目の前の二人が背負っているものの雰囲気に、ただ息を飲むしかなかった。
そこへ、村人が血相を変えて走ってきた。
「ハンジルー! 大変だ!」
「桐野じゃ! ……なんじゃ、どうした?」
「ガラの悪い奴が集まっているんだ! この旅館を襲うつもりらしい!」
「なんじゃと!」
桐野さんは即座に走り出した。
「さっきのやつらか!? 僕も!」
「待て、ロシュ!」
師匠の声が背中に飛んできたけど、僕はもう足を止められなかった。
桐野さんを追って走ると、旅館の裏手には20人ほどの連中が集まっていた。
桐野さんの姿を見つけるや否や、「あいつだ! やっちまえ!」と怒号が飛ぶ。
次の瞬間、3人が同時に襲いかかる。
だが桐野さんは刀を抜かず、拳と蹴りだけで立て続けに叩き伏せた。
「貴様ら! 死にとうなかったら散れぇ!」
怒声に空気が震える。
「助太刀します!」
僕は刀を抜いてハンジローさんに並ぼうとした、その瞬間。
目の前に鞘が横切った。
「やめい。ひとりで十分じゃ」
桐野さんの低い声。
驚いて一瞬動きが止まった僕の体は、次の瞬間ふわりと宙に浮いた。
「うわっ!」
まるで猫の子のように掴まれて、少し横に置かれる。
「やめておけ、ロシュ」
僕はただ見ているしかなかった。
桐野さんの前に群がる悪党たち。
だが、次々に薙ぎ倒されていく。
不思議だ。相手が切り掛かる前に距離を詰めたり、逆に距離をとって空振りさせたり、相手の動きがわかっているみたいだ。
悪党どもは、一撃ごとに地に沈み、呻き声を上げる暇もなく転がっていく。
刀を抜かずとも、その動きは流れるようで止められない。
気づけば、残っていた者たちは散り散りに逃げ出していた。
……圧倒的に強い。僕は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「こやつら、この辺のやつじゃなか……」
倒れた悪党を見て、ハンジローさんが吐き捨てるように言った。
「見て、この刺青、シシオ軍団の下っ端よ。もうこんなところまで」
アマリアさんが答える。
その時、森の奥から声がした。
身構える僕たち。
森の方を見ると、人が足を引きずって這ってきた。血と土で顔が汚れている。
膝をつくと、こちらにすがりつくように手を伸ばした。
「……助けてください。私は、……この先の村の者です」
声が震えている。息は浅い。
「たすけて、ヴェルダが、ああ、ヴェルダ……」
僕は言葉を返そうとした。だが、彼の瞳がスッと曇り、体が崩れ落ち……、その場で動かなくなった。
空気が固まる。死の匂いが、僕らの周りを細く廻った。
「そんな……」
アマリアの声が消え入る。
ハンジローさんは無言で立ち上がる。左手で腰の刀を確かめると、躊躇なく歩き出した。
その背は、怒りで震えているように見えた。
「死人の願いなら、仕方ない」
師匠が静かに言った。
目の前で人が死んだ。助けられなかった者がいる。彼はそういう思いをたくさんしたのだろうとなんとなく思った。
「行くぞ」
師匠の声が、低く、確かに響いた。
僕たちは二人の後について走り出した。




