第六章「それでもうちは専従捜査官ぞな(八)」
(八)
倉敷駅で香と別れ、美柑と桔平は予定通り新幹線に乗り、十六時五十五分、新山口駅へ到着した。
「美柑ちゃん」
新幹線口を出たところで、聞き覚えのある声がしたので振り向くと、そこには山口県警の高杉晋子が立っていた。
「晋子さん!」
美柑が声を上げると、晋子はにこりと笑った。
「遠いところ、よう来ちゃったね」
そのあと、美柑と桔平は晋子に案内され、新幹線口を出て左手に進んだ先にあるホテルへチェックインした。
部屋に荷物を置いて、晋子が予約してくれている店に三人で向かう。
晋子が案内してくれたのは、新山口駅近くの郷土料理居酒屋『長州酒房 吉祥』だった。
店は、ふぐ料理や山口の郷土料理、地酒、個室もある。込み入った話をするには、ありがたい店だった。
ふぐの唐揚げや瓦そば、地酒の名前が並ぶ品書きを見て、美柑はようやく山口へ来たのだと実感した。
ただ、同時に晋子は桔平に気がありそうな雰囲気だったことを思いだした。
《そうやった。忘れとったぞなもし》
と、複雑な気持ちになる。
席に着いて、各々注文をした。桔平と美柑は、倉敷で焼肉を腹一杯食べたことを忘れて、テーブルに並ぶ海鮮料理を平らげてしまった。
「改めまして。山口県警の高杉晋子です。今日はよう来ちゃったね」
その名前を聞いて、桔平の箸が止まる。
「あのぉ。僕ぅ、何も悪いことしてませんが……」
と桔平が、メールと同じことを、言ってしまった。そことを知っている美柑と晋子は思わず吹き出す。
「ほんま、面白い人じゃねえ。ホテルに帰ったら、『大人の話』でもしちゃげようか」」
と、いたずらな目をして、桔平を見た。
「うちも大人ぞな」
美柑がぷうっと膨れて、晋子に抗議した。
「ほいで、美柑ちゃん。岡山では二人きりじゃったんじゃろ? なんか進展しちょらんの?」
「そ……それはぁ……」
晋子の意地悪な質問に、美柑は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「ありましたよ」
桔平が真顔で答える。
「え?」
美柑が隣に座っている桔平を見つめた。
「こいつに昼間、俺が大事に育てたロースを食われました」
《桔平兄ぃ。それ子供の告げ口ぞな》
と、美柑はがっかりして、ため息をつく。
「でも、美柑ちゃんが言うとった彼氏が、刺されたってニュースで知って、心配しちょったんよ」
「彼氏じゃあ……ないけん」
美柑は、ぼそぼそと言った。
その話を聞いていた桔平が、刺身をつまみながら口を挟む。
「親戚ですわ。小さいときから弟やと思って……可愛がっ……」
弟と言われて、美柑が桔平の尻をつねった。
「何すんねん」
「うちは小さい頃から女やけん」
といって、ぷいっと横を向いた。
それを見ていた晋子が、大笑いした。
しかし、宴もたけなわになると、やはり仕事の話になってしまう。美柑は、京都や岡山での出来事を、詳細に晋子へ伝えた。
「なるほどね。漫画に沿うような形で動いちょったんなら、事故の可能性は高いっちゃね」
晋子が、ゆっくりとうなずいた。
「うん……でも、真実を告げることって、ほんまに必要なんかなって思ってしまうんぞな」
美柑は、弥生に真実を話したことを、少し後悔しているかのように言った。
「それは、うちらの仕事じゃけぇ……仕方ないっちゃ」
晋子は、言葉を選びながら答えた。
「でもね、美柑ちゃん。その人のことを大事に思うちょる人からしたら、知ることで、やっと前に進めることもあるんよ」
そう言うと晋子は、日本酒をグイッとあおって、美柑にも酒を注いだ。
「知ることで、前に進める……」
美柑は、その酒を一気に飲み干した。
翌日、午前十時に長門屋の前に着いた三人は、ロビーに案内された。
ロビーにある大きなソファには、すでに、凪沙の仲居での同僚だった森優子もきていた。
「優子さん、お久しぶりです。前はご協力いただいて、ほんま助かりましたっちゃ」
と、晋子がお礼を言った。
「女将さんから、凪ちゃんのことで分かったことがあるけぇ来てつかぁさいって連絡もろうたんよ。そんなん聞いたら、飛んで来るしかないいね」と、優子が笑う。
しばらく待っていると、女将の長門千鶴子が大番頭の伊藤彦次郎を連れだってやってきた。
「お待たせしてしもうて、ほんに申し訳ございません」
千鶴子はそう言いながら、美柑の正面に腰を下ろした。その横に、伊藤が控えるように座る。
美柑の左隣には晋子、右隣には桔平。優子はテーブルを挟んで桔平の向かい側に座り、膝の上で両手を重ねていた。
晋子は、桔平を紹介した。
「こっちは、京都府警の宇賀田警部補ですけぇね」
「あらまぁ、えらい男前な刑事さんじゃこと」
千鶴子は、客商売に慣れた調子で桔平を褒めた。
「どうもぉ。宇賀田桔平と申しますですぅ」
と、ものまねをやったが、スルーされて落ち込んだ。
「ほいで、さっそくですまんのですけど、前にお会いした時、『あの男はやめちょきさんせ』言うちょられましたよね。あれは、宇多津亮のことやったんですね」
晋子が、写真を見せながらこう言うと、
「そうじゃ。この男のことです」
と、千鶴子は即答して、優子はうなづいた。
「それで、凪ちゃんはあの男についていって、幸せじゃったんですか?」
優子が身を乗り出して訊いてきた。
その声に、美柑はドキッとした。そしてオレンジの手帳を取り出して、話し出した。
「正直に言うと、宇多津亮さんは、凪沙さんを支えてくれる人やなかったんぞな。凪沙さんが、今度こそ寄りかかれるかもしれんって信じたかった男の人とは、真逆の人やったんよ」と、美柑は言った。
その言葉を聞いた千鶴子と優子は、力が抜けたように背もたれへ身を預け、深いため息をついた。
「もっと強う言うちゃればよかった……」
千鶴子が、悔やむようにつぶやいた。
「うちのせいじゃ。うちがもっと凪ちゃんのそばにおったら……」
優子は、膝の上で握った手を震わせた。
「それは違います」
美柑は、優子に優しく言った。
「凪沙さんが、順番を間違えたと思っています」
美柑は、花吹雪で桔平が言った順番の話を思い出して順を追って話した。
「俺は結婚って、お互いが我慢をしなきゃいけないと考えています」
と話の途中、先程まで、長門屋の庭や装飾を見回して、話をろくに聞いていない桔平が、急に話に割り込んだ。
「どういうことぞな」
と、美柑が桔平に訊いた。
「不倫は、きれいな話やないということや」
桔平が、庭の方を見たまま言った。
「寂しかった。苦しかった。誰かに支えてほしかった。それは分かる。けどな、それで自分の家庭を捨てて、別の男の言葉に寄りかかってええ理由にはならん」
「そがいな言い方せんでもええじゃろ」
美柑の声が、少し強くなった。
「凪沙さんは、ずっと苦しんどったんぞな。誰にもちゃんと支えてもらえんで、何度も何度も傷ついて、それでも誰かを信じようとしたんぞな」
「ほな、苦しんどったら何してもええんか」
桔平の声は、静かだった。
ただこの状況の中で、晋子だけは薄々気がついていた。
先程から、美柑と言い合っているようだが、桔平は庭を睨んでいる。
《きっと『そこ』にいる、凪沙へ向けて言っているんだろうな》
と感じた。
美柑は仕事中だというのに、とうとう泣き出した。
晋子や千鶴は、突然のことに慌てた。
「もう一つ。ええか」
桔平にしては珍しく、美柑を無視して話し出した。
桔平は、美柑を見なかった。
視線は、ずっと庭の一点に向けられている。
「俺の可愛い妹に、勝手に触れんといてもらえますか」
静かな声だった。
けれど、その奥には、はっきりと怒りがあった。




