第六章「それでもうちは専従捜査官ぞな(五)」
((五)
突然、自宅を訪れてきた刑事達に、恵美は驚く表情も見せずに、居間へ三人を案内してくれた。
「この前は……ほんまに、ありがとなあ。あん時は、うちも気が立っとったけぇ」
恵美が、お通夜に香が来てくれたことに礼を言った。
「いえいえ、気にせんでええですよ。ちぃとは落ち着かれましたか」
香が、恵美を気遣う言葉をかける。
「おかげさんで。だいぶ落ち着いてきましたわ。それで、今日はどがぁなご用件ですか?」
「いえ、たいした用件じゃないんですけど、この京都府警の刑事さんが、恵美さんからちぃと話を聞きたい言い出しましてな。それで、急遽来させてもらいました」
「はい、何でも聞いてつかぁせぇ」
と、恵美は桔平に言った。
桔平は、香と美柑の両方の顔を見て困った表情になる。
《桔平兄ぃ。何も考えとらん顔じゃぞ》
今回は外れだった……。
美柑は、思った。
「ああどうも。すみませんねぇ。いきなり押しかけちゃって。このたびはご愁傷様でしたぁ。さぞ、お悲しみのことでしょうねぇ」
《ん?この言い回し。聞き覚えあるぞな》
話し方を変えた桔平を見て、すぐにピンときた。
《昔の刑事ドラマのものまねぞなもし》
「いえ、もう別れる話をしとったもんで……悲しゅうはないんです。薄情に聞こえるかもしれんけど」
「奥様のお気持ち、十分に分かりますです。はい」
《少し似ちょるかも……》
美柑の桔平評価は下がるどころか上がった。
「ただ、今日は本当のところを聞かせてもらえませんかぁ。もちろん、前にお伺いしたとき、あなたのお気持ちは聞いております。はい」
桔平は、そこで一度言葉を切った。
「四十年。んー、そうです。四十年もの間、あなたは児島誠司さんと連れ添ってこられた。にもかかわらず、悲しくはないという。そこがぁ、私は少し気になるんです。はい」
「どういうことじゃ?」
「はい。依然こちらでお伺いをさせて貰ったとき、あなたは『帰る場所がない』と仰っておられました。覚えておられますかぁ」
「そのとおりじゃ」
《凄いぞな、似ちょる似ちょる》
香も、桔平のものまねに気づいたのか、なんとも言えない表情をしている。
「んー、そこなんです。そこなんですよ、奥様。帰る場所がないと仰った方が、いまは悲しくないと仰る。これは一見、矛盾していないように聞こえます。ですがぁ、私にはそうは思えないんです」
恵美は、何も言わなかった。
「四十年です。四十年もの間、悔しい思いをされてきたと思います。悲しくないと仰るのも、本当でしょう。けれど、本当に何もなかったなら、『帰る場所がない』なんて言葉は出てこないんですぅ。」
桔平は、わざとらしく人差し指を立てて、少しだけ声を落とした。
「本当は、ずっと待ち望んでおられたんじゃないですかねぇ。児島誠司さんが、あなたを見てくれる日を」
部屋の空気が、わずかに変わった。
「教えてください、奥様。あなたの本音を」
恵美は大きく目を開けて何も話さないでいたが、不意に笑い出した。
「全然似とらんわ」
「え?」
「本物は、もっと渋いハスキーな声じゃ」
恵美の言葉に、笑いを抑えていた香も笑った。
《あちゃあ、ファンじゃったかぁ。桔平兄ぃ。お疲れさんぞな》
陰ながら美柑は桔平を労った。
「でも、刑事さんの言うとおりかもしれん。今思えば、うちは児島に振り向いてほしかったんじゃろうな。それなのに、ずっと意地を張っとったんかもしれん」
そう言って、恵美は児島誠司の遺影を見て、涙を流した。
「四十年……泣けんかった。やっと、涙が出ました。どうして、何も言わずに、先に逝ってしもうたんじゃろうな」
泣いている恵美を黙って見ていた桔平が、少しだけ首を傾げた。
「お気持ちは、よぉく分かりますぅ。んー……でもですねぇ、奥様。きっと児島誠司さんも、同じだったんじゃないでしょうかぁ。言えなかっただけで」
《桔平兄ぃ。もういいぞな》
美柑は桔平の袖を引っ張った。
「ん……いまもあなたの傍で、頭を下げて謝っている……んじゃ、ないですか……ねぇ」 急に、途切れ途切れになった桔平を、美柑と香が見た。
桔平の顔に血の気が引いている感じだった。
《え? まさか……》
そう思って美柑は目を閉じる。香もまた、反射的に耳を塞いでいた。
「……誠司さんが来て、謝っとるんですか」
恵美が、震える声で訊いてきた。
「え? いや。そ……そうだといいですね、という話ですわ」
桔平の返事も異様だった。
恵美と話しているはずなのに、桔平の視線はずっと、児島誠司の遺影に向けられている。
「そうですか」
恵美は、ぽつりと呟いた。
「いつでも来てくれりゃあ、うちは嬉しいんじゃけどなあ」
そう言って、恵美は顔を伏せ、むせび泣いた。
時間も遅くなっていたため、三人は恵美に礼を言って家を出た。
「倉敷まで来たんなら、焼き鳥でも食べていきゃあええが。大山鶏の炭火焼きがある店、知っとるけぇ」
香の勧めで、三人は倉敷駅近くの焼き鳥屋に入った。
「四十年目の涙かぁ……」
香はそう呟いて、生ビールをあおった。
「あないな愛もあるんぞな……」
美柑は、目の前に置かれた焼き鳥のハツを口に入れた。
「……お祓いできるとこないか」
その隣で、桔平だけが震える手でスマホを操作していた。近くでお祓いのできる神社を探しているらしい。
「桔平兄ぃ、まだ探しよるんか」
「美柑、お前が岡山本部でいらんもん見せたからや。俺な、あれから死にかけたり、ちょっとおかしなっとんねん」
「しっかり食べるんぞな」
美柑が呆れると、香が小さく笑った。
「でも、帰り際、恵美さんがうちらに『ありがとう』って言うてくれたんよな」
そう言って、香はビールを飲み干し、おかわりを頼んだ。
「うん。どういう意味なんじゃろ」
美柑も追加の焼き鳥を十本頼んだ。
「じゃあ、桔平さん。どがいに見えたん?」
「……泣いとった」
はっとして、桔平はあたりを見渡した。そして何もいないことを確認すると、ため息をついた。
「え? やめてや。怖いし」
香の顔が強張る。
「泣いとったって、児島誠司さんが?」
美柑が真剣に訊いた。
「あのとき、私が何をみたのか。フッフッフッ、もう皆さんはもうおわかりのはずですよねぇ」
《うわっ。きっと黒バックのシーンぞな》
美柑は、なぜかわくわくしながら聞いていた。
「しかし、彼は一つ、大きなミスをしてしまいました。はいぃ」
桔平は、わざとらしく人差し指を立てる。
「私には、見えたとしても、声は聞こえないんですよぉ。はっはっはっ。つまりですねぇ、見えただけでは証言にはならない。したがって、私は何も見ていないということなんです」
そこで桔平は、妙に澄ました顔をした。
「宇賀田桔平でした」
しかし桔平は、ここで重大なミスを犯した。
「つまり、声が聞こえんいうだけで、見えたことは認めとるんじゃろ?」
酔いの回った香に、桔平は頬をつんつんとつつかれてしまった。
「でも、どがいして恵美さんが、彼のファンじゃって分かったん?」
「たぶん偶然やけん。神楽ちゃんも、確率は十分の一やって言いよったぞな」
「でも似とったで。目ぇつむって聞いとったら、ほんまもんみたいに聞こえたもん」
「そやろ? 香さん、愛してるで」
桔平の、愛してるでという言うその言葉に、香は顔を赤くして反応した。
《なんぞな。いまのリアクションは?》
美柑は少し複雑な気持ちになった。
ただ当の桔平は、ものまねを褒められた礼を、素直に口にしただけだった。




