第六章「それでもうちは専従捜査官ぞな(一)」
(一)
「どういうことか説明してもらおうか」
黒田啓輔が眼鏡の奥から目を光らせて文句を言った。
「まあまあ先生。ちいと二十五年前の件で聞きたいことができましたさかい、そう目くじらを立てんと、この子らの話を聞いてやってくださいな」
山際万作が丁寧に頭を下げた。
「愛媛県警松山西署の浦波美柑です。一昨日はありがとうございました」
美柑と香が交互に挨拶をして警察手帳を見せる。
「岡山県警本部の木尾香です。お忙しいところ申し訳ありません」
事情聴取そのものが初めてではない。だが、弁護士であり、事件の核心にいる男を相手に、自分が前に立つのは初めてだった。正直、美柑は緊張していた。
「先日、あなたは凪沙さんのことは言いよったけんど、洋子さんのことは、どがい思っとるんぞな?」
「洋子のことですか」
「はいぞな」
黒田は、難しい顔をして考えた。
「二十七年も夫婦なんですから嫌いだと一緒になんてやっていけませんよ」
「では、なんで奥さんの洋子さんを、小倉にあるご両親のお墓へ連れて行っちゃらんかったんぞな?」
「深い意味はありません。忙しかったということです」
「でも瀬戸凪沙さんとは一緒に行っとるじゃろう」
「それも同じくで、たまたま山口に行った帰りに、小倉へ寄っただけですよ」
黒田は薄ら笑いを浮かべた。ただ、美柑が何を聞きたいのか手探りしながら話している感じだった。
「でも、浮気しとったことに変わりはないぞな。凪沙さんのことをしんから好きじゃったんなら、まず洋子さんを解放しちゃってから付き合うべきじゃろが」
美柑の言葉は、黒田のきれいごとを許さず、まっすぐ倫理で刺している感じがした。
「恋愛は綺麗事で測れません。たまたま好きになったときに、結婚していたと言う事でしかない」
「また、たまたま……で済ますんぞな?」
「それが真実なのではありませんか」
小馬鹿にされたように感じた美柑は、
「でも、結果的に二人の女性を苦しめとったことに気付かんのぞな?」
と、語気を荒げた。
「そう言われても困ります」
黒田は余裕のある表情で返した。
「それより、妻の接見を急いでください」
「接見を急ぐ理由でもあるんぞな?」
黒田は時計を見た。その顔に、このとき初めて苛立ちが浮かぶ。
それを見逃さず、美柑はあえて訊いた。
「そなぁに洋子さんが何を話すか心配なんぞな?」
と、あえて訊いた。
「それは私の妻です。当然ではないですか」
「ところで、二十五年前、凪沙さんが転落した船に、洋子さんも乗っとったことは知っとるんぞな?」
黒田の話を無視するかの様に美柑は話を二十五年前に戻す。
「え? 洋子が……ですか?」
美柑の質問に、黒田の余裕がここで一瞬崩れた。
それまで弁護士として受け答えしていた黒田が、素で反応したのだ。
「はいぞな」
「どうして洋子が……」
「訊いとるのはうちじゃ」
「知りません。いま初めて聞きました」
黒田は落ち着こうとしたが、美柑から見ても明らかに動揺していた。
「まさか洋子が凪沙を……」
「違うぞな。殺したのはあんたじゃ」
いきなり犯人扱いされて、黒田は目を剝いた。
「世迷い言を……私は何もやっていません」
「そうじゃ。もちろんあんたは何も見とらん」
「馬鹿馬鹿しいにも程がある」
と、黒田が不快感をあらわにした。
「見とらんけん、分からんのぞな。凪沙さんが、あんたの言葉をどがいな顔して聞いとったか」
と言って、きらら博の凪沙の写真を見せる。
「ほいで、洋子さんがどがいな思いでおったか」
洋子がいるところを指で差しながら話した。
「洋子さんの言葉ぞな」
そう言って、そう言って、美柑は捜査用端末を開き、イヤホンで該当箇所を確認してから、スピーカーに切り替えた。
『しかも彼女は、首に啓輔のネクタイを巻いたまま落ちたんです。
私は、顔を打つ雨を見上げて「もう、どうでもいいや」と考えました。
結婚して二年――。
一度も……私は「愛されている」と思えたことがなかった。
一度も……私に振り向いてなどくれなかった。
私は、彼に愛してもらおうと私なりに考えて、二年間毎日努力をしてきたつもりです』
黒田は、洋子の声を聞いて何も話せなくなっていた。
「ほいで、こっちも聞くんぞな」
『探偵から戴いた啓輔の浮気写真を見るたびに、私の心は歪んでいった。
私の努力が足りないから……。
私に魅力がないから啓輔が他の女へいくんだ……。
そう毎日、泣きながら自分を責め続けていました。
なぜナイフを盗んで持っていたのか――。
それは、自分を責め続けた女が、最後に辿り着いた答えだったからです』
「ほやけん言うたんじゃ。凪沙さんと洋子さん、二人の心を殺したんは、あんたぞな」
「……」
「洋子さんの腕にはいっぱい、ためらい傷の跡が残っとるけん」
美柑にとって、結婚して二年といえば、まだ付き合っていた頃の延長のような、楽しい時期に思えた。少なくとも、姉の柑奈と勝平はそうだった。
だからこそ、洋子がその二年間で「愛されている」と一度も思えなかったことが、美柑には重かった。
「洋子は、他に何か話しましたか?」
やっと、現実を理解したのか、黒田の声は震えていた。
「うちの言葉より、洋子さんから直接聞いたらええぞな」
と言って、もう一度イヤホンで該当箇所を確認してから、スピーカーに切り替えた。
『いい気味だわ……。
これが、私の素直な気持ちです。
弁護士の妻が二十五年も他の男と浮気をして、その相手を、痴情のもつれで殺してしまった……。
――笑えませんか?
だって、そうでしょう。結婚してから二十七年もの間、旦那に触れてもらえない女……。愛してもらえなかった女の積み重なった恨みなんです。
裁判の時、私は笑いながら話してやる。結婚してから、お前が私に『しなかった』全てを。お前はそれを、傍聴席で聞いていればいい』
洋子の言葉を聞いて項垂れている黒田に美柑はこう言った。
「これが洋子さんの意志ぞな」と。
「あんたが今さら接見して、黙らせられるもんやないんぞな」
とも付け加えた。
しばらく黙っていた黒田が、おもむろに顔を上げて話し出した。
「洋子は、宇多津亮を殺していません」
と言い、
「あの男にとどめを刺したのは私です」
黒田啓輔は、弁護士の顔を捨てるように、静かに供述を始めた。
「あの日、何も連絡せず、家に帰りました。キッチンで洋子がナイフを持って泣いているのを見て、すぐに普通ではないと分かりました。何があったのかも、薄々察しました」
美柑は、黒田と神楽の会話を思い出していた。
『私はトラベルミステリーが大好きでしてね。もし、その女性と二人で食事に行くふりをして、レンタカーを借りて京都まで戻ってきた。というのはいかがでしょう』
「どうしてそんな面倒臭い事をしたんぞな」
「洋子と宇多津亮が会っていると思ったからです」
「あんた、知っとったんぞな?」
「凪沙の死の真相を調べているうちに気づきました」
黒田は髪を整えるふりをして、深いため息をついた。
「気づいて、どがい思うたんぞな?」
「自分の妻が禄でもない男と関係を持っているんです。怒らない方がおかしいでしょう」
黒田は首を振って強い口調で言った。
「何を言っとるぞな。それは、あんたが洋子さんにやってきたことやけん」
それを言われると、黒田としては、返す言葉がない。
「自業自得ぞな」
その時、後ろで話を聞いていた山際万作が、「ご苦労さん」と言って、美柑に代わるように促した。




