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専従捜査官-令和の坊ちゃん編-  作者: 北島 将


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第五章「真実は苦いぞな(六)」

(六)

 午前九時十分から始まった取り調べは、はじめから険悪な空気をはらんでいた。

「あなたが刺した宇賀田警部補はかなりの重傷ですが一命を取り留めました」

 これは嘘ではない。取り調べの数分前に、桔平の姉・明菜から神楽へ連絡があったからだ。美柑はその時、神楽の横にいて、ほっとしたを浮かべ、一瞬だけ目に涙を話をためて明菜と話す彼女を見ていた。

《あの涙が神楽ちゃんの本音ぞな……》

 少し複雑な気持ちではあるが、桔平が助かった事に、美柑も同様に胸をなで下ろした。

「そうですか」

 洋子は一言だけ言った。そのとき、取り調べ室の扉を叩く音がした。先ほど山際に黒田啓輔の来訪を告げた若い刑事が、神楽に耳打ちした。

「分かりました」

 と、その刑事に言うと、洋子の方を向き、

「旦那さんが、あなたの弁護人として接見を求めてきていますが、どうされますか?」

「断ってください。必要ありません」

 その声は、毅然としたものだった。

 洋子の意外な言葉に、神楽と凜は驚いた。無論、モニター室でこの取り調べの様子を見ていた美柑たちも同様である。

「あの人を、弁護人から外してください」

 神楽は、洋子の目を見る。

「ではそのことを伝えて貰いますね」

 とだけ言い、傍で立っている刑事に、洋子の意向を黒田啓輔に伝えるよう指示をした。

「どうして断ったんですか?」

 洋子に向き直った神楽が、その理由を訊いた。

「今更なので」

「どういう意味でしょうか?」

 洋子が言う「今更」の意味を美柑は必死で読み解こうとする。しかしどのように考えても最適解にたどり着けないので、柑奈に訊いた。

「『今更』の意味を教えてほしいぞな」

「今まで何もしてくれなかったくせに、じゃない」

 柑奈は思いつくことを美柑に話した。

「ご想像にお任せします」

 洋子はここでもまた、神楽の問いに一言で答えた。

 その表情は、まるで感情を持たない人形のように見えた。

「そうですか。では、二十五年前、フェリーで起きた瀬戸凪沙さんの件から伺います」

 二十五年前のフェリーの話と聞いて、洋子の目が、わずかに動いた。

「あなたは、二十五年前、黒田啓輔さんの後をつけて山口県へ行っていますね」

「はい」

 洋子は素直に答えた。

「事故があったと言うことで、当時の乗船名簿のコピーが残っていました」

「……」

母里洋子もり・ようこ……聞き覚えはありますか?」

「母里は、黒田啓輔が黒田家に入る前の姓です」

 洋子は静かに目を閉じ、当時の話を始めた。

「彼女は……啓輔のネクタイで自分の首を絞めていました」

 洋子の話に、モニター室がざわついた。

《うちが見た映像の断片と同じじゃ》

 桔平が凪沙の漫画原稿に触れ、急に椅子から崩れ落ちたことがあった。その時、美柑の脳裏にも見えた凪沙の記憶だった。

「詳しく話してもらえますか」

 美柑から、断片の話を聞いていた神楽は、洋子の話に驚きを見せずに促した。

「私はあのとき、主人と話をしようと決めて、主人がいる部屋に向かいました……」

 洋子がそう言った――。

「すると、主人のネクタイを持って凪沙が思い詰めた表情で、部屋から出てきました」

「……」

「私はそれが気になって、彼女の後を追いました」

「それで彼女はどこに向かったのですか」

「外のデッキです」

「その時、他に人はいなかったんですか」

「外は雨が降っていました。風も強くて、遅い時間もあって、人は見かけませんでした。彼女は手すりの近くに立っていました。急に啓輔のネクタイを、自分の首に巻いて」

「瀬戸凪沙さんが、自分でそのネクタイを締めるところを、あなたは見た……」

「……はい」

 洋子は、目を閉じて俯いた。

「その時、あなたはどうしましたか?」

「私は慌てて『やめなさい』と言って、彼女の腕を掴みました」

「あなたが腕を掴んだことで、首が絞まった可能性がある……と?」

 神楽の声は、まるでロボットが話をしているかのように淡々と訊いていく。

「それは私には分かりません。彼女は勝ち組なのになぜ?という気持ちが強かったんです」

『勝ち組』という部分に、神楽が反応した。

「それはどういう意味ですか?」

「啓輔につけていた探偵からの連絡で、彼のご両親のお墓に彼女を連れて行ったと」

 洋子の声が震えてきた。これまで人形が話をしているかの様だった声に血が通い始めた瞬間だった。

「父からの紹介で結婚して二年。私は一度もご両親のお墓へは連れて行ってもらえませんでしたから」

 洋子の目に、悔しさとも悲しみともつかない感情が浮かんでいた。

「……それで、彼女と何か話をしましたか?」

「いえ、『離して!』と言って、突き飛ばされてしまいました。その拍子に彼女の足が滑って……」

 洋子の言葉に、モニター室で聞いていた全員が固まる。香も柑奈も手を口に当てて何も話さなかった。

 これが二十五年前には見えなかった真実なのか――。

 すべて本当のことを、言っているとは限らない。嘘の可能性も十分にあるが、洋子の話を立証する手立ては、もうほとんど残っていない。

 美柑には、モニターに映る洋子の姿に、凪沙の面影が重なって見えた。

《二人とも、愛されなかった女じゃった……》

 美柑の胸が震える。

「なぜ、そのことを警察に言わなかったんですか」

 神楽が率直に訊いた。。

「……」

 洋子は答えなかった。

 美柑は、それまで素直に供述していた洋子が、急に黙ったということに疑問を感じた。

《何かあるぞな》

「黒田さんに知られたくなかった、ということですか」

 神楽も、美柑と同じ疑問を感じているようだった。

「それもありますが……」

「話してください」

 神楽に促されて、洋子は天を仰いで目を閉じた。

「自分の目の前で、人が海へ消えて行った……暗い海を見ながら、何も考えられなくなりました」

 当時の恐怖がよみがえったのか、洋子の表情に怯えが浮かんだ。

「そうですね。理解出来ます」

 神楽が優しく話した。

「真っ暗な海を見ていたら、吸い込まれそうに思えて……」

「あなたも海へ、飛び込もうとしたのですか」

「不意に、どうでも良くなって。二年間、私には触れてもくれないくせに、外で他の女と遊ぶ啓輔にも疲れてしまって……」

モニター室の美柑は、一方通行の恋愛の難しさを感じた。不謹慎かもしれないが、無性に桔平の声が聞きたくなる。

『結婚いうんは一方通行じゃおえん。片っぽだけが想いを強うしとったら、その強い方が地獄を見るんじゃ』

 と言った、児島誠司の妻・恵美の言葉が再び脳裏を過った。

「柑奈姉ぇ、どういう意味じゃ?」

 美柑は恵美の言葉を柑奈に伝え、既婚者としての意見を求めた。

「うちは円満ですからねぇ。いやぁ難しいですねぇ」

 と、勝平が話に割り込んだ。

 彼は彼なりに沈んだ空気を明るくしようとしたつもりだが、美柑にだけは不評だった。

《いなかっぺが何を偉そうに……》

 口には出さないが、全身から怒りのオーラを放って抗議した。

そして、洋子の言う、勝ち負けで考えるなら、凪沙は「勝ち」だった。彼女の長い願いが、叶いそうなときに、それを自ら手放してしまったということになる。

《凪沙さんは、黒田の何をそこまで信じられんかったんじゃろか……》

 美柑は凪沙の心を知りたくなった。

「人っちゅうんは、ほんまに幸せなもんほど、見えんのんじゃなあ……」

 香が、かすれた声でしみじみと美柑に言った。

「でもその時、私を助けてくれた人がいました」

「その人の名前は分かりますか」

「はい、宇多津亮です」

 宇多津亮と洋子がここでながるとは、誰も予想は出来なかった。

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