表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
専従捜査官-令和の坊ちゃん編-  作者: 北島 将


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/45

第五章「真実は苦いぞな(五)」

(五)

 午後九時半過ぎに始まった手術は、午前一時四十分頃、ようやく終わった。

 手術室のランプが消えた瞬間、美柑と神楽は同時に顔を上げた。

 手術室の扉が開く。

 桔平がストレッチャーに乗せられて出てくる。

 顔色は悪い。酸素マスク、点滴につながれた姿が痛々しい。

 心電図モニターが動いて、彼が生きている事を教えてくれていた。

 四、五人の看護師が周囲を囲む。

 美柑と神楽はもちろん、同期の刑事たちも近づこうとするが、看護師に「すみません、通ります」と制される。

 ほんの一瞬だけ、桔平の顔が見えた。だが、いつもの軽口を叩く気配など、どこにもなかった。

 桔平は、そのまま集中治療室へ運ばれていった。

 やがて、医師が手術室から出てくる。

「先生、桔平兄ぃは……!」

 美柑が駆け寄る。

 神楽も、その隣で息を詰めていた。

「手術は終わりました。宇賀田さんは、このあと集中治療室で経過を見ます」

 医師は慎重に言葉を選びながら、丁寧に説明した。

「幸い、主要動脈の断裂はありませんでした。ただ、刃先が腹腔内の血管と臓器表面を傷つけており、出血量が多かった。まだ安心できる状態ではありません。これから集中治療室で管理します」

 医師は、自分の周りに集まり、真剣な顔で桔平の容態を訊いてくる刑事たちを見渡した。

「ただ、二十四時間は、慎重に見ていく必要があります」

 その言葉に、誰もすぐには返事ができなかった。

「まあ、わしらがここにおっても何も出来ん。あいつを信じて帰ろうや」

 その一言で、張りつめていた刑事たちは、ようやく動き出した。誰もが何度も集中治療室の方を振り返りながら、渋々と病院を後にしていく。

「私たちも、一度戻りましょう」

 神楽が静かに言った。

「嫌じゃ。うちはここにおる」

 美柑は、首を振った。

 ここにいても何も桔平の為に出来ない。わがままな事を言っていることは、彼女も重々

理解している。だが、桔平の傍にいたいという気持ちを抑えられないのも、正直な気持ちだった

「桔平兄ぃが目ぇ覚ますまで、ここにおるぞな」

 神楽は何も言わず、美柑の肩に手を置いた。

「でも、香さんもいるから帰らないと」

「そうじゃった。わかったぞな」

 美柑は頷いた。ちょうどその時、上京署から香が帰ってきた。

 「桔平さんの容態は、どうなん?」

 香が息を切らしながら訊いた。

「幸い、主要動脈は切れとらんかったみたいじゃ。けど、集中治療室ぞな」

 美柑はそう答えながら、もう一度だけ集中治療室の方を見た。

「香さん、黒田洋子の様子はどうですか?」

「最初は自殺のおそれもあるけぇ、留置担当に監視を強めてもろうたんじゃけどな。不思議なくらい、落ち着いとったわ」

 と、香が疲れた顔でため息をついた。

 警察官という仕事が、常に危険を伴うものだということは聞いていた。

 だが、まさか自分の目の前で、そんなことが起きるとは思っていなかった。

 まして、それが桔平だった。

 その事実が、美柑の胸に重くのしかかる。

 ――ただ失いたくないから、前に進めないだけ。

 昨日、神楽が言った言葉が、今さらのように胸に染みた。


 ――失いたくない。


 その一言が、こんなにも怖いものだとは知らなかった。

「うちが悪いんじゃ……」

 美柑は、震える声で呟いた。

 昨日の焼肉屋でのやり取りが、ふいに頭の中へ蘇る。


「……こら、美柑」

「なんぞな」

「その肉は、俺が大事に育てたやつや。手ぇ出すなや!」

「桔平兄ぃは昨日うちの海老をとったぞな」

「過去の話はええねん。いま、このハラミの所有権を言うとるんや」

「過去を掘り起こすんがうちの仕事じゃ」


「うちが、桔平兄ぃのハラミを食ったけん……」

 昨日の焼肉屋でのエピソードを思い出して笑おうとした。

 今日も今宮神社で、お参りを主張する桔平に、

「あぶり餅がたべたいぞなもし」

 といってねだった。

「お前、マジで太るぞ」

 と言われてふくれたことも……涙と一緒に、思い出が次々と溢れ出してきた。

 美柑が言っている事は、自分でも違うと分かっている。

 桔平はそんなことを引きずる男ではない。

 分かっているのに……涙だけが止まらなかった。

 何かのせいにしなければ、胸が押し潰されそうだった。

 香が、泣いている美柑を見かねて、そっと彼女を抱きしめた。

「大丈夫じゃ……絶対、大丈夫じゃけぇ」

「そうです。昨日寝ていませんでした。きっと今は、その分を取り返そうとしてるはずです」

 神楽がそう言って、美柑の涙を拭いてくれた。

「……ほんとぞな?」

 美柑が、涙に濡れた目で神楽を見る。

「はい」

 神楽は、静かに頷いた。

「桔平ちゃんは、そういう人です」

 神楽が優しく微笑んだ。そして集中治療室の方を見て、

「いつも文句を言いながらも人の前に立って……いつも怪我する人です」

 美柑は、小さいときに助けに来てくれた時の、顔中血だらけの姿を思い出した。


 翌日の六月十五日・午前九時。黒田洋子は宇賀田桔平に対する殺人未遂容疑の取調べのため、留置されていた上京署から護送された。

 取調室で背筋をピンと伸ばして座っている。髪はきちんと整えられ、薄い色のブラウスにも乱れはない。むしろ、これから茶道の稽古にでも向かう奥様のように見える。

 取調べ監督用のモニター室で洋子の姿を見た美柑は、

《どこからどう見ても、人を刺すような人には見えんぞな》

 というのが、第一印象だった。モニター室には、美柑と香の他に、山際と久世。その横に愛媛県警捜査一課長の伊予勝平と柑奈が隣席していた。

「いやぁ、山際さんすみませんねぇ。我々も同席させて戴いて」

 勝平が山際に礼を言う。

《いなかっぺは何しに来たんじゃ?》

 と、美柑は思った。

 タクシーを拾って美柑たちが神社に戻ると、時間はすでに午前二時半を回っていた。そこへ見慣れた「愛媛ナンバー」のワンボックスが、勢いよく駐車場へ入ってきた。

 停車と同時に車のドアが勢いよく開き、柑奈が飛び出してきた。

「美柑!桔平の容態はどうなの?輸血は?助かったの?」

 と柑奈に、矢継ぎ早に質問されて、

「柑奈姉ぇ、うるさいぞな。夜中じゃぞ」

 と言って、柑奈を落ち着かせた。

「美柑ちゃんの言う通りですよぉ。柑奈君」

 エンジンを止めて、勝平が降りてきた。

「いな……勝平兄ぃ、きうい姉ぇも来とるんか?」

「はい、道中泣きじゃくっていたんですけどねぇ。京都に入る前に泣き疲れて、今はぐっすりとおやすみなさってますねぇ」

 勝平は、後部座席を親指で示した。

 美柑がそっと車内を覗くと、きういは涙の跡を頬に残したまま、子どものように眠っていた。

「きうい姉ぇ……何しに来たんじゃ」

 美柑が小さく呟く。

「いいじゃないですかぁ」

 勝平が、いつもの調子で肩をすくめた。

「彼女も、宇賀田桔平いう男に人生を狂わされた一人ですからねぇ」

 と、意味深なことを言った。


《きうい姉ぇは、神楽ちゃん命ぞな》

 と、美柑がそんなことを考えていると、若い刑事が山際の傍へやってきた。

「課長」

「おお、なんや」

 と訊く山際の耳元で囁いた。

「何やて……すぐ行く言うといてや」

「どうかされましたか?」

 勝平が山際に訊いた。

「黒田啓輔が弁護士資格をちらつかせて接見を申し出とるそうや」

「ご一緒させて戴いても宜しいでしょうか」

「ほな、一緒に行きましょか」

 といって、山際は勝平と若い刑事の三人でモニター室を出た。

 それと同時に、神楽と相良凜の二人が取調室に入ってきた。

「京都府警本部捜査一課、大月神楽です」

 神楽は、洋子の目をしっかりと見て挨拶をした。

「同じく、相良凜です」

 モニター越しに見る美柑は、昨日病院で神楽の言葉を思いでした。

『元カノです』

 その言葉は、まるで美柑の心に刺さる棘の様に、妙に胸に残っていた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ