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専従捜査官-令和の坊ちゃん編-  作者: 北島 将


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第一章「うちの名は浦波美柑じゃ(三)」

(三)

 愛媛県松山市、三津浜地区。

 戦火を逃れたこの港町には、江戸、明治、大正、昭和初期の面影が、今も路地のあちこちに残っている。

 木の格子戸。古い土壁。かつて銀行や医院だった擬洋風の建物。潮の匂いを含んだ細い道を歩いていると、時間だけが少し遅れて流れているような気がした。

 三津浜と港山を隔てる内港には、「三津の渡し」がある。距離にすれば、わずか八十メートルほどの海の道。けれど、その渡し船には室町時代から続く歴史があり、今も地元の人の足として、静かに海の上を行き来している。

 美柑たち浦波三姉妹は、そんな町で育った。

 そして、それは瀬戸凪沙も同じだった。

 同じ潮の匂いを嗅ぎ、同じ渡し船を見て、同じ路地を歩いたはずの女。もし彼女が、事件に遭わなければ、普通にすれ違っていたかもしれないと思うと、美柑の心は揺れた。

 凪沙が暮らしていた実家は、三津厳島神社の近くにあった。

 細い路地を抜けると、浜風が醤油の香りと潮の匂いを運んで来る。古い家並みの向こうから、港に戻る船の音が聞こえた。

 瀬戸家には現在、今年で九十歳になる凪沙の母と、三つ下の弟・瀬戸裕太、五十七歳、その家族が暮らしている。

 裕太は、今も三津浜で漁師をしていた。

「今朝は漁に出よるが、もう港にもんてきとるんやないかな」

 玄関先に出てきた裕太の妻は、そう言って港の方を指した。

「ありがとうございます」

 柑奈が頭を下げる横で、美柑は、路地の先に見える海を見ていた。

 瀬戸凪沙も、この道を歩いたのだ。

 何度も――。

 海の向こうへ行く前に。

 美柑たちは、三津浜の漁港へ向かった。

 空は、雲一つない青空だった。

 が、いつになく暑い。スマホで気温を確認すると、「三十度」になっていた。松山の平年値を見ると、五月三十一日の最高気温は二十五度前後なので、平年より約四度高いことになる。

《げげ、がいに(非常に)まずい。うちの白い肌が日焼けするぞなもし》

 美柑は思いつきで、署から出たことを後悔した。

 一方、柑奈を見ると、日傘を差して涼しげな顔をしている。

「かな姉……それ、いつから持っとったん」

「最初から」

「お姉ちゃんへらこいわい。ずるいわい」

 と美柑はふくれた。

「あんた天気予報をみてないの?」

「テレビ自体、見とらんもん」

「あらあ、可哀想。じゃあ、これ使いなさい」

 柑奈は持っていた日傘を美柑に渡す。

「ええの?かな姉は?)」

「あたしはいいの。日焼けを気にする歳じゃないし」

「けんど、体重は気にしとるよね」

 しもたぁと思ったときには、柑奈のこめかみがピキっていた。

「そうだよね、日焼けって女の敵よねえ。日傘返しなさい」

 そう言って、美柑から傘を奪った。


 三津浜商店街を横切り港へ向かって少し歩くと、船着き場には、多くの船が並んでいた。「あの人じゃない?」

 柑奈が、前方を見ながら言った。

 美柑は日差しを避けるため、建物の影に沿って歩いていた。そのせいで、柑奈より少し遅れている。「暑い~。お腹すいたけん帰りたい~」と、さっきから同じことをぼやきながら、美柑は柑奈の視線の先を追った。

 船着き場の端で、がっちりとした体つきの男が網の手入れをしている。日に焼けた腕は太く、潮風と日差しの中で生きてきた人間の色をしていた。

 柑奈は、持っていた日傘を美柑に預けた。

「ちょっと持ってて」

「え、貸してくれるん?」

《かな姉、大好きぞな》

 三十度越えの日差しの中、美柑は素直に思った。

「持ってて、って言ったの」

「へいへい」

《伊予柑、嫌い……》

 これもまた、正直な感想だった。

 美柑が日傘を受け取ると、柑奈は男の方へ歩いていった。

「すみません。瀬戸裕太さんで間違いありませんか?」

 柑奈は警察手帳を示しながら、男に声をかけた。

 裕太は手を止めた。

 警察手帳を見るなり、日に焼けた顔に、露骨な警戒の色が浮かぶ。

「警察が、どがいな用事じゃ?」

 と、無愛想に聞いた。

「瀬戸凪沙さんの事で、お聞きしたいことがあります」

 柑奈は、裕太の鋭い目にも怯まず、静かに言った。

「姉の?」

 裕太の眉間に、深い皺が寄った。

「今更何聞きたい言うんか」

 と、冷たく答えた。

 その時、美柑は、男の背後に係留されている船へ目を向けた。

 比較的新しい船体に、黒い字で船名が書かれている。

 ――凪沙丸。

《凪沙丸……瀬戸凪沙……》

 姉の名を船につけている。

 それだけ見れば、姉思いの弟に見えた。

 けれど、目の前の裕太の声は、姉の名前に触れられることを嫌がっているように冷たい。

《……何か、合わんぞな》

 美柑は、丸眼鏡の奥で、そっと目を細めた。

「それと、彼が浦波巡査部長です。凪沙さんの事件を、前任に代わって担当します」

 と言う柑奈に、

「はあ?彼じゃと?」

 と、美柑がピキった。

《うちゃ女じゃ》

 裕太は美柑を見て、「ふんっ」と鼻を鳴らして、

「どっからどう見ても、女じゃろがい」

《おじさんナイスぅ!》

 裕太の印象が、少しだけ良くなった。

「そうですね」

 柑奈は裕太の言葉を一旦、受け入れて、

「警察の仕事に性別は関係ありませんから」

 と、きっぱりと言った。

「確かにそうじゃの」

 裕太は、うんうんと頷いた。

「けんど、もう少し女の子らしい格好せないかんぞな」

 と言って、豪快に笑った。美柑は、昭和オヤジの台詞に、

《女の子らしい格好って何なん。ほいで事件が解決するのなら、誰もあずらんわい(苦労しない)》と思い、裕太の印象はかなり落ち込んだ。

「ほいで、話って何じゃ?」

 裕太は、何も悪いことを言ったつもりのない顔で、網の上に腰を下ろした。

 柑奈が「どうぞ」と言う顔で合図をした。

 美柑はゴホンと咳払いをして、

「いなげなこと聞くけんど、宇多津亮いう人、知っとられます?」

 と訊いた。この質問の意図が分からず柑奈は、

「どういうこと?」

 と、思わず聞いてしまった。

 瀬戸裕太も最初は同じような表情をしていた。そして、眉間に皺を寄せて目を閉じた。

 明らかに不快な感情を滲ませて、

「忘れた事やらいっぺんもないわい」

 と言った。

「それ、なんでぞな。説明してつかぁさい」

 美柑はスマホを取り出した。

「録音しても、かまんですか」

「好きにせえ」

 裕太は短く答えると、船の縁を大きな手で撫でた。 

「この船は、ねー(姉)の保険金で買うた船ぞなもし」

 その顔は、まるで弟が姉から船を買ってもらった時のように、穏やかだった。

「ほて、凪沙丸って名付けたんぞなもし」

 美柑は、白い船体に書かれた船名へ目をやる。

 ――凪沙丸。

「ほうぞなもし」

 と言った裕太が話し出した。

――

 凪沙が亡くなって四十九日が過ぎた頃だった。

 宇多津亮は、家に上がると、凪沙の仏壇に手を合わせることなく、

「保険金、こっちへ渡してもらわんとの」

 と、裕太と家族に言い、細い目で裕太たちを睨みつけた。

 身長は高くない。痩せ型で目が細く髪が少し薄い。話をすると、下の前歯が二本抜けているのが見えた。

「受取人は、俺のはずやろが」

 とも言った。

「どういうことぞなもし、教えてつかあさい」

 裕太は意味不明な子とを言う亮を、睨みながら聞いた。

 というのも、保険金のことなど聞いた事がないからだった。凪沙は二十歳で既婚者と一緒に松山を捨てた女である。そんな奴が保険金を家族に遺すようなことなど考えられない。 当時の裕太は、連日押し寄せてくる記者への対応や、警察の事情聴取で疲れ果てていた。

「あんたらは十五年間、さっぱり音沙汰がなかった家族に、何を言わしたいんぞなもし」

 と、怒りをあらわにした。

「凪沙はのう、わしを受取人にして生命保険に入っとったんじゃ。ほやけん、その金はこっちへ渡してもらわんとの」

 亮が、お茶を出してきた嫁の和美の身体をなめ回すように見ながら言った。

「そがいなこと、わしは知らん言いよろうが。訳の分からんことばっかり言うて、これ以上うちら家族を苦しめんとってくれや!」

 裕太は怒りで立ち上がろうとする。

「おいおい、手ぇ出したらのう、あんたらからも金もろわないかんようになるで」

 薄ら笑いを浮かべて亮が言う。

「おお、どうにでもせえや。ほやけど、家族に手ぇ出したら、海へ沈めちゃるけんな」

 亮の脅し文句に対して、きっぱりと裕太は言った。

――

「今じゃあ婆さんやけどのう、若い頃の嫁は、そりゃあ別嬪じゃったんぞ。がははっ」

「いや、そこは聞いとらんけん」

 美柑は豪快に笑う裕太に冷たい視線を投げつけていた。

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