第五章「真実は苦いぞな(一)」
(一)
六月十三日・午後一時十一分。
美柑たちを乗せた「特急しおかぜ」は、定刻通り岡山駅に到着した。
「さあ、岡山の駅弁ぞなもし」
勢いよく降りる美柑たちと対照的に、桔平は人生のどん底にいるみたいに落ち込んでいた。出発前、美柑は松山名物・醤油めしの弁当を買い込んだ。そして美柑の父・権蔵が「日本酒・酒仙栄光」を手渡してくれた。
だが、それが桔平にとって、最悪の事態を引き起こしてしまった。
「今日こそ瀬戸大橋で海を見るんや」
と、意気込んでいた桔平は、岡山駅の手前まで、爆睡してしまったのである。
《惜しいぞな。海岸寺までは起きとったのに》
酒が、駅弁とぴったりと嵌まったのか、一人で半分以上呑んでしまった。
わずか一時間足らずの間にである。
「いつになったら勉強するのですか?」
神楽に冷たく釘を刺されて、桔平はますます肩を落としていた。
その時、美柑は不思議に思った。確か最初に最初に愛媛へ来た時もしおかぜだったのではないかと。そのことを神楽に聞いてみた。
「はい。あの時も瀬戸大橋の上で「だけ」爆睡していました」
神楽は、落ち込んでいる桔平を見ながら話した。
《桔平兄ぃ。海に嫌われとるぞな》
美柑は、桔平の背中にそっと手をやり、
「どんまいぞな」
精一杯、励ましたつもりだった。
「美柑。お前、ええ奴やなぁ」
桔平がしみじみと言った。
彼女は思う……。
こういう失敗を何度繰り返しても、なぜか怒る気になれない。
《これが母性本能いうやつぞなもし》
そういって、自分を褒める美柑だった。
十三時四十分に岡山を出発したのぞみ九十六号は十四時四十三分に定刻通り京都に到着した。四人は烏丸口からタクシーに乗車して、京都府警本部へと向かう。
捜査一課長・山際万作に挨拶を済ませたあと、宇多津亮の刺殺現場となった護王神社近くの駐車場へと足を運んだ。
美柑にとっては、これまで写真でしか見ていなかった現場である。
二十五年前の瀬戸凪沙の事件を調べている美柑にとって、現在進行形で動いている現場に立つと、遠く離れているはずの二つの死が、目の前のアスファルトの上で、一本の線につながっていくような気がした。
神楽が丁寧に事件のあらましを話してくれた。
発見当時の状況――。
地取り班の聞き込み内容――。
付近の防犯カメラの映像などの詳細を、スマホの資料を見ながら説明した。
その後、タクシーを拾い黒田啓輔の事務所へ向かった。
「どうぞこちらへ」
受付の女性に案内された部屋は、いかにも弁護士事務所という感じがした。窓際には書庫がおいてあり、その上に綺麗な花が飾ってある。その花の香りが部屋に漂っている。
《きうい姉ぇの事務所とは大違いで落ち着くぞなもし》
美柑は、愛媛にあるきういの事務所に飾られた宝塚のポスターを思い出し、思わず笑いそうになった。
少し待つと、扉をノックする音がした。
「お待たせして、すみません」
といって、黒田啓輔が入って来た。
「いえ、こちらこそ突然お邪魔をしてしまい申し訳ございません」
と、神楽も立ち上がって頭を下げた。そして、
「こちらが愛媛県警の浦波美柑巡査部長と岡山県警の木尾香巡査部長です。こちらは別件になりますが、二十五年前の瀬戸凪沙さんの捜査で同行しております」
「ほお、愛媛と岡山からですか。それはお疲れ様です」
といって、席に座るよう促した。しかし二十五年前の瀬戸凪沙さんの件と聞いたときに、少し眉が動いたのを美柑は見逃さなかった。
「それで今日は二十五年前の話ですか?」
眼鏡を拭きながら、黒田が聞いてきた。
「それもありますが、最近、児島誠司さんと連絡を取り合っていませんでしたか?」
神楽がスマホの画面を見ながら訊く。
「児島誠司を襲った上松吾郎の自宅を家宅捜索した時にスマホが出てきて、中身を確認したら、「黒田」とありました。そしてその電話番号を照合したところ、あなたの名前が出てきたので、そのことをお聞かせいただけませんか」
「はい。児島誠司さんと連絡を取り合っていました」
「それは、五月二十八日に京都へ呼ぶためですか?」
「そうです」
黒田は、あっさりと認めた。
「どのような要件ですか?」
「殺すためです……」
その言葉に、四人は目を見張る。冗談にしては、あまりにも過ぎている。
「その筋書きは成立しません。あなたは前日の五月二十七日の午前中に九州へ向かわれています。ホテルで女性の方とチェックインをしているところも確認しています」
笑みを浮かべて神楽が返した。
「私はトラベルミステリーが大好きでしてね。もし、その女性と二人で食事に行くふりをして、レンタカーを借りて京都まで戻ってきた。というのはいかがでしょう」
トラベルミステリーと聞いて、桔平と美柑が反応しそうになるが、懸命に抑えた。
《うちらを馬鹿にしちょるんか》
と、怒りが沸いてきた。
「では、そのレンタカー会社の記録とNシステムも確認しましょう」
神楽が微笑んだ。
「宇多津亮さんと、椋梨慎吾さんも同様に連絡をとっていましたか?」
「はい。その通りですが、彼が殺された時間にはさすがに京都へ戻るのは、無理があります。新幹線なら直ぐですが、防犯カメラ、改札記録、予約履歴、交通系IC、クレジット決済のいずれかに痕跡が残ります。完全犯罪は成り立ちません」
と、含み笑いを浮かべて黒田は話す。真意は分からないが自分たちを試しているようにも見えた。
「新幹線なら、三時間もかからんけん。けど、在来線じゃったら、乗り継ぎがうまくいっても十二時間前後はかかるぞな」
時刻表トリックと聞いて、美柑は黙っていられなくなって口を挟んだ。
「おお、伊予弁を久しぶりに聞きました。懐かしい」
と、黒田啓輔は窓の外を見る。
「あなたは先程、児島誠司を殺すためと言いました。五月二十八日に椋梨慎吾さんも京都駅の防犯カメラの映像に残っていました。もし、宇多津亮をいれて三人を殺すつもりで呼んだとしましょう。それは瀬戸凪沙さんに関係していますか?」
黒田が神楽の目を見た。そして目を閉じて、
「その通りです。すべては、瀬戸凪沙のためです」
とだけ、言った。
「児島誠司も、椋梨慎吾も、宇多津亮も。全員、凪沙を苦しめた男です」
「確かにその通りですが、なぜ二十五年後なんですか?」
「人を殺すのに今も昔もないでしょう」
黒田は淡々と答えた。
「ただ凪沙からは、過去の事を聞いていました。本当に碌でもない男たちです。私が直接関与したのは宇多津亮だけでしたが……」
「保険の受取人を弟さんに変えた件ですね」
スマホを器用に動かしながら、神楽は訊いた。
「それだけではありません」
眼鏡を指で上げて目を細めながら、
「彼の自宅へ、凪沙と別れるようにと、内容証明を送ったのですが、彼はそこに書いている、事務所の住所を見て一度、京都に来て私と会ってます。凪沙の居所を教えろだの喚いていましたね。あれは……実に不愉快な男でした」
それは美柑にとっては初耳だった。
「それで、どうされましたか?」
「どうもこうもありません。事前に凪沙にとらせた、診断書や浮気の証拠写真などのコピーを見せて、徹底的に動く事を言ったら、簡単に離婚届に署名しましたよ」
「なるほど」
「所詮、女や弱い者にしか強く言えない奴なんですよ。あいつは」
《なんか恨みでもあるような言い方ぞな》
丁寧に話している割に棘がある言葉に、美柑は不審に思った。
「少し、煙草を吸ってきてもいいですか?」
「はい?」
「昔は事務所で吸っていたんですが、最近は分煙とかでうるさくてかないません」
と言って、黒田は立ち上がった。
「じゃあ、俺もええですか?」
桔平が、指で煙草を吸う仕草をして立ち上がる。
「お互い肩身の狭い思いをしますね」
と、黒田は笑った。
「では、一緒に喫煙所まで行きましょう」
と言い、黒田と桔平は連れだって、部屋を出て行く。
「う……うちも行くぞな」
と言って、美柑も桔平のあとを追って飛び出して行った。




