第四章「うちは子供じゃないぞな!(八)」
(八)
六月十二日、午後七時。
きういを足した美柑たち六人は、大街道から二番町へ少し入ったところにある、炉端焼きの個室居酒屋に場所を移した。
金曜日の夜ということもあり、店内は多くの客で賑わっている。個室の引き戸を閉めても、廊下の向こうから笑い声や店員の声がかすかに聞こえてきた。
テーブルの上には、各人が思い思いに注文した料理が並んでいる。
炉端焼きの海老、殻付きの帆立、じゃこ天、刺身の盛り合わせ。香ばしい匂いと湯気が、狭い個室に満ちていた。
席は、神楽の横にきうい。向かい側に美柑、香、柑奈。そして、なぜか桔平が上座に陣取っている。
「五月二十七日に、宇多津亮は京都に来ています。その日に京都駅前でレンタカーを借り、翌日、刺殺体で発見された。この間の足取りが、いまだに掴めていません」
神楽が、スマホを見ながら説明した。
「いつ現場の駐車場に入ったのか。それさえ分かれば捜査も進展するのでしょうが……現状では、まだ白紙に近い状態です」
しかし、桔平と美柑は目の前の炉端焼きに夢中だった。海老の殻を剥き、帆立に箸を伸ばし、ついでにじゃこ天まで口に運んでいる。
聞いているのか、いないのか分からない。
きういに至っては、久しぶりに神楽の隣へ座れたせいで、一時は落ち着いていた神楽様モードが完全に再発していた。神楽が話すたびに、目を潤ませ、クラァっと気を失いかけている。
「きらら博に来とったんじゃったら、同じ船に乗った可能性もあるぞな」
美柑が、じゃこ天を食べながら仮定を口にした。
「そりゃ、あり得るかもしれんですね」
香が頷く。
「仮にそうだったとしても、宇多津亮みたいな男と黒田洋子が行動を共にするというのは、考えづらいわ」
柑奈は、京都府警本部から送られてきた黒田洋子の資料を見ながら、正直な感想を口にした。
黒田洋子――。
昭和五十年五月十三日生まれ。現在五十一歳。凪沙の事件当時は、まだ二十六歳だった。
実家は、京都でも名の知れた弁護士、故・黒田留三の家である。かなり裕福な暮らしをしていたことは想像に難くない。
洋子は二十四歳の時、黒田啓輔と見合い結婚していた。
啓輔の旧姓は立花。北九州市小倉の出身で、京都の大学を卒業後、そのまま当時の黒田弁護士事務所で働くようになった。その才能を黒田留三に見込まれ、養子として黒田家に入り、洋子と結婚した。
十一歳差の年の差婚である。
「いやぁ、男と女は分からんもんじゃ」
男と女の機微など何も知らない美柑が、知ったかぶりの顔で言った。
「なるほどなぁ。ほんなら美柑ちゃん、でぇれぇ立派な考えを聞かせてつかぁさい」
と、香が意地悪な顔をして、美柑に聞いた。
「男は気持ちは知らんけんど、女は色気より食い気じゃ」
見当違いな発言を美柑は真剣に言った。
「美柑。それは違うで」
「なんでぞな」
桔平にしては珍しく真剣なまなざしで美柑を見る。
それだけで美柑も顔を赤くして、きういのようにくらっとした。
周りも、桔平の次の言葉を待つ。
「その帆立、俺が目ぇつけとったやつや」
全員が、こけそうになった。
このとき、色恋に鈍感な男が、この場に居たという事実を女性陣は痛感した。
きういが、そっと桔平の肩を叩き、微笑んだ。
「もう……お前は喋るな」
それだけ言って、きういは桔平が目をつけ、美柑が箸を伸ばしていた帆立を、横からひょいと奪って食べてしまった。
宴もたけなわになった頃、美柑が、
「香さんも一緒に京都へいくぞな」
と言い出した。
香は少し驚いた顔をしたが、すぐに岡山県警捜査一課の百聞課長へ連絡を入れ、京都同行の了承を得た。
一方、柑奈は子どもがまだ小さいため、京都行きは断念することになった。
そこで、きういがスマホを取り出し、明日の「特急しおかぜ」と新幹線の指定席を手際よく押さえていく。
「取れたで。五人分」
「なんで五人なんじゃ?」
美柑が眉をひそめると、きういは何食わぬ顔で言った。
「うちも神楽様と一緒に、京都へ嫁入りに参ります」
「何を言いよるんぞな」
美柑が呆れる横で、きういはさらに事務所へ電話をかけていた。
「小京ちゃん? うち、明日から京都行くけん。事務所のこと、後は頼むわ」
しかし、電話の向こうから聞こえてきた中之島小京の声は、かなり険しいものだったらしい。きういはみるみる肩を落とし、最後には小さく「はい……すみません……」と呟いた。
そして泣く泣く、自分の一席だけをキャンセルした。
《小京さん、よう言うてくれたぞな。さすがおけいはんじゃ》
美柑はほっと胸を撫で下ろした。
《京都へ嫁入りするんはうちじゃけん》
美柑は、恋する乙女モードに入り、桔平と結婚して、清々しい朝のシーンを思い起こした。
――。
「ほら、桔平兄ぃ。朝ぞな」
と桔平に、声をかけて朝食の支度をする美柑。やがてテーブルには焼いた鮭と、煮付けなどが並ぶ。
「桔平兄ぃ。いっぱい食べて、いっぱい稼いできてね」と、寝ぼけ眼の桔平に言う。やがて二人の雰囲気はムードが漂ってくる。お互い目を見つめ合った。
「美柑」
「なんぞな桔平兄ぃ」
そしてお互いが抱き合って……。
――。
「美柑!」
柑奈が美柑を現実に引き戻した。
「なんぞな」
せっかくのいいところを邪魔され、美柑はふくれっ面になる。
柑奈が、顎で「そこを見ろ」と合図した。
美柑が自分の皿を見ると、桔平が、美柑の海老を取ろうとしているところだった。
美柑は桔平の手をぺちんとはたき、海老の殻を剥いて、自分の口へ放り込んだ。
「ふふ、でも美柑ちゃん。桔平ちゃんは朝はパン派です」
と、神楽が教えてくれた。
「なんでお前が知ってんねん」
桔平が、美柑の疑問をぶつけた。
「お婆様とお母様が私に教えてくださいました」
神楽は、味噌汁の蓋を開けながら答える。
「ちっ、あの婆……」
言葉の端までは聞こえなかったが、
《多分、悪口ぞな》
と美柑は、勝手に納得をした。
「美柑。あんた考えが甘いから気をつけなさいよ」
柑奈が、母親の様に言ってきたので、
「子供じゃないけん。心配は無用ぞなもし」と答えた。
「まあ、うちもついとるけぇ、安心しときんさい」
香も、柑奈に言ってくれた。しかし、もし洋子が、宇多津亮を殺した犯人ならば迂闊に近づかないよう、にとも美柑に釘を刺した。
「うちは警察官ぞな。危険に飛び込まんでどがあするぞな」
と胸を張る。
「じゃけど、怪我でもして傷が残ったら、桔平さんに嫁にもろうてもらう前に大問題じゃろ」
香が真剣な表情で言ったので、美柑は不安な顔になった。
味噌汁のお椀を置いて神楽が、
「京都に滞在している間は、ぜひ私のところに来てください。部屋もたくさん空いていますから」
美柑と香を誘った。
神楽の自宅は、宇賀田神社の母屋の横にある。
そこは、かつて桔平の曽祖父が住んでいた離れだった。道路を挟んだ向かいの家に住んでいた神楽に、宇賀田神社の実質的支配者である宇賀田初が、「高い家賃払わんと、うちにおいない」と半ば無理やり勧めたのである。
「ただ、気をつけや」
桔平が、何やら不気味な声で言ったきた。
「何ぞなもし」
美柑はキラキラした目で桔平に聞いた。
彼女にとって桔平の近くに行ける事だけが何より嬉しかった。そんな美柑の気持ちを知ってか知らずか冷たく言い放った。
「うちは平安の初期からある、名門の神社や……分かるか?……出るでぇ」
桔平の声に、香がびくりと肩を震わせた。
人間の犯人なら恐れない香も、幽霊だけは苦手らしい。
「ちょ、変なこと言わんでつかぁさい」
と香が、桔平に文句を言う。
「何がでるぞなもし」
美柑は、なおも桔平に訊いた。
桔平は、間を置いてから言った。
「……うちの婆や」
その時、話を聞いていた柑奈が吹き出した。
「確かに……それは怖いわ」
「そうですね。お婆様は桔平ちゃんの子供を楽しみに生きておられますから」
神楽も柑奈の言葉に頷いて話した。
「ええ……それはでぇれぇ怖いが」
香が、ブルブルと言う仕草を見せる。
「それじゃあうちが、初お婆様のために、ひ孫をぽんぽん作るぞなもし」
と美柑が言った。
――恋は盲目と人は言う。
人がどうやって生まれてくるのか、学校の保健で学んできたはずだが、今の美柑にはもはや、そういった現実的な概念など、もはやどうでもよかった。
京都に行ける。
桔平の近くにいられる。
と言うだけで、このはしゃぎようである。
京都から戻る時の美柑の寂しさを思うと、今のうちに釘を刺しておいた方がいいのかもしれない。柑奈は、ひそかに頭を痛めた。
一方で神楽は、恋敵でもある美柑を、優しく見つめていた。姉妹のいない神楽にとって、あるいは、美柑は妹なのかもしれない。




