第四章「うちは子供じゃないぞな!(七)」
(七)
本部に戻った桔平と美柑は資料を調べていた神楽と香、柑奈に佐奈との話を報告する。
柑奈は、証拠品の袋に入った貝殻のブローチを手に持って見ていた。
「なるほどね。彼女にとってこれは、唯一の「いい」思い出だったのかもしれないわね」
香や神楽も柑奈の言葉に頷いた。
そして佐奈から預かった、凪沙からの手紙と漫画を順番に目を通していく。
最後に漫画を読んだ神楽の深いため息が、その場にいた全員の気持ちを表していた。
「凪沙さんの中にあった、切実さと危うさを見た気がします」
と言った。苦い顔をして香が言った。
「こがぁな才能があったんじゃなあ……。このまま描き続けとったら、きっと幸せになれたんかもしれん思うと、胸が痛むわ」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
才能の芽を、己の欲望だけで踏みにじっていった男たち。
その存在に、全員が怒りを覚えていた。
「生徒に手ぇ出す先生なんて、最低ぞなもし」
美柑も、抑えきれない怒りを口にする。
桔平が、重い空気を断ち切るように口を開く。
「それでお前らの方はどうやってん?」
美柑と桔平以外の、柑奈と香。そして神楽は、二十五年前の捜査資料を徹底的に調べ直していた。
「これは、事件の前日に撮られた、「きらら博」での凪沙さんの写真です」
神楽がテーブルの上に、十五枚ある写真を一枚ずつ丁寧に並べていく。
それは美柑も専従捜査にあたって、何度も見たものであった。
凪沙を写しているのは黒田啓輔であることは、すでに確定している。
写真の中の凪沙は、にこやかにしているものの、どこか表情に影があった。椋梨慎吾の部屋で見つけた、長門屋で仲居姿の凪沙の笑顔とは、まるで違っていた。あの時、美柑は思った。
《こんな笑顔も、できる人やったんじゃ》
と、思い出していた。
その時、美柑の目が、ある写真に止まる。それは「山口銀行 カラクリ・ドリームシアター」の入り口前で撮ったと思われる写真だった。横長の仮設パビリオンで、正面には山口銀行の文字と、子ども向けの夢の劇場を思わせる賑やかな絵柄が並んでいる。
その建物の雰囲気を撮りたかったのか、全体に引きの写真になっていた。
美柑が気になったのは、凪沙ではなく、入り口に並んでいる大勢の家族連れが列の中にいて、その中に、一人だけ、こちらを見ている人物がいた。
その人物は黒田のカメラを、真っ直ぐ見ている様に感じる。
当時のフィルムカメラで撮ったものだけに、画質自体が荒い。
なので、一瞥しただけでは、小さく写る人物が誰なのか判別できないのも当然だった。
《この人、桔平兄ぃの断片に出てきた人じゃ》
美柑は、咄嗟に思った。
あの時、息が出来ないくらい苦しくなった。
その時、凪沙の視線が見た女……。
「間違いないぞな。桔平兄ぃが見た断片の女じゃ!」
美柑が思わず声を上げると、柑奈が眉をひそめた。
「どういうこと?」
と訊いてきた。
神楽と香も資料を捲る手を止めて、美柑を見た。
《あ、やばいぞな。あのことは喋らんて、桔平兄ぃとの約束だったぞな……》
と、すぐに後悔したが、時すでに遅しである。
ゴホンと、わざとらしく咳払いをした桔平が、
「あー、美柑君。お兄さんとの約束、忘れたのかな」
と、訳の分からない標準語で、美柑を詰める。
「どうでもいいわ。美柑、話なさい」
柑奈がピシッと桔平の言葉を遮った。
《桔平兄ぃごめんぞなもし》
心の中で謝ってから、事の詳細を柑奈たちに話した。
桔平が、何故か凪沙の手紙や漫画を見ようとしなかったこと。自分が無理矢理、漫画を読ませようとしたら、桔平がいきなり椅子から転げ落ちたこと。驚いて桔平の傍に行った時に、いきなり電流の様なものが流れてきて、凪沙の記憶の断片を見たことを話した。
美柑の話を聞いた、神楽は何故かほっとした表情を見せた。
柑奈と香は黙って目をつむっている。
「神楽さんは、このことを知っとったんですか?」
と、香が口を開いた。
「はい。死者が生前に思い入れの深かった遺品に触れると、死者の記憶の断片が見えてしまうんです」
「こら、神楽。いらんことを言うな」
桔平が慌てて口を挟む。
「宇賀田の血……なのかもね」
柑奈がぽつりと言った。
「こら、柑奈。余計な詮索はやめぇ」
「そうかもしれません」
神楽は、桔平の制止を無視して静かに頷いた。
「じゃけど、見えたところで、何の証拠にもなりゃせんのです」
香が、静かに言った。
「こら、お前ら。聞いてるか?」
《桔平兄ぃ。みんなに無視されとるぞな》
美柑は、思わずぷっと吹き出した。
「おいこら。一回こっちを見よ。ほんで俺の話を聞け。な、頼むから」
桔平の声だけが、会議室に空しく響いた。
少し落ち着いてから、神楽が桔平の異能を話し出した。
桔平が死者の記憶の断片を受け取る時、その思いの強さによっては、命に関わることもあるという。
これまでにも、何度も入院したことがあった。ある時は、一時的に呼吸が止まったことさえあるらしい。
その頃から、ただ断片を受け取るだけでなく、誰かに伝える能力も覚醒したのだと、神楽が話した。
「へー、そうなんや」
と、桔平は他人事のように言った。
柑奈と香がその話を聞いて、いきなり桔平の手を握る。
「こら。お前ら、何のつもりや」
桔平が、冷たい目で二人を睨んだ。
「ほら、早く」
柑奈がせかした。
「何がや」
「うちは、死んだじいちゃんに会いてぇんじゃ」
香が言った。
「お前ら、さっき神楽の話を聞いてへんかったんか?もう一回、巻き戻して考えや」
《そうぞな。馴れ馴れしいにも程があるけん》
と、美柑はむっとして、ふくれっ面になった。
「まあ、冗談はここまでとして、この女性が映っている写真があるか、探しましょう」
神楽が、話を戻した。
「大体やな。お前が……」
と、桔平が文句を言おうした時、神楽のヒールが、桔平の足を攻撃した。
「痛っ!なんやねん」
「黙って仕事をしてください。さっきまで寝ていましたよね」
「……はい。目ぇが……覚めました」
有無を言わせない神楽に、桔平はまったく頭が上がらない。
その姿を見て、皆が思わず笑ってしまう。
《やっぱり、桔平兄ぃは「神」ぞな》
恋する乙女の気持ちはおおらかであった。
改めて十五枚の写真を、今度はその女性に注目して改めて見直す。
すると、三枚の写真に同じ女性が写り込んでいた。
どの写真でも、女性の視線は凪沙ではなく、黒田啓輔のカメラに向いているように見えた。
その写真を見ていた神楽が、ふと何かに気づいたように目を細める。
「桔平ちゃん、この女性の顔似見覚えはありませんか?」
と訊いた。
「なんで俺がその頃の女の顔なんか知ってるわけ……」
桔平の眉が動いた。
「桔平兄ぃ。どがあしたぞな」
美柑が、声をかけた。
桔平は、もう一度写真を覗き込んだ。
「この女の面影……黒田啓輔の嫁の、洋子によぉ似とる」
「そうです。私もそう思いました」
神楽はそう言うと、スマホを開いた。
保存していた黒田洋子の写真を表示し、テーブルの上の一枚と見比べる。
会議室の空気が、静かに張りつめた。
「神楽、本部に連絡して黒田洋子の経歴を調べて貰てくれよう、頼んでくれ」
「はい。そうします」
「ちょっと桔平!」
柑奈が口を挟んだ。
「何や?」
「あんた、警部に向かって命令するって、おかしくない?」
「ん?変か?」
何か間違ったこと言うてまっかぁ、というような顔をして、桔平が答えた。
「おかしいに決まっとるじゃろ。まったく、どがいな教育受けてきたんじゃ」
香も参戦してきた。
「どんな教育って……」
桔平は少し考えてから、真顔で答えた。
「女尊男卑やな」
「それは、あんたの家の話しでしょ」
柑奈が、あきれ顔で言った。
「そやで。怖いでぇ、うちの女どもは」




