第四章「うちは子供じゃないぞな!(六)」
(六)
「その手紙、今も持っとるんですか?」
と、美柑が訊くと、佐奈が一通の手紙を差し出した。
「凪ちゃんの手紙は、何通も残しとるんよ。ほやけど、その中でも、いちばん気になっとったんを持ってきたんぞなもし」
「中、見せてもろうてもかまんですか?」
「かまんです。どうぞ」
美柑は、恐る恐る中を開けて、手紙を見る。古びた封筒だった。角は少し丸くなり、糊の跡も乾いて色を変えている。二十五年という時間が、紙の薄さにまで染み込んでいるようだった。そこにはまだあどけなさの残る文字が並んでいた。
『前略――
佐奈ちゃんお元気ですか?私は元気です。今度私は、彼のいる岡山へ行こうと決めました。彼が松山へ来るのを待っているだけの日々に疲れたからです。少しでも彼の近くで暮らしたい。岡山へ行くことは彼には言っていませんが、きっと受け入れてくれると信じて行きます。佐奈ちゃん、落ち着いたら、また手紙を書くので、心配はしないでね。中々会えないけど、私の中には、いつも佐奈ちゃんがいるからね。東京での勉強、頑張ってください。佐奈ちゃんは私なんかより、ずっと強い人だから。
――瀬戸凪沙』
美柑は、泣きそうになるのをこらえて、桔平に見せようとしたこれは、事件の資料ではない。
ひとりの女の子が、親友に残した最後の声だった。美柑が桔平に便箋を渡そうとすると、桔平は首を振った。
「俺は触らん。原本や。美柑、佐奈さんに許可もろうて、写真撮らせてもらえ」
その声は、さっきまで二日酔いでごねていた男のものではなかった。
美柑は小さくうなずき、佐奈を見た。
「佐奈さん。この手紙、記録として写真に撮らせてもろうてもかまんですか?」
「……はい。凪ちゃんのためになるんなら、かまんです」
佐奈は、静かに答えた。
これから用事があるということで、事情聴取は打ち切りとなった。美柑たちは佐奈にお礼を言う。
佐奈が席を立ちあがった時、
「ああ、そうじゃ。これも、お預けしときます」
といって、椅子の上に荷物と一緒においていた、大きい紙袋に入った書類みたいなものを美柑に渡した。
「これは、なんぞなもし?」
「私と凪ちゃんが卒業のお祝いとして交換したものです」
封を開けると、中には漫画の原稿が入っていた。
「絵が、がいにうまい子で、いつも漫画描いては、うちに見せてくれよったんです。これは凪ちゃんが漫画の新人賞に応募して受賞した作品なんよ」
「佐奈さんは、凪沙さんに何を渡したんぞなもし?」
「修学旅行の時に買うた、貝殻のブローチぞな」
「それって……」
美柑は、頭の中で、調べた資料を掘り起こした。
「そのブローチって……これで間違いないぞな?」
スマホを開いて、証拠品を撮影している写真を佐奈に見せた。
「ほうです。これぞな。ほやけど……なんで警察の人が、このブローチの写真を持っとるんぞな?」
佐奈の問いに、美柑は言うべきかどうか迷った。何故なら松山の岸壁で見つかった、凪沙の胸に着いていたものだからだ。
「こ……これは、凪沙さんが亡くなった時に、身に着けとったもんぞな。他にも、古い写真の中で、凪沙さんがこのブローチを大事そうに身に着けとる写真が、何枚もあったんぞな」
「ほうですか」
佐奈は、震える声でそう言った。
「凪ちゃん……持っとってくれたんやね」
佐奈は美柑の言葉に、目を大きく開け、涙を一杯にためている。
そして佐奈は、お辞儀をして、何度も目元を押さえながら、静かに店をでた。
佐奈が店を後にして、残された二人の間にしばし、沈黙が訪れた。
美柑は、封の中身を取り出した。
『恋結び』――。
――作・夢乃凪
と、タイトルが書かれていた。美柑は、作者名の夢乃凪が妙に気になる。
《夢乃凪――。凪の夢……凪沙さんの夢なんじゃろうか》
思い起こせば彼女の夢とは、何なんだろうと美柑は考えた。
男気に勝り、本当の愛とは何かを経験していない彼女にとって、愛することや愛されることの違いなど、分かるはずがない。
だが、同じ女として見れば、何か見えるかもと思い、ページを捲った。
漫画は、表紙を入れて三十二ページある。インクが他のページに付かないように薄い紙で保護されていた。美柑はそれを汚さないよう、指先に気をつけながら、ゆっくりと表紙をめくった。
内容は、活発な女子生徒・咲奈が、三年生の夏、憧れていた担任の先生と恋仲になる。ある時、先生にはすでに奥さんがいることを知った主人公は、自分がただの遊び相手であったことに絶望する。
そう思い知らされた筈の咲奈はそれでも、その教師を諦めきれなかった。
教師に振り向いて貰うために、求められるまま尽くし、求めらるまま関係を続けていくということに悩み、苦しむ。
妊娠したと、教師に言っても、ただ『堕ろせ』とだけ言い、中絶してもいたわりの言葉はなかった。
咲奈は、奥さんに直接会いに行き、別れてくれと頼んだ。だが、奥さんに知らせたことを怒った教師に、あっけなく捨てられた咲奈は自暴自棄になり、教師のネクタイを盗んで、それを首に巻いて、自殺をするという話だった。
《ネクタイを首に……もしかして、凪沙さんは、この漫画をなぞったんか?》
美柑は、その疑念が間違いではないことを証明してほしくて、桔平に「読んで」と頼んだ。しかし、桔平は「神楽達の読んで貰え」と頑なに拒否をした。
だが、美柑が泣き出すと、仕方なく、漫画を手に取った。
漫画にてを触れた瞬間、桔平がガクンと遊家に転げ落ちた。驚いた美柑が、桔平を抱き起こそうと、彼に触れたとき、美柑の脳裏に電流が走ったような衝撃を受けた。
《なんぞな……?》
桔平に触れている手を離せばいいことは、分かっていた。
でも、離してはいけないとも思った。
――誰かが、男にすがっている。
――悲しい色。
――海。
――船の上。
《く、苦しい……》
喉が締めつけられる。
息ができない。
……女の顔が、こちらを見ていた。
そこで、映像はぷつりと途切れた。
《これは、記憶の断片……桔平兄ぃの?違う……》
「大丈夫ですか?」
と、店員さんが声をかけてきて、美柑は我に戻った。
「あ、大丈夫ぞな。すみません」
美柑は慌てて礼を言い、桔平を席に座らせた。
桔平は肩で息をしていた。顔色が悪い。二日酔いのせいだけではないことは、美柑にも分かった。
「桔平兄ぃ。うちが見たあれは……なんぞなもし」
美柑は、声を落として訊いた。
桔平は、すぐには答えない。テーブルの上の漫画原稿を見つめたまま、かすれた声で話し出す。
「お前も、見えたんか?」
「うん」
どう返事をしていいか分からず、一言だけ返すのがやっとだった。
ただ、凪沙の漫画を、無理に桔平へ読ませたからだ。
自分の意見を桔平に押しつけた為に、大事な人を苦しめてしまった。
その後悔が、美柑の胸を締めつける。
桔平の姿を見ているだけで、泣きそうになっていた。
「美柑……」
「はい」
「見えたもんはしゃあない……」
桔平は、まだ青い顔のまま、低く言った。
「でも、このことは黙っときや」
「なんでぞな?」
桔平は静かに目を閉じた。
そして、少し間を置いてから言った。
「変態扱いされるで」
美柑は、「え?」と言って、泣きそうになっていた顔のまま、思わず固まった。




